老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

今更、その意味を聞きにくい言葉   その⑧  ~こつまなんきん~

2021年10月17日 19時29分37秒 | 面白い言葉や語源など

(急に寒さ到来で、各地から雪の便りが報告されていますが、我が家は何とか冬支度も終わり、今晩はツレアイの好きなオデンとしました。)

 今日は、少し変わって植物に関する話題ですが、「こつまなんきん」と聞いてニヤッとする男性は、おそらく私と同年代或いは年上の人でしょう。

 1960年に制作された映画「こつまなんきん」は今東光の原作が映画化されたもので、嵯峨三智子、それに藤山寛美・乙羽信子・花菱アチャコ・浪花千栄子などが出演していたと思います。

 何といっても、主役の河内女お市役の小柄ながら色気に満ちた嵯峨三智子がはまり役で、まだピンク映画などない時代に大きな話題を呼んだ作品でした。
(因みに、若い方は嵯峨三智子と聞いてもピンとこないでしょうが。1935年に有名な山田五十鈴の子供として生まれ、色々スキャンダルの多い女優でしたが、1992年に57歳で死去。尚、瀬戸内寂聴の小説『女優』のモデルは嵯峨三智子だといわれています)


 いきなり、若い時を思い出して脇道に逸れましたが、今日のテーマは「こつまなんきん」で、漢字では「勝間南瓜」と書き、南瓜の一種で実際にあります。

 江戸時代に大阪市西成区玉出町(旧・勝間<こつま>村)の原産とされます。
江戸時代の万延元年(1860年)に勝間村の庄屋らが、天満の青物市場問屋年行司あて野菜7品目に限り同村内での「立ち売り許可願」を申し出ており、その中に「南京瓜」が記載されていたことから、このカボチャのことを勝間南瓜と呼んだものと考えられています。

 勝間南瓜は粘質な日本カボチャであり、小さいが味の良かったことから、綿とともにこの村の特産でした。昭和10年代までは大阪市南部地域で栽培が行われていましたが、都市化の影響で産地が移動するとともに、品種面では食の洋風化のため、西洋カボチャに取って代わられていきました。

 その後、2000年(平成12)に木津市場の男性が和歌山の農家で種子を探し当て、復活の傾向にあるようです。
勝間南瓜は、冬至に生根神社で風邪や中風魔除けとして参拝者に振るまわれ、「なにわの伝統野菜」になっています。


 調べてみると、今東光が小説「こつまなんきん」小説を書いたのは1960年とされていますし、同氏が八尾市の寺院に住んでいたのは1951~1975年ということですから、同氏は勝間<こつま>村産の本物の「こつまなんきん」を知っているとは思えません。

 但し、八尾の一部に細々と栽培されていて今東光氏が知っていた可能性も否定できませんし、或いは「こつまなんきん」は“小さくて、味が良い”として、河内の男性の理想の女性の象徴として、河内地方に伝わっていたのかも知れませんね。(この項は、全く私の妄想です) 
 (まさ)

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。