本日の毎日新聞の「予録」で“アビリーンのパラドックス”に関することが書かれていました。昔この言葉を聞いて興味を持った記憶があるのですが、WIKIPEDIAなどで改めて調べ直してみました。
このパラドックスは、経営学者ジェリー・B・ハーヴェイが著書『アビリーンのパラドックスと経営に関する省察』で提示したものであり、現象の名称は、この現象を説明する小話の中でハーヴェイが用いた町の名に由来します。
社会心理学や経営学の分野で良く使われる言葉で、先日も書いた英国のEU離脱に関する国民投票の結果に慌てふためく英国民の様子もさることながら、参議院選挙を控えた“事なかれ主義”では引けを取らない私たちも、今一度この逆説を肝に銘じることが必要かと思いますので、概略を下記します。
ある8月の暑い日、アメリカ合衆国テキサス州のある町で、ある家族が団欒していた。そのうち一人が53マイル離れたアビリーンへの旅行を提案した。誰もがその旅行を望んでいなかったにもかかわらず、皆他の家族は旅行をしたがっていると思い込み、誰もその提案に反対しなかった。道中は暑く、埃っぽく、とても快適なものではなかった。提案者を含めて誰もアビリーンへ行きたくなかったという事を皆が知ったのは、旅行が終わった後だった。
要するに、ある集団がある行動をするのに際し、全体の和とか総意とか思いやりなどを重んじる結果、個々の構成員が実際の嗜好とは異なる決定に賛同する状況をあらわすパラドックスであり、集団内のコミュニケーションが機能しない状況下、個々の構成員が“自分の嗜好は集団のそれとは異なっている”と思い込み、集団的な決定に対して異を唱えないために集団は誤った結論を導きだしてしまうような現象をいいます。
アビリーンのパラドックスは「事なかれ主義」による集団思考の一例としてしばしば言及されていますが、よく考えてみれば、中世の魔女狩りがそうであったでしょうし、日本を太平洋戦争に駆り立てたのや、ヒットラーを擁立したドイツもこのアビリーンのパラドックスによるものだったように思われます。
特に“出る杭は打たれる”、“和を持って尊しとする”、“年功序列”、“長い物には巻かれよ”というような言葉が象徴するように“事なかれ主義”が幅を利かせている日本では、当たり前のように起こっている現象なのではないでしょうか。
かっての隆盛が見る影もなくなったシャープやソニーなどの家電メーカーや、燃費問題で大きな汚点を付けた三菱自動車などでは、経営戦略を決定する過程でアビリーンのパラドックスに陥ってしまったのかも知れませんし、膨大な国家の財政赤字が与える子孫たちへの負の遺産に気付かぬ振りをして目先のエサを食べたくなる選挙権者もアビリーンのパラドックスに落ち込みつつあるのかも知れません。
例えその場の雰囲気を悪くするかも知れませんが、おかしいと思うことにははっきりと自己主張することは、後になって“知らされていなかった”“騙された”“そんな筈ではなかった”“自分はそう思っていなかった”などの言い訳をしながら後悔するよりはましでしょう。(まさ)
このパラドックスは、経営学者ジェリー・B・ハーヴェイが著書『アビリーンのパラドックスと経営に関する省察』で提示したものであり、現象の名称は、この現象を説明する小話の中でハーヴェイが用いた町の名に由来します。
社会心理学や経営学の分野で良く使われる言葉で、先日も書いた英国のEU離脱に関する国民投票の結果に慌てふためく英国民の様子もさることながら、参議院選挙を控えた“事なかれ主義”では引けを取らない私たちも、今一度この逆説を肝に銘じることが必要かと思いますので、概略を下記します。
ある8月の暑い日、アメリカ合衆国テキサス州のある町で、ある家族が団欒していた。そのうち一人が53マイル離れたアビリーンへの旅行を提案した。誰もがその旅行を望んでいなかったにもかかわらず、皆他の家族は旅行をしたがっていると思い込み、誰もその提案に反対しなかった。道中は暑く、埃っぽく、とても快適なものではなかった。提案者を含めて誰もアビリーンへ行きたくなかったという事を皆が知ったのは、旅行が終わった後だった。
要するに、ある集団がある行動をするのに際し、全体の和とか総意とか思いやりなどを重んじる結果、個々の構成員が実際の嗜好とは異なる決定に賛同する状況をあらわすパラドックスであり、集団内のコミュニケーションが機能しない状況下、個々の構成員が“自分の嗜好は集団のそれとは異なっている”と思い込み、集団的な決定に対して異を唱えないために集団は誤った結論を導きだしてしまうような現象をいいます。
アビリーンのパラドックスは「事なかれ主義」による集団思考の一例としてしばしば言及されていますが、よく考えてみれば、中世の魔女狩りがそうであったでしょうし、日本を太平洋戦争に駆り立てたのや、ヒットラーを擁立したドイツもこのアビリーンのパラドックスによるものだったように思われます。
特に“出る杭は打たれる”、“和を持って尊しとする”、“年功序列”、“長い物には巻かれよ”というような言葉が象徴するように“事なかれ主義”が幅を利かせている日本では、当たり前のように起こっている現象なのではないでしょうか。
かっての隆盛が見る影もなくなったシャープやソニーなどの家電メーカーや、燃費問題で大きな汚点を付けた三菱自動車などでは、経営戦略を決定する過程でアビリーンのパラドックスに陥ってしまったのかも知れませんし、膨大な国家の財政赤字が与える子孫たちへの負の遺産に気付かぬ振りをして目先のエサを食べたくなる選挙権者もアビリーンのパラドックスに落ち込みつつあるのかも知れません。
例えその場の雰囲気を悪くするかも知れませんが、おかしいと思うことにははっきりと自己主張することは、後になって“知らされていなかった”“騙された”“そんな筈ではなかった”“自分はそう思っていなかった”などの言い訳をしながら後悔するよりはましでしょう。(まさ)