(四天王寺までのルートと写真の続きです)
◆空堀商店街の食堂で美味しい昼食を堪能した後、少し東側の道を南下。
すぐ左側に、道標(八軒屋から2.2kmと2.3kmの二つ)がありますが、この当たりの上汐町1丁目界隈は戦災に会っていない様子で、所々に古い商家が残っていました。

道標

古い商家
◆更に南下し、風光社ビルの所を右折した所に「久本寺」というお寺があり、ふと見ると見慣れない花が咲いて目についたので、つい中に入り拝見した後、谷街筋を横切り西へ。この辺りは中寺町の町名の通り、どちらを向いても寺院です。

アイリスの仲間と思われる花です。
◆二筋目の角の左側に高津公園があり、その南側の高津宮に入りました。この境内に「郡戸(こうず)王子推定地」という碑がありました。(ここが第3王子「郡戸(こうず)王子」跡の様です。
大阪に住みながらこの高津宮を訪れるのは初めてなので、ゆっくりと見学しました。

高津宮への階段

「郡戸(こうず)王子推定地」という碑

本殿
◆高津宮の中を通り抜けて、南側に出てから東へ。谷町筋を通りこして、再び谷街筋より2つ東側の道を南下し、生魂小学校の手前を東へ。途中千日前通との交差点に道標あり(八軒屋浜から2.9km)
上本町7丁目の交差点で上町筋を南下し、2つ目の筋を東側に上宮高校の方向へ。天王寺図書館の手前に上の宮ハイツというマンションがあり、その入口近くにひっそりと「上宮之址」の碑がありました。ここが第4王子「上野王子」跡です。

道標

非常に判りにくい碑でした。
◆その後、上町筋に戻り少し南下し、国際交流センターの南側を西に折れ、2つ目の角を南下。
天王寺警察署を過ぎた所で西に折れ、谷町筋に出た所(地下鉄夕陽丘市天王寺)で斜めに南下。
直ぐに四天王寺に入る道があり、四天王寺境内へ。
この四天王寺の南大門の直ぐ手前に、四天王寺の4大石の一つとされる「熊野権現礼拝石」がありました。

四天王寺の六時堂

南大門

南大門の手前にある熊野権現礼拝石
今回の熊野街道歩きはここまででしたが、週に2回は通っている谷町筋を西と東に跨ぐような形で熊野街道はあったのです。歩いてみて初めて判った新しい発見でした。
この「歩き」を通じて、昔の大阪の地形というものも実感できたような気がして、大阪の昔の姿に興味が湧いてきました。(まさ)
◆空堀商店街の食堂で美味しい昼食を堪能した後、少し東側の道を南下。
すぐ左側に、道標(八軒屋から2.2kmと2.3kmの二つ)がありますが、この当たりの上汐町1丁目界隈は戦災に会っていない様子で、所々に古い商家が残っていました。

道標

古い商家
◆更に南下し、風光社ビルの所を右折した所に「久本寺」というお寺があり、ふと見ると見慣れない花が咲いて目についたので、つい中に入り拝見した後、谷街筋を横切り西へ。この辺りは中寺町の町名の通り、どちらを向いても寺院です。

アイリスの仲間と思われる花です。
◆二筋目の角の左側に高津公園があり、その南側の高津宮に入りました。この境内に「郡戸(こうず)王子推定地」という碑がありました。(ここが第3王子「郡戸(こうず)王子」跡の様です。
大阪に住みながらこの高津宮を訪れるのは初めてなので、ゆっくりと見学しました。

高津宮への階段

「郡戸(こうず)王子推定地」という碑

本殿
◆高津宮の中を通り抜けて、南側に出てから東へ。谷町筋を通りこして、再び谷街筋より2つ東側の道を南下し、生魂小学校の手前を東へ。途中千日前通との交差点に道標あり(八軒屋浜から2.9km)
上本町7丁目の交差点で上町筋を南下し、2つ目の筋を東側に上宮高校の方向へ。天王寺図書館の手前に上の宮ハイツというマンションがあり、その入口近くにひっそりと「上宮之址」の碑がありました。ここが第4王子「上野王子」跡です。

道標

非常に判りにくい碑でした。
◆その後、上町筋に戻り少し南下し、国際交流センターの南側を西に折れ、2つ目の角を南下。
天王寺警察署を過ぎた所で西に折れ、谷町筋に出た所(地下鉄夕陽丘市天王寺)で斜めに南下。
直ぐに四天王寺に入る道があり、四天王寺境内へ。
この四天王寺の南大門の直ぐ手前に、四天王寺の4大石の一つとされる「熊野権現礼拝石」がありました。

四天王寺の六時堂

南大門

南大門の手前にある熊野権現礼拝石
今回の熊野街道歩きはここまででしたが、週に2回は通っている谷町筋を西と東に跨ぐような形で熊野街道はあったのです。歩いてみて初めて判った新しい発見でした。
この「歩き」を通じて、昔の大阪の地形というものも実感できたような気がして、大阪の昔の姿に興味が湧いてきました。(まさ)