老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

神子畑選鉱場跡(朝来市)

2017年03月23日 19時33分01秒 | 旅行/色々な風景
 R429の笠杉トンネルを超えて、朝来市への途中に、神子畑(ミコハタ)選鉱場跡という巨大な遺跡があります。WIKIPEDIAなどで調べると、この選鉱場の歴史は次のようです。

◆この地は神子畑鉱山として戦国時代より栄えていたが、直ぐ近くの生野鉱山の繁栄でその地位を奪われる格好で休山。その約300年後の1878年(明治11年)に明治政府が銀鉱脈を発見、翌1879年から採鉱を本格化するが、その後次第に衰退して三菱へ払い下げられるも、一度は閉山となる。

◆北西約6キロに位置する養父市の明延鉱山は戦国時代頃より採掘が始められた金属鉱山で、金・銀・銅・鉛・錫などを産出してきたが、1909年に明延鉱山で優良な錫鉱脈が発見され、採掘鉱量の増加により従来の選鉱施設では手狭になってきていた。
そこで明延では採鉱後の一次破砕までを行い、神子畑に選鉱機能を移設する計画が持ち上がり、、1919年に神子畑は明延鉱山から運び込まれた鉱石を選鉱する大規模な「機械選鉱場」として生まれ変わることとなった。

◆神子畑選鉱場では、山の斜面を利用した巨大な機械選鉱場はその規模・産出量ともに「東洋一」と謳われ、特に「比重選鉱技術」は国際的にも高い評価があったようです。
最盛期には約3000人が従事し、24時間稼働していたようで、夜になると光に浮かぶ選鉱場が不夜城のようだったといわれています。

◆しかし、その後円高の急激な進行で競争力を失った明延鉱山が1987年に閉山されることになり、その後は長らくこの選鉱場の建物が残存していたが、2004年に撤去・解体され、現在はひな壇状に22段構成となっていた鉄筋コンクリートの基礎構造物と、選鉱所の上下を結んでいたインクラインの跡が残るだけとなっている

◆かっては、明延鉱山から本選鉱場までは明神電車で鉱石が搬送されていたが、これには従業員の家族などが便乗できる客車も連結されていて便宜を図っていたようです。この料金が1円だったことから、一円電車とも呼ばれていたようで、現在国道に隣接している史跡公園「鉱石の道 神子畑ステイション」の一角に展示されています。

 このように、かっての日本の工業を支えた非常に巨大な鉱山遺跡ですが、明延鉱山の他にもこのすぐ南には日本初の官営鉱山となった生野鉱山もあり、これらの3つの鉱山のエリアは平成16年に「鉱石の道」と命名され、平成19年には経済産業省の近代化産業遺産群に認定されています。(まさ)


神子畑選鉱場跡。高さは75mもあるようです。左側にはインクラインが見えます

かっては、このように全体が屋根で覆われていたようです。(案内板の写真から)

選鉱所の上下を結んでいたインクライン跡。ケーブルカーのように真中で交差します

シックナーと呼ばれる巨大な施設。(円錐形になっており、巨大な脱水機のようです)

2基あります

「鉱石の道 神子畑ステイション」に展示されている明神電車(通称、一円電車)

神子畑選鉱場と明延鉱山の位置図。一円電車は6.1kmを運行していました

直ぐ近くにある、巨大なサルスベリの木

敷地内にはかっての社名「明延鉱業」が大きく残っています。

播但自動車の朝来IC近くにある羽渕鋳鉄橋。現在でもJR播但線が利用しています。
何とも存在感のある鉄橋です。

墓参り・雛飾り・残雪・ミツマタ

2017年03月22日 21時14分40秒 | 旅行/色々な風景
 とりとめもない題名になってしましましたが、今日はこの時期慣例の墓参りに行ってきました。

 再三お伝えしていますが、我が家の墓は兵庫県宍粟市一の宮町の山奥にあり、中国自動車道の山崎インターから1時間近く掛かり大阪からだと丸1日仕事になるので、ご先祖様には申し訳ありませんが、墓参は春秋のお彼岸前後の2回だけで勘弁してもらっています。

 山崎インターを降りて5分程度の所にある「旬彩蔵」というJA直営の直販所に立ち寄るのが大きな楽しみで、今日もお墓用や我が家用のお花を仕入れ、更に新鮮で安い野菜や花苗なども入手しました。
また、今日この旬彩蔵では面白いものを目にしました。大きな生のコンニャク芋です。
1,300円という結構な価格でしたが、慣れた人はこの生芋から自宅でコンニャクを作られるのでしょうか。

 お墓参りをした後は、檀那寺である実際寺で毎年この時期に展示されている雛飾りを拝見しました。
前住職の奥さんが長年にわたりコツコツと集められたもので、驚くほどの数です。
また、この展示の大きな特徴として、雛人形だけでなく、雛掛軸や押絵雛、更に色々な人形や、昔の子供の着物などが、広い玄関・廊下や二つの部屋にびっしりも展示されていることで、圧倒されること間違いなしです。
ご興味のある方は、実際寺をお訪ね下さい。場所は宍粟市一の宮町公文です。

 その後、例年ならお寺の近くでツクシやフキノトウを採ったりするのですが、この冬は雪が多く寒かったという事で、いつもの場所にはまだ見当たりませんでした。
毎年、ほぼ同じ時期に行くのですが、その年の積雪や気温などで、少しづつ様子が変わっています。

 止むなく、帰路は少しルートを変えて朝来市経由としました。
お寺からはR429一本で行けるのですが、途中に笠杉峠があり、山道を結構登ります。
途中、道の傍や谷川沿いなどで日当りの悪い場所には、まだ雪が残っており、大阪暮らしに慣れた身には驚きです。
峠を越えて、朝来市に入ると、道端にミツマタの花が沢山見えました。
まだ蕾なので、白い色ですが、咲き始めると黄色一色の道になるでしょう。

 この後、神子畑選鉱場跡を経て帰宅しましたが、この様子は明日にでもお知らせします。(まさ)


旬彩蔵の花売り場。本当に沢山の花があり、大阪よりはかなり安いです。

店内で見掛けた生のコンニャク芋(定価1,300円です)

実際寺の雛飾り

同上

同上。押絵雛(これは信州に多く見られるようです)

同上。雛掛軸

笠杉峠。トンネル付近の残雪

同上

ミツマタ。沢沿いに群生(まだ蕾なので白っぽいです)

ミツマタ。道路横で

ミツマタの花。開花するとこのように黄色い花です。(群馬大学植物園の「植物園へようこそ!」より引用させていただきました)

淀川堤防の春の恵み

2017年03月21日 21時04分08秒 | 食べ物
(本日は2本目のアップです)

 昨日の河川敷散輪時に入手した春の恵みが、我が家の食卓を飾ってくれました。
主に私の酒の肴になるのでツレアイは余り手伝ってくれず、専ら私の担当ですが、昔人間としては全く苦にならず、逆に嬉しい担当で、春の彼岸を味わいました。(まさ)


沢山採れたツクシのハカマを除去して水洗い

一部はいつもの通りに、胡麻油で炒めて、味醂・醤油・一味で味付け

残りは、かき揚げ風に天ぷらで、大根おろしで…

ノビル。今回は球根が採れたので、綺麗に洗って根をカット。好き通ったような色です。

これは軽く湯通しして、酢味噌で頂きました。

昨日の淀川河川敷散輪のオマケ

2017年03月21日 20時59分12秒 | 散歩中に見かけた風景
 昨日は淀川河川敷で色々と愉しみましたが、帰路に撮った写真を添付します。
いつもテニスを楽しませていただいている赤川テニスコートを堤防から見た写真と、大東小学校の校庭で見掛けた大きなモモの木です。
直ぐ近くの学校の校庭にこのような立派なモモの木があることを初めて知りました。(まさ)


赤川テニスコート。左奥に見えるのは梅田界隈のビル街です

大東小学校校庭のモモの木

同上

春分の日の淀川河川敷に春を求めて

2017年03月20日 20時19分55秒 | 散歩中に見かけた風景
 今日は春分の日、お彼岸の中日です。
夕方から天気が崩れそうとの予報を見て、お昼前からツレアイと淀川河川敷に散輪に。
風が少し冷たいものの絶好の好天気とあって、河川敷には多くの人が散策・スポーツ・自然観察・バーベキューなどに訪れていました。

 私たちの目的は、木々が芽吹き始めた鮮やかな新緑や、咲き始めた春の野草の観察、そしてそろそろ終りに近づいたツクシ採取でした。

 木々の芽吹きは、まだヤナギが目立つ程度でしたが、その他は首尾よく目的達成。
早春の淀川河川敷を楽しんできました。
遠くに行かずとも、その日の天気と相談しながら、自宅からの自転車で簡単に行けて、お金も掛らない本当にありがたい淀川河川敷です。

 これからの季節は、日毎に様子が変わって行くことでしょう。(まさ)


新緑が鮮やかな川沿いのヤナギ

同上

ヤナギの新芽とスズメ

流れの倒木の上では、カメが一休み

川岸のヒタキの仲間

クサフジがそろそろ咲き始めました

同上アップ写真。 名前の通りフジの花に似た花です

堤防ではツクシが最盛期を迎え、私の秘密のスポットでは足の踏み場にも困るような状態でした。

ヒメオドリコソウも所々で群生

同上アップ写真

ハナニラ

イモカタバミ