ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

短いメッセージほど記憶に残る。

2015年07月16日 | Weblog
短いメッセージほど記憶に残る。

『人は「暗示」で9割動く』内藤 誼人著より。

人の話を聞いていても、だらだらと長く話されるとその内容をほとんど覚えていない。できれば何が要点なのかはっきりしてもらいたいものだ。

前置きが長いのもいただけない。名言はたいてい短いから記憶される。ことわざも短いほど覚えているものだ。

リンカーンの名演説もたったの2分だったそうだ。その中でも、「人民の人民による人民のための政治・・・」の部分はとくに有名だ。

またケネディーの「国が自分に何をしてくれるかではなく、自分が国に何ができるかを問え」というようなことも思い出す。Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.

ここでのまとめには、次のように書かれていた。「印象的なキーワードをちりばめながら簡潔に話す」と。そういえば、宣伝コピーも記憶に残るものは短い。

ストレスをうまく逃がすバランスのとれた生活スタイル・・・

2015年07月15日 | Weblog
ストレスをうまく逃がすバランスのとれた生活スタイル・・・

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

ここでのタイトルは「アインシュタインのメリハリバランス術」となっていた。世界的に有名な物理学者だったが、同時に人生の大半をバイオリンから得ている、とも語っていたのだ。

当然ながら基礎はできている。6歳から14歳までバイオリンのレッスンを受けていたからだ。とくにモーツアルトのソナタが気に入っていたという。

楽しく長く幸せに人生を過ごすコツは、このストレスをうまく逃がしていくことがポイントのようだ。喜べるようなものを勉強や仕事以外でも持っていることで、心も調えやすくなるのだ。

仕事と趣味は人生を楽しんでいくための車の両輪といってもよさそうだ。心を開放する趣味はいくつか持っていたいものだな。

否定されたことをエネルギーに替えることができた。

2015年07月14日 | Weblog
否定されたことをエネルギーに替えることができた。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

ここでは「佐伯祐三のパッション点火術」と題して書かれていた。ヴラマンクに絵を見せた時に、思いもかけないショックな言葉をかけられたのだ。つまり佐伯の描く小ぎれいな絵に駄目だしをされたのだった。

自分のスタイルはどういうものかを佐伯は考えたのだった。それは自分自身への問いかけでもあった。その一言でようやく壁をぶち破るきっかけがつかめたようだ。

そのモチーフは日本にはなかったのだ。再びパリに渡って、パリの街頭、石壁を描くことだと気づいたのだった。わずか30年という短い生涯だったが、その後画家として名前を残すことができたのは、自分の作風を見つけられたからだ。

時には傷つくことで、新たな自分を発見できることもあるのだろう。その前にそれに対してチャレンジする気持ちがあることが条件かもしれないが。

その道一筋ではないことの強み。

2015年07月13日 | Weblog
その道一筋ではないことの強み。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

ここではトロイの遺跡を発見したシュリーマンを引き合いに出していた。もともと学者でもなく、子ども時代に読んだ古代史に惹かれて、トロイは実在したと思いこんでいたのだ。

何百人もの学者が何百冊もの本を書いてはいたが、発掘によってそれを明らかにはしていなかったのだ。シュリーマンは、実業で勤しんで財をなして、語学を勉強して目的を達成していた。

専門的な研究者でなくても、執念があればできることもあるのだという例だろう。常識を疑うことも時には必要なのだ。

江戸後期の測量家として知られている伊能忠敬も、酒造の家業に励んだ後、五十歳で隠居していた。それから測量と天文の勉強を始めている。その後日本全国を測量して歩き日本地図を作り上げたことは有名だ。

とにかく夢中になって勉強してみると、何かが開けるのだろう。夢は持った方が楽しく充実した人生を送れそうだ。

目指せ、「飛耳長目」。

2015年07月12日 | Weblog
目指せ、「飛耳長目」。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

こんな言葉は、今まで聞いたこともなかったが、その意味は、観察力や情報の収集力があり、見聞が広くものごとに精通していることだという。

これも吉田松陰のことを述べていた部分にあったもので、松陰はこのようにアンテナを伸ばしてあらゆることを学ぼうとしていたのだ。

しかも、単に耳で聞いた情報だけでなく、自分の体を関わらせることがポイントでもあった。実体感しなければ、自分で考えてものをいうことはできないという。確かに説得力があるのは自分の体験を通した話だ。

単にネットで調べただけで知ったつもりになるのは、まだまだ不十分なのだろう。植物や動物や昆虫も写真で見るのと、実物を触ったり見るのとは大違いだ。印象がまったく異なっていることにも気づくはずだ。

人に教えるということは学びの意欲を促進させる。

2015年07月11日 | Weblog
人に教えるということは学びの意欲を促進させる。
「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

これは、吉田松陰の「教え合い学習法」というタイトルで書かれていたところにあったフレーズだ。松陰は投獄された獄中までも学びの場にして、教え合いの輪を築いてしまったという。

並みの人間にはできないところがすごい。さらに自分が教えるだけではなく、俳句の得意な人がいれば、その人が先生になって教えたり、書の達者な人は書道を教えたそうだ。

誰でもなんらかの得意な分野があれば、それを教え合うということで、広くいろいろなことを学べそうだ。

学ぶことも仲間がいれば、継続もしやすいのだろう。筆者の斉藤氏も話すことで覚えられるという自身の特質を生かして、友人を巻き込んで一緒に「対話型勉強法」をやっていたそうだ。


「ひらめき」を忘れるのはもったない。

2015年07月10日 | Weblog
「ひらめき」を忘れるのはもったない。

『「つまらない大人」にはなるな!』川北義則著より。

どんな人にもひらめきはあるだろう。ところが、それは一瞬のことで、あとで記録しようと思ってももうそれは思い出せないことがほとんどだ。

すると、そんな思い出せないひらめきほど惜しいと思うものだ。先日、知った顔の人を見かけたが、すぐには名前を思い出せなかった。ところが、家に帰ってからふと思い出すことができたのだ。

アイデアも別のことに意識が向いているときに浮かんでくることがある。ギリシャの科学者アルキメデスは風呂に飛び込んだ時に、あふれる水をみて「アルキメデスの原理」を発見していた。ニュートンもリンゴの落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したと言われている。

またノーベル賞の受賞者もしばしば、まったく他の実験をやっている時に、新しいことを発見しているというのを聞いたことがある。

ここで大事なのはひらめきをすぐに形にすることだった。まずはメモをとることがスタートのようだ。誰にでもいえることだが、それを継続することができるかどうか・・・

ジョークやウィットは、いわば「知性」の一種だ。

2015年07月09日 | Weblog
ジョークやウィットは、いわば「知性」の一種だ。

『「つまらない大人」にはなるな!』川北義則著より。

やはりジョークがタイムリーに言える人は頭がいいと感じてしまう。また、その場を明るくしてくれるものだ。いつもそんな人でありたいと思う。

駄じゃれもその一種だろう。かつて有名だった演出家の和田勉さんはいつも駄じゃれを飛ばしていたそうだ。それがクセになっていたのだろう。駄じゃれの言える人は余裕や安心感が感じられる。

また毒舌もそれが嫌味にならなければ芸のうちとも言えそうだ。立川談志さんはその代表だろう。頭の良さを感じられる。爆笑問題の太田光さんもすごいと思える。

ジョークを言うには、それなりの知識、知恵、機転もなければ無理だろう。筆者はジョークは知的人間の必須アイテムだとも述べていた。なるほど!がんばらねば。

世の中にはコツコツでなければできないことがある。

2015年07月08日 | Weblog
世の中にはコツコツでなければできないことがある。

『「つまらない大人」にはなるな!』川北義則著より。

何事も一気にできるわけではなかった。目標をもった積み立てはやはり給与天引きが一番だろう。それも何年もかかるのが当たり前だ。受験勉強も日々のコツコツの積み重ねが大事だった。

ピカソの絵画作品は反写実主義的作風になっているが、基本的なデッサンはおろそかにしなかったのだ。天才だからといって、手を抜いていたのではない。

仕事もやはり急がば回れと考えて、基本から覚えたり繰り返したほうがあとで考えると効率的だったと思えるものだ。

プロスポーツ選手などは、やはりそれなりに基本を繰り返しやって体に覚えこませているから、応用の動作もきくのだろう。

「過度の暗さ」は人生を貧しくする。

2015年07月07日 | Weblog
「過度の暗さ」は人生を貧しくする。

『「つまらない大人」にはなるな!』川北義則著より。

作家の宇野千代さんは98歳まで生きていたが、そんな彼女が残した言葉に「暗い人とつきあっちゃダメよ。うつるから」というのがあったそうだ。

確かに類は友を呼ぶというように、暗い人はそれなりの人と友達になるようだ。そんな彼らに共通するのは、物事を否定的に考えたり、批判ばかりすることだろう。

かつて、会社の同僚、先輩にそんな人がいたが、なんでも否定的だった。そんな人はやはり友達も敬遠していた。

否定的な発言ばかり聞かされるのも嫌なものだ。逆に会って楽しい人ならランチも一緒に誘いたくなるものだ。

単に高齢者だからといって、労働力として質的に劣っているわけではないのだ。

2015年07月06日 | Weblog
単に高齢者だからといって、労働力として質的に劣っているわけではないのだ。

『「つまらない大人」にはなるな!』川北義則著より。

定年になっても能力のある人は当然いるわけで、まさにその通りだと思えた次第だ。いや、むしろ経験が豊富だから若者にはない、それなりのノウハウも持っているとも思える。

私なども定年後だが、似たような仕事をしていても後輩の仕事ぶりを見るたびに、どこか歯がゆいと感じることもしばしばだ。

さて、あと数年でサラリーマン生活も終わりだが、その後は蓄えと年金でのんびり過ごそうと思っていたら、ここにはそうでない生き方もあるとあった。趣味やライフワークに生きるものいいが、労働で収入を得るということも意義があるという。

規則正しく働いて、お金を稼いだほうが健康にも精神衛生上もいいという。たしかに自分にほどほどあった仕事があって、そうできればベストなのだろうな。


創造的な力って記憶力と、すごく関係している。

2015年07月05日 | Weblog
創造的な力って記憶力と、すごく関係している。

「言葉を育てる」米原万理対談集より。

糸井重里さんとの対談で、米原さんが語った言葉だった。コピーライターは実にクリエイティブな仕事だが、そこでは記憶がかなり重要なポイントらしい。

最近は記憶力がすっかり落ちてしまった。人や物の名前が思い出せなくなってしまった。まず普段から辞書を引かないし、書くこともしなくなった。ほとんどがメールでやり取りをするだけだ。

かつては簡単だと思っていた計算も電卓を使っているうちに、計算がおっくうになった。文字もすぐには出てこない。かつて脳がやっていた雑用を機械任せになってしまったせいだ。

米原さんは、情報処理とか計算力とかの筋肉を使うことで、創造力は花開くという。余計だと思ってそぎ落とすことが、キャベツかタマネギと一緒だと表現していた。面白い。まんなかには、何もないからだった。

友達の定義って、その人のために喜んで時間を使えるかどうか。

2015年07月04日 | Weblog
友達の定義って、その人のために喜んで時間を使えるかどうか。

「言葉を育てる」米原万理対談集より。

田丸さんが語っていたことだった。すると米原さんは、「で、いっしょの時間が充実しているかどうか」とも言っている。

確かにそうだろう。しかし、実際、50代にはいると、親の介護や自分の体にもガタがきて、友達のために使う時間が減ってくるそうだ。

喜んで時間を使えるかどうかは、サービス業でも同じことだとも思えた次第。本当にその仕事が好きであれば、損得を考えずに、喜んでできるはずだろう。

仕事だから仕方なくやっているうちは、本当のサービスとは伝わらないかも知れない。

外の世界を完全にシャットアウトして、自分の世界にこもる。

2015年07月03日 | Weblog
外の世界を完全にシャットアウトして、自分の世界にこもる。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

小説家のスティーブン・キングは自分自身に決まり事を課して、それを守って習慣化していた。具体的には十ページ二千語を一日の目安としていたのだ。

そして、部屋のドアを閉じて、覚悟を決めるのだった。勉強もこのように集中して、やると決めて実行すればいいのだろう。

ポイントは3つあった。1、まず場をつくる。2、外の世界を遮断してはまり込む。3、沈潜する。これを習慣化してしまうことだった。

齋藤氏の場合、外からの雑音を遮断するやり方として、喫茶店に行くという。電話も来客もない。必要な資料だけ持って喫茶店に行き、限られた時間で仕上げるということだった。人それぞれ集中できる場所を確保することが大事なのだ。



やると先に決めてから動く。

2015年07月02日 | Weblog
やると先に決めてから動く。

「偉人たちのブレイクスルー勉強術」齋藤孝著より。

これは本多宗一郎のスタイルだった。勉強してから何か新しいことを始めようとするのではなかった。思い定めたら、それを現実にするためにがむしゃらに進むというやり方だったのだ。

切羽詰まった中で新しいものを開発していったのだ。本田は、絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力だと語っている。

また齋藤氏はやり手経営者の人を見ていると、休んでいても、頭の中がつねに「レディ(ready)」の状態になっていることに気づくという。

だから人と同じものを見ても、それに対して即反応できるのだ。これはよくわかる。普段から関心がなければ、重要なことも見逃してしまうものだ。