(最近、花や春の話題が続いたので、今日も言葉に関する話題です)
先日、園芸関係の買い物がしたくて、淀川の対岸にあたる東淀川区にある「コーナン」まで、出かけましたが、その記事を書き込もうとして壁にぶち当たりました。
というのは、『川向うのコーナン』と書いたところで、“あれぇ、「川向う」という言葉は、差別用語とかいうことを聞いた記憶があるぞ”と思い浮かべてチェックしてみることにしました。
◆「川向う」は、goo国語辞書では、単に【川を隔てた反対側の岸。また、その地域。かわむかい。】と極く普通の説明があるだけで、これが差別用語というニュアンスの説明は全く出てきません。
◆しかし、小さい頃から「川向う(い)」という言葉は、何か差別を意味する言葉として使われていたような記憶がありますので、さらに調べて見ると、<monoroch(モノロク) 放送禁止用語一覧>でははっきりと放送禁止用語として列記されています。
◆何か気持ちが悪くて、何故に【川を隔てた反対側の岸。また、その地域。かわむかい。】を指すごく一般的な言葉が、被差別部落を指して使われた「差別用語」になったのかを少し調べてみました。
・江戸時代には、江戸っ子が川(隅田川)を隔てた対岸の地域を田舎者とし蔑むような気質があったようです。
・<OKWAVE>によれば、
昔は現代ほど河川に橋が架かっておらず、両岸の交流が少なく、川によって人の往来が分断されていることは珍しくなかった。
故に川を越えると文化、風習、社会ルール(法律)が異なる事も珍しくなく、自分から見て相手の風習や考え方が異なること、許せない事、などを“そんなことは川向うの理屈だ”というような言い方をした。
・また、<今この時&あの日あの時>によれば、
此岸と彼岸を分ける「川」は、この世とあの世とを分ける結界的なものと感受されたことでしょう。 それは我が国にも「三途(さんず)の川」という言葉となって伝わっています。
向こう岸の持つ異界性、彼岸性、禁忌としての死のイメージ・・・。そのようなものが結びついて、各地で一般人の住む町外れの川から向こうの、荒れ地が広がる地域に穢れた(とみなされていた)被差別の民を追いやって住まわせたのではないだろうか
というような説明が目につきましたが、このような宗教的な背景もあり、長期にわたって積みあげられてきた「向こう岸」のイメージと、被差別の人たちが重ねられて、「川向う」という言葉の裏のイメージが出来上がってきたのでしょう。
◆それでは、「この言葉は過去のもので、現在の私たちには関係ない」と言い切れるかといえば、少し疑問です。というのは、
・この「川向う」という言葉は使われないにしても、「山手」「下町」というようなある意味では地域を差別する言葉は、依然として何の配慮もなく使われていますし、山陽/山陰とか裏日本/表日本などという分け方もこの分類に入るかも知れません。
・また、「川向う」という言葉が、単に【川を隔てた反対側の岸。また、その地域。かわむかい。】という意味で使われたとしても、この言葉を使うのは殆どが市街地側に居る人で、逆に市街地ではない地区の居住者が市街地側を指してこの言葉を使うことは極めて稀なのではないでしょうか。
このように、例え自分には『人を差別する意識は全くない』と思っていても、どこかで地域なり人を差別する言葉を無意識の内に使っている可能性に気づき、愕然とした気持ちになることが多々あります。
差別とか上から目線(或いは、逆に自虐的な思考)というのは、自分で意識せずとも、長年の歴史の内でごく当然のことのように身に染みついている厄介なものなのですね。(まさ)