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橋下市長の記者会見と大阪の政治のこれから。(追)

2013年05月29日 21時22分54秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
5月27日の記者会見から数日たって、多くの意見が出されたので、いまさら言うほどのこともないかもしれないが問題点を考えるメモとして簡単にまとめ、更にその影響を考えてみた。

橋下市長は相変わらず、記者会見で論点をずらそうとしているように見える。
海外特派員の記者会見後のコメントがすべてを物語っている。

しかし、取り上げた記者のコメントはNHKと一部民放でかなりニュアンスが違うことが気になる。
NHKの夜9時のニュースでの、各記者のコメントは、彼は誠実に答えていたとか、謝罪していたとか言う話を紹介していた。
ある意味好意的発言が中心だった。

しかし朝日等の民放(民放すべて観たわけでない)では、出席した特派員の反応として、論点をすり替えている等、批判的な発言を紹介していた。

同じ内容で切り取り方で、なぜこうも違うのか。
どちらかが恣意的に放送しているのだろうか。
橋下氏が指摘したり、他の人が弁明のさいよく使うように、マスコミが一部を切り取って誤った報道をしている実例なのだろうか。

少なくとも、質疑応答を含め記者会見のその後の反響の結果を見る限り、橋下氏は今までの主張を繰り返し、目新しいものがなかったため、各国でこのニュースは余り取り上げられなかったようだ。

事の発端から、記者会見の流れを振り返ると、最初の発言から、様々な批判が出て、特に女性を性の道具とする見方があり、女性の人格人権を無視している考え方だといった批判が目立ち、更に米軍へのアドバイスが、米国の強い反発をまねいた。
そのため、橋下氏の発言内容が徐々に弁明に変わり、最近では他国の軍隊の過去の行動を持ち出して、皆で過去の過ちを反省しようよと論点をすり替え、他国を巻き込みながら弁明の材料に使っている。

また、この発言の問題点は、始めの頃は慰安所はやむをえなかったという歴史家的な過去の価値観を、容認する発言をしていたが、その中で弁明として(現代人の)私は容認するとは言っていないという形にしていた。
しかし、最近の戦争でも類似したようなことがあるという意味の発言(必要悪として許容)もしていて、その文脈の延長線上で、米軍に対して「風俗の積極利用」の発言が出たものと、私は見ている。
即ち、戦場およびその周辺での、兵士の性の暴走を回避しコントロールするために、慰安所や類似の物が軍の運用システムとして必要だという発想である。

沖縄の問題に関して、合法的な風俗を利用したらというアドバイスをしたというのは、過去ではなく現代の問題である。(この点に関しては、橋下氏は米軍に謝罪している。)
歴史的問題については、当時の価値判断と、現代ではまったく違うことが当然で、分けて考えなければならないことは言うまでもない。
しかし、アドバイス問題に関しては、過去の価値観(軍のシステムとして性を処理する)を、現代にも適用したことが誤りであったことはいうまでもない。

ところで、こうした認識の背景には、ここで言う合法的風俗も売買春も基本構造は同じで、風俗もやはり程度の差こそあれ、女性を性の道具として見ている点が問題なのだ。
過去の慰安所の価値観と現代の風俗に対する価値観も、事の構造上は大差なく、同じ構造(女性を性の道具として評価=物)のように見受けられるように見えるのだが。


では、なぜ、最初に言ったことの本質を違う方向に曲げようとするのか。
こうしたやり方は、子供のけんかでよく使われる手法である。
「私もやったけど、あの子もやっているよ。なぜ私だけ怒られるの」という言い訳である。
暗に、自分だけが悪いのではないから許してという論法でもある。
こうした論法は、最初に発言した内容の論点をすり替え、マスコミの誤報のせいにし、責任逃れを図ろうといういとがあるという誤解?を招く恐れもあるが、真相は誰にも分からない。
マスコミも、誤報といわれたら、その前後の対話を明らかにし、すぐに反論することが必要であった。

この記者会見で、橋下氏の責任問題は、参議院選挙で決めるという発言があったが、まだこのままの体制で行くようである。
この点に関しては、責任を本当に感じている様子は見えないという指摘をする人もいた。



この問題が、今後の政党政治の流れに及ぼす影響は少なくないだろうし、既にみんなの党の対応にその影響は出ている。

維新の会は、橋下氏の個人商店とも、マスコミや敵対する政治家達に揶揄されている。
その店主の意向で、大阪府・市の物事がすべて決まっている。
他の人はどうか知らないが、私は、都合が悪くなると論点をいつもすり替え、うまく責任回避を図る、けんか上手(弁護士流の交渉上手な)な市長をトップに戴くのは恥ずかしい感じていて、早くやめて欲しいと思っている。

橋下氏は政治的に維新支持を伸ばすために国政進出もささやかれたが、今回の一件で国政選挙進出の芽はなくなっただろう。
多分維新ブームもこれで収束する可能性があると思っている。

大阪府政、市政が維新が天下をとって以来、どれだけよくなっただろうか。
例えば、対労組や職員に対しては職場規律厳守という民間では当たり前ことを、徹底させたこととか、よくなった点もある。
一方で、大阪市職員に対する、組合活動のアンケート問題のような個人の思想信条まで探るという、信じられない不当労働行為を起こしたり、校長が君が代を歌っているか目視でチェックした事例を賞賛する体質を持っていることも、決して忘れてはならない。

又、彼らの言う府市の二重行政はどれだけ大規模にあったのだろう。
二重行政を解消するだけでも、行政が効率的になり財政赤字が減り、決定が速やかに実行され、大阪が急速に元気な町になるというような話を、大阪市のダブル選挙当時に聞かされたような気がするのだが。
具体的には、維新が地方選挙で大勝したとき、維新支持者が、これで一年もすれば、府市が緊密に動いて大阪が活性化されて、景気が目に見えてよくなり、交通機関や水道等の公共料金も安くなり、様々なイベントが行われ、人が海外からも多く来るようになる、と目を輝かせて語っていたが実際にそうなっているのだろうか。

私は、維新の人気取り政策は、所詮(企画会社とタイアップした?)イベント行政で、御堂筋のイルミネーション化とかマラソンとかのイベントで表面的な手法で人を集め喜ばす手法と見ていた。
果たしてそのことが、大阪の文化芸術を育て、底上げになっているのだろうか。
現実には、大阪府・市の文化行政は、文楽や音楽といった文化芸術関係には、非常に厳しかった。
例えば、美術館の処遇が、二転三転どころでなく、思いつきのままご都合主義的に何度も変更され、一時期府庁舎を美術館にするという案すらもあったことを忘れてはいない。
大阪の文化行政は底が浅く、文化の芽を育てるようには見えない。

府市の水道合体も無理な話である。
現在一般的に、人口密度の低いところでの広域下水道は、経費がかさみ無駄といわれている。
上下水道も人口密度に応じては分散型を考えるべきである。

地方分権や道州制は、経済文化の活性化、効率化に良いが、それなら大阪都構想でなく、地方経済の活性化を考えて、府県の垣根を撤廃する方向で、関西広域連合を更に発展させた広域行政を考えるべきであろう。
当然その場合、大阪府とか大阪都は不要で、州の下には大きな都市(大阪市、京都市、神戸市・・)とか、市町村が集まった郡(例 摂津・和泉・河内)のようなものがくるのであろう。


ところで、前にも述べた、橋下氏の、参議院選挙の結果で有権者が判断するだろうという発言からすると、彼は、リコールでもされない限り市長の任期を全うする積りではないかと思われる。
私の勝手な憶測であるが、大阪府下でも、大阪維新の会の政治実績や橋下氏の言動を見て失望が広がり、大阪での維新人気も急速に失速する可能性があるかも知れないと思っている。

しかし問題は大阪では、維新に代わるべき政党の組織が弱体化している可能性があることだ。
維新が失速すれば、それに変わり多分自民党が勢いを取り戻し、復権する可能性が強いように思う。
自民党は、潜在的に伝統的な支持者が多いし、現在の安倍政権や自民党の支持率も高い。
同時に、公明党が、今までの成り行きからすると、大阪では維新支持であったのが、大阪維新支持をやめ、中央同様自民党と協力関係を強化させると予想している。
場合により、大阪の自公支持者で橋下市長のリコール運動が起きる可能性も皆無ではないかもしれない。
(5/30の市議会本会議で公明党が賛同する方向のため、市長の問責決議案が可決される可能性が高くなったと、報道されている。5/30不信任案は否決された。)


もう一つの受け皿となる可能性のある民主党は、労組依存の体質から抜け出せず、市民中心の下部組織ができておらず、今の大阪では無力である。
無力であるゆえに、支持も集まらないため更に影響力がなくなり無力になるという悪循環に陥っているのではないか。
これは、中央の体質の反映かも知れない。

地方組織も中央が積極的に関与して作り上げないと、強い地方組織はできないだろう。
強い地方組織ができないのは、能力のない地元の国会議員候補がいるため、という可能性があるかも知れない。
一定割合以上の票が取れない国会議員候補は、交代させるべきであろう。

地方が強くなるには、中央と地方の間で積極的に対話し、党として末端まで意思疎通ができていて、しっかりした基本方針と政策を練り上げ、常に党として地方で国民に直接支持を訴えかけることが必要だろう。
そして、いい人材を取り込み、党で更に組織的に教育(党の理念や経済や法律の基本)し優秀な政治家を育てることが必要だろうし、しっかりとした政策の調査研究立案のために、常に国会議員と密接に摺合せのできるシンクタンクが不可欠だろう。


参考
(このような性関係の問題は単純に議論できないことは承知しているが、有力指導者が公式の場面で発言するときは、学者どうしや飲会での話と同じというわけには行かないだろう。バーやキャバレーや多くの娯楽産業やサービス業は広い意味での性<ここでは性交渉の意味ではなく、単なる男女の意味だが、例えば看板娘が居ると売り上げも上がることは、美しい女性を前提としていて、基底に性が介在している。>を基本としたサービスで成り立っている場合が多いことも事実であるが、単純に男の論理だといって切り捨てられるのかという問題はあると思っている。)


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sentences (noga)
2013-05-29 22:21:15
‘日本語も十分話せないのに、英語を学んでなんとする。’と言う人がいる。だが、現実には、日本語脳による話の失敗は避けられない。

>政治家が、その言葉で失敗したり、問題をおこすことは古今、数多い。
>特に最近は、それが目立つ。例えば、アベノミクス効果で好調な経済を演出し、今や圧倒的な支持率を誇る安倍首相は、歴史認識問題で米国や韓国の不興を買い、その言葉をトーンダウンさせた。
>また猪瀬東京都知事は、アメリカのメディアのインタビューで、オリンピック招致のライバル都市を貶めることを言ったということで謝罪に追い込まれた。
>さらに橋下大阪市長、日本維新の会共同代表は、従軍慰安婦について誤解を与えるようなことを言い、また沖縄駐留米軍に風俗業の活用を進言したということで問題になっている。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

日本人は文章を熱心に作らない。文章を作ることは、考えを練る事に通じている。
英語には時制がある。文章を作らなくては、時制が表せない。だから、文章にして語ることは重要なのである。
日本語には時制がない。文章は常に現在時制 (現実に関すること) に定まっているようなものである。だから、単語だけのやり取りで、ことが足りるものと自他ともに思っている。
そのため、政治家となって、外国人と理想 (非現実) の話もできず、何を言っているかも理解されず、そのために国を過ちに導くことも多い。




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