老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

あのシャープが液晶から撤退 

2024年06月20日 19時42分43秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 少し前に驚いたニュースの一つが、シャープが液晶生産から撤退とのニュースでした。

 シャープと言えば、TVなどの液晶パネルや、AQUOSブランドのTV、更に種々の家電のメーカーとして有名ですが、非常にユニークな会社です。

 元々は1912年早川徳次が東京で興した金属加工の会社で、1915年に早川式繰り出し鉛筆(後のシャープペンシル)で海外進出したりしていましたが、1923年関東大震災により工場を焼失し、その後関西に拠点を移しました。

 戦後は関西を拠点にして、種々の家電の生産をしていますが、その中でも特筆すべきは
・1925年 国産第1号の「鉱石ラジオ」の組み立てに成功。生産・販売を開始
・1952年 「国産第1号白黒テレビ」
・1962年 日本の家電企業で初めて電子レンジを発売(当初は業務用)。1966年には世界初のターンテーブル方式の電子レンジを開発。
・1964年 世界初のオールトランジスタ方式の電卓の商品化。
当初はタイプライター並みの大きさで、面白いことに当時の計算手段の主流であったソロバンをこの電卓に付随させていたようです。
 ・1973年 液晶を表示装置に使ったCMOS化電卓(世界初)を開発。その後ICの採用により、最近では、名刺サイズまで小型化・薄型化した。
・1985年 3型液晶カラーテレビの試作、1988年には14型TFTカラー液晶の試作に成功。
・2000年 J―フォン(現ソフトバンク)と共同で行なったカメラ機能付きの携帯電話の開発。携帯で撮った写真がそのまま送れる機能もあり、「写メール」という言葉は一世を風靡しました。
・2001年 液晶カラーテレビ「AQUOS」
・2004年、亀山工場が稼動を開始。「亀山モデル」は液晶カラーテレビの代名詞となった

 その後も、太陽電池や空気浄化技術「プラズマクラスター」の開発についても業界をリードしていましたが、何といっても液晶パネルのシェアー拡大と、それを生かしたTVや携帯電話での急成長は目をみはるばかりでした。


 私が会社に入ったのが1964年で、当時はまだソロバンの時代でしたが、やがて電卓が身近なものになってからは手放せないものとなりました
当時の技術革新は目覚ましいもので、それを牽引するかのような『シャープ』は正に当時の産業界の代表だったように思えます。

  このように次々と独創的な技術開発が出来たのは、「まねされる商品をつくれ」という創業者早川徳次の精神を受け継いだ社員の創意工夫に拠るものだと言われていますが、上記の「写メール」だけでなく、「目の付けどころがシャープでしょ」とか「世界のシャープ」とかいう同社のキャッチコピーも面白かったです。


 しかし、このシャープが看板商品だった液晶事業から撤退を余儀なくされたという事態は、我が国の産業界を象徴するような出来事でしょう。

 我が国で展開された先端技術はやがて、中国・韓国・台湾などの東南アジア諸国の台頭と急速な伸長で、我が国は次第に遅れていくことになるのですが、シャープでも同様に液晶生産への過剰投資が、新しい技術の展開に付いていけなくなり、台湾メーカーの傘下に組み込まれていましたが、この度はついに液晶パネル生産からの撤退という事態にまで追い込まれたようです。

 産業界の新技術開発は正に日進月歩で次々と新しい技術が展開されるとともに、その実用化には益々多くの費用を必要とするようになり、少しでも古い技術にしがみついた場合の恐ろしさを表しています。(まさ)

※ この項は、同社のホームページや<https://www.e-aidem.com/ch/jimocoro/entry/kigyo0>などを参考にさせて頂きました。