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昨日記190501 水(令和元年・天皇制・憲法 )

2019年05月07日 20時11分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
この日、前日の天皇退位の儀式に続き、天皇即位の儀式が行われた。
マスコミは、すべてこのニュース一色である。
マスコミは、盛んに時代が変わるというが、地齋はそんなことはない。
ミレニアムにしろ元号にしろ年末年始にしろ、時間的区切りの一つで、その間の出来事をまとめて19世紀とか明治時代とか読んでいるだけで、歴史は無関係に動いている。

ただ江戸時代とか縄文時代とか青銅器時代といった歴史考古学的区分は、一つの文明があった時代で歴史区分そのものである。
ただし、弥生時代に関しては、研究が進むにつれ、縄文時代との境の問題が発生している。
すなわち、弥生文化と縄文文化が地域により斑状に分布しているのだ。
北九州では、弥生時代になったが、関東以北は縄文文化という状態が長い間続いたし、多くの地域も弥生文化を受け入れたが、、東日本のある地域では稲作を放棄し、縄文回帰するといった事態も起きている。

天皇家にとって即位儀礼で最も重要な行事は大嘗祭であることは、古代史・文献学者や考古学関係者(特に古墳時代から飛鳥時代まで)なら常識的なことであるが、たまに即位のニュースの話題として出ているが、その真の意味は知られていないのだろう。
古代史や考古学的に見ると、元号と天皇の実態や地位の変遷を考えると面白い。

古代史を調べれば、最初の元号大化以降、元号が縁起といった気分(縁起がいい 不吉=縁起が悪い)で作られていることが多いことがすぐに分かる。

そもそも天皇は、天武天皇以前は、大王と呼ばれていた。
その名前から、現天皇家が古代は豪族中のリーダー的性格だった事が連想される。
皇統に疑問を抱かせる事態はいくつもあった可能性は以前から指摘されていた。
例えば継体天皇や仁賢天皇や清寧天皇もその例の一つかもしれない。
こうした事実も含め、近現代では天皇制は多くの国民の支持を得ているのも事実であるが、それは憲法の規定する象徴としての天皇である。

ネトウヨや右翼論客や自民党右派の望む明治憲法回帰は、多くの国民が現憲法を支持しているので実現することはないだろう。
明治憲法も、薩長藩閥政府が作り出したものだ。
天皇制と関連して国家神道思想による明治維新後の廃仏毀釈は、日本文化に計り知れない被害を与えたことを忘れてはならない。
また、日本国民にとって最大級の歴史的悲劇である太平洋戦争も、明治憲法下で引き起こされたものであり、旧天皇制が大きく絡んでいる。(天皇直属の軍隊・統帥権)(同時に多くの国民やマスコミも、戦争への動きに同調し、加担していたことも事実である。)
こうした事実をもう一度考えなおし、同じ過ちを繰り返さないために、現憲法を改正し明治憲法回帰を画策する動きは止めなければならない。
国民主権、平和主義、基本的人権 自由 は宝物であり、これらを崩すいかなる動きも断固止めなければならない。

さて、この日は昼から家計簿の設計に長い時間を費やしたが、未完のままである。
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