「言葉を育てる」米原万理対談集より。
対談の相手はイタリア語の翻訳家、エッセイストの田丸公美子さんだった。まず、田丸さんは逐次通訳と同時通訳の違いについて述べていた。逐次通訳は原発言を聞いてメモをとりながら訳すことだった。ここで大事なのは記憶力と再現力のようだ。同時通訳は全然間を空けないで、隔離されたブースに入って、耳に入れて同時に訳すというものだった。
米原さんは同時の方が好きだという。それは、記憶の負担がないからだった。同時はかなりいいかげんでも許されるが、逐次だとダメなのがばれてしまうという。こんなことはそれを職業としていなければ分からないことだろう。
同時通訳は先が読めなくても、なにかを休まずに言い続けなければならないのが辛いという。ある言葉には複数の意味があるので、脳内フロッピーからたくさんある訳語を呼び出して前後の文脈から一番ふさわしい言葉を瞬時に選択決定しなければならないようだ。
当然ながら、そんな時の脳は高速回転を続けているから疲れるのだ。また同時に集中していると、時どき自分でもびっくりするような名訳が出てくることもあるらしい。それが上記フレーズにあげたことだった。それはそんなことを経験していない人には実感としてはわからないだろう。
対談の相手はイタリア語の翻訳家、エッセイストの田丸公美子さんだった。まず、田丸さんは逐次通訳と同時通訳の違いについて述べていた。逐次通訳は原発言を聞いてメモをとりながら訳すことだった。ここで大事なのは記憶力と再現力のようだ。同時通訳は全然間を空けないで、隔離されたブースに入って、耳に入れて同時に訳すというものだった。
米原さんは同時の方が好きだという。それは、記憶の負担がないからだった。同時はかなりいいかげんでも許されるが、逐次だとダメなのがばれてしまうという。こんなことはそれを職業としていなければ分からないことだろう。
同時通訳は先が読めなくても、なにかを休まずに言い続けなければならないのが辛いという。ある言葉には複数の意味があるので、脳内フロッピーからたくさんある訳語を呼び出して前後の文脈から一番ふさわしい言葉を瞬時に選択決定しなければならないようだ。
当然ながら、そんな時の脳は高速回転を続けているから疲れるのだ。また同時に集中していると、時どき自分でもびっくりするような名訳が出てくることもあるらしい。それが上記フレーズにあげたことだった。それはそんなことを経験していない人には実感としてはわからないだろう。