老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ツレアイが亡くなって丸1年

2023年12月23日 19時53分07秒 | ツレアイのこと

 早いもので、昨年末にツレアイの美登里が亡くなってから丸1年となりました。

 覚悟はしていたものの、医者の診断通りに新年を待たずにクリスマスイブの24日の夕方に息を引き取り、葬儀の手配などでバタバタしていたことを思い出します。

 急性骨髄性白血病の進行で食欲が衰えるとともに、本当に花がしぼむという感じで静かに息を引き取りましたが、穏やかな顔つきのままだったのは大きな救いでした。

 私の気持ちとしては、白血病を患わずにもっと長生きして欲しかったのは紛れもない事実ですが、そうなれば認知症の更なる進行は間違いなく、『両親みたいに認知症で訳が判らなって、他人の世話を受けたくはない』と言っていた本人にとってはどちらが幸せだったろうかということには答えが見出せません。

 美登里が死去したのは年末の多忙時でしたので、葬儀の通知も身内や美登里がお世話になったのが判っている近くに居られる方にしかできず、その他の方へのご連絡は年明けの49日法要を終えてからになったのですが、多くの方からお叱りの声もいただきました。

 美登里は趣味が多く、何れに対しても何か静かに黙々と打ち込んでいるという様子でしたが、周囲の人との人間関係は非常に良かったようで、多くの方から私が知らなかった面も教えていただきましたが、何れの方からも非常に慕われ可愛がっていただいていたようで、1回忌に当たってもクリスマスや年末の多忙時でもあるにも関わらず、多くの方が思い出して下さり、声を掛けて頂いたりお供えを届けて頂いたりしており、美登里の持っていた魅力の一端を改めて感じています。


 美登里は数年前からはデイケアのお世話になり、死に至る1年少し前からは介護施設に入所してのお世話になっていました。
コロナの影響もあり面会は極めて限られていましたが、いくら面会回数が少なくとも、美登里もそれなりに一所懸命に生きているのだということを感じて私の励みにもしていましたし、最後の1ヶ月は施設のご配慮で個室での面会がフリーとなり、例え充分な会話はなくとも、美登里の安心したような、穏やかな最後に寄り添えてやれたことは私にとっては大きな喜びとなりました。

 それだけに、美登里がこの世からいなくなり、もう顔を見ることも話しかけることも手を握ることも出来ないという事実に直面すると、私自身も正に体の半分が引き裂かれたような感じでした。

 しかし、徐々に家事が出来なくなる美登里をカバーするために、数年前から美登里に替わって家事全般を担当していましたので、食事準備や家事には余り負担を感じることなく、自分がしっかり健康を維持して生活せねばという気持ちになるとともに、友人との付き合いや自分の好きな旅行など家事以外のことにも力を抜かずに何とか1年が経過しました。

 
 年末の多忙時なので、1回忌の仏事は行わずに、妹にだけ来宅を願い、私の読経と少し賑やかな位牌前の花飾りで勘弁してもらいました。

 美登里が居なくなった哀しみが消えるものではないことを改めて自覚しながら、今後も健康に気を配りつつ、皆様に感謝しながら精一杯生きていきたいと思っています。(まさ)


位牌前の仏壇の飾り

好きだった花を少し多めに

妹が持参してくれた正月用のセンリョウも一緒に飾りました。


今日の夕食 湯豆腐/野菜炒め/ローストビーフ/メカブ

野菜炒め カリフローレ/大豆モヤシ/ナノハナ/キノコとツナ缶の炒め物

豪華なローストビーフ 妹からの差し入れ品です


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