ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

即席めんの発想にたどりつくには、四十八年間の人生が必要だった。

2015年08月16日 | Weblog
即席めんの発想にたどりつくには、四十八年間の人生が必要だった。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

今ではもう当たり前にカップラーメンを食べてはいるが、安藤氏はその発明には人生そのものをかけていたのだ。

そして、このあとには次のように続いていた。「過去の出来事の一つ一つが、現在の仕事に、見えない糸でつながっている」と。

一つの成功の裏には、さまざまな経験がヒントになっていたということのようだ。一見関係なさそうなことでも、後で考えるとヒントになったということだろう。

そう言えば、いつもしている仕事でも以前何気なくやっていたことが、かなり役に立っていることにも気づかされる。そう考えると無駄なことは意外に少ないのかもしれないな。


短い文章で人をひきつけることは、どんな仕事をする人でも必要になる。

2015年08月15日 | Weblog
短い文章で人をひきつけることは、どんな仕事をする人でも必要になる。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

文章もいきなり文面が真っ黒なほど文字で埋められていたら、もうそれだけで読もうと言う気もおこらない。ある程度短ければ、読む方も気楽に入っていける。

その点、コピーライターの短いセンテンスは参考になる。また短いからこそ記憶されるのだろう。読んだときにいくらいい文章だと思っても、長ければすぐに忘れてしまうものだ。

やはりセンスのいいコピーなら、それなりにウケもいい。最近はフェイスブックでも、写真にそれに関するコメントをつけているが、それも短い文章であるほうが読みやすい。

まずは、タイトルで読んでもらえる工夫をすることが大事なのだろう。そして、新鮮な知識とセンスのいいコピーを添えたいものだな。

企画をA4一枚に、サッとまとめる能力が大切。

2015年08月14日 | Weblog
企画をA4一枚に、サッとまとめる能力が大切。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

人に何かを伝えたい時には、あらかじめメモをつくっておいた方がいいのだろう。たまたま数日前に上司との話す機会があったが、その時にはレジュメを作って2枚用意しておいた。

すると、自分が話したいことを順をおって話すこともできる。もし、そのようなメモがなければ、半分以上は話忘れてしまったかもしれない。ついつい雑談に時間をとられてしまうかもしれない。

最低限いいたいことは短時間に言わなければならないときには、メモは必要だと思った次第。また、話すことは具体的である必要があるだろう。

目の前にその実例や引用があれば相手も理解しやすいものだ。ブログに文章をアップする場合にも、引用があれば理解されやすいものだ。ブログを書くという意識を持てば、そのネタを仕入れるために本や雑誌を読もうと言う気にもなる。

「買う」という行為は大事なことで、身銭をきると「感覚」が目覚めてくる。

2015年08月13日 | Weblog
「買う」という行為は大事なことで、身銭をきると「感覚」が目覚めてくる。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

本を例にとっている。やはり人から借りたものよりは、自分で買った本のほうがより頭に残るという。自分の本ならいくらでも書き込みもできる。また身近に置いておくこともできる。

買った本もすぐに使える状態にすることがポイントだった。まずはざっと読んでしまうことだった。短時間で読み終えておけば、それは干物にした魚のような状態だという。そうすればいつでも焼いて食べられるからだった。面白い考えだった。

齋藤氏は買ったらすぐに数冊でも、すぐに読んでしまい、あとで使える状態にしているという。これも一つの勉強法だった。やはり買った時が一番テンションは高い。そこを利用するのだった。

勉強に限らず、身銭をきったものは、それなりに自分もやる気が出るものだ。かつて営業の販促で自分で作ったチラシや粗品を使ったときも同様のことが言えた。そのほうがテンションが高まることは確かだ。


頭を衰えさせない、アウトプット中心の勉強法。

2015年08月12日 | Weblog
頭を衰えさせない、アウトプット中心の勉強法。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

新しい知識に出合ったときに、それをとりあえずしゃべってみることをすすめいている。その前にある程度その知識を記憶しておく必要もあった。

つまり記憶がまだ新しいうちに人に話すことでより記憶が定着するのだろう。繰り返しが必要だということだ。アウトプットということを意識して行えば、それは効果がある勉強法だったのだ。

齋藤氏は喋りまくることをすすめているが、そのためにはその話相手も必要ということになる。新しいネタをインプット、そしてそれをアウトプットするだけのことだった。

いつでも活きのいいネタを仕入れていたいものだ。そういえば、やや関係ないが、フェイスブックでも新鮮なネタがあるとそれだけ反応もいいことを思い出した。


腹八分目の食事と適度な運動。

2015年08月11日 | Weblog
腹八分目の食事と適度な運動。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

しばしば長寿の秘訣を聞かれることも多かったらしい。その秘訣は当たり前のことだが、上記のフレーズの通りだと答えていたようだ。(96歳の生涯だった。)

実際に90歳過ぎても週に2回のゴルフは欠かさなかったという。しかも、年に100回以上のプレーをこなしていたというから驚きだ。

若いころから粗食で好き嫌いはなかったようだ。とくに旬の青みの魚が好きだったらしく、骨ごと食べていたという。

毎日インスタントラーメンを食べて長生きしているというのも誇張でもなかったようだ。運動はもっぱらゴルフだったそうだ。でも、誰でも毎週のようにゴルフをできる環境にいられるわけではない。個人ができる範囲の運動を継続するということでいいのだろう。


工業化できない特許には一文の価値もない。

2015年08月10日 | Weblog
工業化できない特許には一文の価値もない。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

なるほど、これは発明によりしっかりと実績を作った安藤氏だからこそ、力強く言えることなのだろう。実際発明品は多くても、それが製品として世の中に出てくるものは稀だそうだ。

また異議申し立ての多い発明ほど、その特許には実力があるとも考えていた。知的所有権を独占せずに、公開して、世界的な産業にまで発展させた人は安藤氏だけのようだ。

1972年8月に東京、大阪、名古屋の証券取引所の一部上場していた。カップヌードルは日本生まれの世界食となっている。日本人の発明として世界中でこれからも売れていくのだろう。

後の名言としては、「事業化できないアイデアは単なる思いつきにすぎない」「本当のアイデアとは実用化されて、成功を保証するものである」とも述べていた。説得力のある言葉だ。


いい商品は必ず世の中が気がつく、それまでの辛抱だ。

2015年08月09日 | Weblog
いい商品は必ず世の中が気がつく、それまでの辛抱だ。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

今定番になってヒットしている商品でも、はじめから売れたわけでもなかった。地道な努力の結果でもある。カップヌードルを1971年に自信を持って発売したものの、スーパーや小売店には並ばなかったのだ。

売れないながらも、辛抱だと考えていた。安藤氏は、また本当によい商品なら、何かのきっかけで爆発的に売れるようになると信じていた。

しかし1972年(昭和47年92月に起きた連合赤軍による浅間山荘事件で、雪の中で山荘を包囲する機動隊員がカップヌードルを食べているシーンがテレビに何度も写されたのだった。

当時日本人の10人に8人がテレビにくぎ付けになったという。そして、あの食べものは何だということで、カップヌードルに火がついたように売れだし、たちまち生産が追いつかなくなってしまったのだ。思いがけない事件がきっかけだったようだ。



素人だからこそ常識を超えた発想ができる。

2015年08月08日 | Weblog
素人だからこそ常識を超えた発想ができる。

「転んでもただでは起きるな!」安藤百福発明記念館編より。

安藤氏はかつて製麺機に触れた時に、指の1本を切断してしまうことがあった。医者は縫い合わせてもつかないだろうといわれ、化膿すると大変だから切断をすすめたのだ。

しかし、安藤氏は自分の指だから、かまわない、くっつけてくれと頼んだのだ。結果的に指はちゃんとつながって、のちに始めたゴルフにも支障のないほどだったという。

それ以来、たとえ医師や弁護士であっても専門家の言うことを鵜呑みにしなかったそうだ。そこで、素人の発想が正しいこともあると考えるようになったのだ。

新しいことを発想するうえでも記憶力は大切。

2015年08月08日 | Weblog
新しいことを発想するうえでも記憶力は大切。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

まったくのゼロから新しいものを生み出すことは難しい。しかしそれなりの知識や経験があれば、それを応用することもできる。いろいろ記憶してきたことを組み合わせることで新しい発想も生まれるのだろう。

ここには、「大人の記憶とは、自分のアンテナに引っかかったものをどんどん頭に蓄えていくこと」とあった。それでこそ、いいアイデアも浮かぶのだろう。たんにデスクにへばりついていてもいいアイデアなど浮かんでこないものだ。

また、記憶したことが引用できてこそ本物だといえそうだ。アンテナにひっかかったものを効果的に出していけるかどうかがポイントだった。


現代の仕事においてはスピード感が大切。

2015年08月06日 | Weblog
現代の仕事においてはスピード感が大切。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

そのためにはリラックスしていることと、同時に集中できるということだった。スポーツと同じ感覚で仕事に取り組むということだった。

仕事は勉強よりチームスポーツに近いという。なるほど、そう言われればそんな感じもする。勉強は一人でもできるが、仕事は周囲の協力が大切になってくる。

また顔の表情も硬いと、周りの反応を鈍くしてしまうようだ。いつでも笑顔ができるようにしておける工夫も必要だった。

歌舞伎役者に腰の弱い人はいない。

2015年08月05日 | Weblog
歌舞伎役者に腰の弱い人はいない。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

歌舞伎にはいろいろな型があって、基本的には腰と腹を使うそうだ。だからしっかり鍛えられているということだった。

実際に歌舞伎役者と対談した筆者は、驚くほど腰がしっかりしていて、中心軸もぶれずに声が出ていたと述べている。さらに体の余分な力は抜けていると感じている。

そこから柔らかい動きができるということのようだ。頭を鋭くするためには、腰と腹を意識していくことが必要だと指摘している。

ただし単調なことを継続していくことは実に困難なことだな。

体を動かさなければ、頭は働かない。

2015年08月04日 | Weblog
体を動かさなければ、頭は働かない。

「頭が鋭くなる 齋藤レッスン」齋藤孝著より。

筆者の経験から、頭があって体が動くのではなく、体全体が活性化して、その一部として頭が働くのだという考えだった。

そういえば、アルコールが入っている時は体もだるくて、本を読んでも面白くは感じないし頭にはいってこない。朝の体が疲れていない時のほうが仕事の帰りよりも本は読めるものだ。

またスポーツでも、いちいち頭で考えて動作を決めているうちは、まだまだ上達した状態ではない。先に体が反応してこそいいプレーができるものだ。そんな時のほうが脳もいい状態だそうだ。

ここには、頭のスイッチが入るコツが述べられていた。それはふくらはぎのストレッチだった。また、体のどの部分が伸びているかをきちんと意識してやるほうが効果はあるようだ。


メンタリティに合ったことは続く。

2015年08月03日 | Weblog
メンタリティに合ったことは続く。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

これも村上氏のことについて述べられた部分にあったものだ。氏にとってのそれは、長距離走だった。こんな自分に合ったスポーツ(マラソン)を持っていると気持ちも強く持てそうだ。

スポーツでなくても、それなりに体を動かすことはいいとも思える。単に頭で考えるより体を動かし汗を流すことですっきりすることも多い。

やらされていると思えば、決して長続きはしない。むしろ辛さがともなうものだ。自分に合うものを自分で見つけるしかなかった。

ここには「昨日の自分を、今日の自分が更新する」ともあった。奥が深い言葉だ。それをやっていることで自分が向上できると思えればそれが一番のようだ。

悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。

2015年08月02日 | Weblog
悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

ここでの小タイトルは“不愉快な刺激の呑みこみ方”とあった。誰にでもさまざまな不愉快なことは起こるものだ。ストレスがたまることもある。

そんな時には村上氏は、いつもより長い距離を走ることで、自分を肉体的に消耗させるという。そうすることで、自分の肉体を少しだけ強化したことになると解釈していたのだ。

マイナス部分をプラスに転じる、なるほど面白い考え方だった。それがタイトルにあげたフレーズだった。

走るというかたちでのエネルギーの消費、発散だった。ストレスをうまく消化してしまうのだろう。斉藤氏も負のエネルギーを自分のパワーにしてしまうというのは、いいアイデアだと述べていた。