老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

清荒神へ

2021年12月29日 20時48分13秒 | 旅行/色々な風景

 家の片付けも大体目途がついたところで、何か抜けているような気がしていましたが、宝塚にある清荒神(きよしこうじん)行きでした。

 毎年、年末には二人で行っていたのですが、今年はすっかり忘れていて急遽出かけることにしました。

 午前中に水槽の掃除と水替えを終えて、年内最後のマッサージで体をほぐしてもらった後、梅田に出て阪急電車で清荒神まで。

 そこから少し北に上ると、旧有馬街道に出て、直ぐその向こう側に鳥居があり、そこからは「龍の道」と呼ばれる飲食店や土産物店などが立ち並ぶ緩やかな約1㎞の参道が続きます。

 年末とあってか、多くの参拝者が両側の店を覗きながら参拝されていますが、この清荒神は正式名を清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)と言い、真言三宝宗の総本山の寺院で神仏習合の古刹です。


 関西では、昔から火の神・台所の神である「荒神さん」として広く親しまれていて、昔は各家庭のおくどさんにはこの寺院のお札が貼ってあったものです。

 因みに、この寺院は寛平8年(896年)11月18日に宇多天皇の勅願寺として静観僧正に現在よりも少し東にあった旧清(もときよし)と呼ばれる山の尾根に建てられた。鎮守神として現在地である西の谷の地に三宝荒神社も建立され、宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を下賜され、最盛期には七堂七十二坊の荘厳な伽藍を誇りました。

 平安時代末期の治承・寿永の乱や戦国時代の有岡城の戦いに巻き込まれて炎上したが、三宝荒神社は被害を免れていて、江戸時代の安政年間(1855年-1860年)に清澄寺本堂が旧清から三宝荒神社のある現在地に移築され、清澄寺が再興されて伽藍が整えられたようです。(まさ)


鳥居

鳥居の手前は旧有馬街道で、何となく情緒のある道です

鳥居横の寺碑

両側に店がある狭い参道です

途中にある中山寺への分岐点

駐車場近くでは正月に向けての露店の準備中

既に賑やかな参道の露店
同上
同上


山門

拝殿前の布袋像

火箸納所 厄年に厄除火箸を自宅にお祀りしておくと、その火箸で厄をつまみ出していただけるそうです。火箸は厄が明けた年の節分以降に「火箸納所」に納めます。

沢山の火箸

本堂への石段
同上
本堂

本堂下の一願地蔵尊

本堂と寺務所を結ぶ太鼓橋
奥にある龍王滝

池の鯉とマンリョウの赤い実