ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

ある所を目指して頑張るプロセスこそが、一番面白い・・・。

2015年02月13日 | Weblog
ある所を目指して頑張るプロセスこそが、一番面白い・・・。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

藤田氏の経験がいわせる言葉だった。若くして起業して成功したから、それなりの大金を手にできたことを自覚している。しかし、実際に金持ちになってみれば、金などどうでもよくなったのだ。

買えるものが増えたからといって、そんなものはすぐに飽きてしまうという。なんとなくそれはわかる気がする。

何ごとも自分なりに頑張るからこそ面白いのだ。簡単にギャンブルで手に入れたお金で物を買っても大事にはしないかもしれない。

個人的な営業経験だが、仕事の成果でも自分が考えた創意工夫でつかみ取った売上げなら本当に喜べる。そうでないもので、売上げが上がっても嬉しさはそれほど大きくはなかった。

趣味でやるようなゴルフでも、たまたま一度、もし実力以上のプレーができたとしても、本当に上達したとも言えないなら嬉しさも本物ではないだろう。

練習を重ねて徐々にうまくなったことが実感できた時には、それは本物の喜びと言えるのだ。見城氏も藤田氏も多くのことを犠牲にして、辛い思いをしたからこそ会社を軌道に乗せられたのだろう。

ヒットの条件はただ一つ、どれだけ「極端」があるか。

2015年02月12日 | Weblog
ヒットの条件はただ一つ、どれだけ「極端」があるか。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

平凡な売れ行きの本を作っていれば、余計なストレスを負わずに済むという。しかし、見城氏はそれでは満足ではなかったのだ。

むしろ苦しさこそが仕事の本質だと考えていた。またユニクロの柳井正社長も「ビジネスは、辛くて苦しい。しかし、それは正しいということ」と述べていた。

確かに営業をやっていた時は、そこそこの売上げならストレスも感じなくて済むが、それなりに人より多くの数字を上げようと思えば、苦労もあったものだ。

結果としてそれなりの喜びも感じられた。たまたま大きな数字があげられても、努力が少なければ喜びも大きくはない。

話を本にもどせば、見城氏が会議で出された企画を却下する時のセリフは決まっていた。「こんな本、今までにいっぱいあるよ」だった。

実にわかりやすい一言だと共感した次第。自分自身、日々の仕事もどれだけ人と違ったことをやっているかが、やりがいのバロメーターだとも感じていたからだ。

せこい人にはせこい人生がまっている。

2015年02月11日 | Weblog
せこい人にはせこい人生がまっている。

「野心のすすめ」林真理子著より。

ここでの小タイトルは“自分に投資すると「人気」がついてくる”となっていた。別に一般の人なら人気を得ようとは思わないだろうが、話題が豊富にはなりたいと思ったりはするものだ。

人と会話していても話題が豊富だと、その場も盛り上がる。しかし、どんな話題でも盛り上がれるわけではないだろう。やはり自分が経験したことほど説得力がある。

当然貯蓄は大事なことだが、時には気前よく、観たいものを観に行ったり、自分に投資をすることは必要だと提案している。

自分への投資が、いつか実を結び会話の面白い人間になっていくという。するとお座敷がかかって、そこでまた面白い人にも出会うらしい。結果的に魅力的な人間になっていくというのも頷ける。

この部分の最後には「ここぞというときに前に進んでいくためにも、人生を豊かにしてくれるお金は不可欠です」とあった。いちいち納得してしまう。

野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」です。

2015年02月10日 | Weblog
野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」です。

「野心のすすめ」林真理子著より。

これもまた、キレのいいコピーに思えた次第だ。かつてコピーライターをしているとき、「今のままじゃだめだ、もっと成功したい」と願っていたという。

それこそは野心であって、自分が成長していくための原動力でもあったという。当然ながら。その野心に見合っただけの努力は必要だったのだ。

だからこそ、車のように前輪と後輪の両方がなければ前には進んでいかないということだった。しかも、大事なのはそのバランスがとれていることだった。

野心と努力という車の両輪のバランスが大事だとはいっても、一気にアクセルをふかすことよりも、それを燃費よく継続維持して運転できるかもポイントに違いない。

取り返しがつかない、という意味では、やったこともやらなかったことも同じ。

2015年02月09日 | Weblog
取り返しがつかない、という意味では、やったこともやらなかったことも同じ。

「野心のすすめ」林真理子著より。

短いがなるほど、と思わせられるのは、かつてコピーライターをしてたからだろうか。さらに、林さんのモットーが書かれていた。

「やってしまった後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる」だった。これも自身の経験から生まれてきた言葉だろう。まさにコピーそのものに思えてくる。

面白そうだと思ったことなら、たとえ恥をかいてでもやってみることだという。彼女は今までその精神でやってきたようだ。

タイトルと似たような言葉も繰り返されていた。それは、やってしまった過去を悔やむ心からはちゃんと血が出て、かさぶたができて治っていくが、やらなかった悔しさは内出血のよう痛みが続くというようなことも述べれていた。

かさぶたとか内出血とか、実に面白い表現だと思った次第。やはり作家は言葉の使い方にも工夫が感じられるものだ。

カッコよくなるには、カッコいい人のマネをどんどんすること。

2015年02月08日 | Weblog
カッコよくなるには、カッコいい人のマネをどんどんすること。

「もう一度会いたくなる人の話し方」中谷彰宏著より。

ただしこれは外見のことを言っているのではなかった。マネすべきは、枝葉ではなく見えない根っこの部分だった。

例があった、50代でTシャツの似合うおじさんがいたとする。話しているところもとてもカッコいい人らしい。それはTシャツがカッコいいわけではなかったのだ。

そのおじさんと同じTシャツを着てもカッコ良くなるわけではなった。おじさんは体を鍛えていた、と言ってもジムでやってはいなかった。週末に鎌倉にサーフィンをやりにいっていたのだ。

結果的にサーフィンで鍛えられた体だったのだ。そのときになじむのが着古したTシャツだったのだ。決してモテるためにやっていることでなかった。

ふだんからのライフスタイルがその人をカッコよく見せたのだ。話し方もその一部分になっているということなのだろう。

やりたいことと予算は常に関連している。

2015年02月07日 | Weblog
やりたいことと予算は常に関連している。

「もう一度会いたくなる人の話し方」中谷彰宏著より。

(前日のつづき)
自分がやりたいことをやるためには、そのかかる費用を常に頭の中に置いておくことが必要だった。チャンスが来た時に、多ければ多いほどいいというのは、まったく具体的ではない。

やりたいことには、いったいいくらかかるのかは最低限把握してなければ、チャンスも生かせないということだろう。

だから、雑談でたまたま話が出てきた時も、すらすらと数字がでてくることが、その人が前からずっと調べてやりたいことだとわかる。

やりたいことが複数あれば、それごとにかかる費用をしっかりとつかんでおく必要があったのだ。また、意外にポイントになるのは、やりたいことをどのくらいの期間でやるかでもあった。

「臨時に100万円入ったら何に使う」と聞かれたら・・・

2015年02月06日 | Weblog
「臨時に100万円入ったら何に使う」と聞かれたら・・・

「もう一度会いたくなる人の話し方」中谷彰宏著より。

そんな時にすぐさま頭に何が浮かぶのだろう。あまりそんなことは考えたこともなかった。実はそこですぐに自分なりの答えが具体的に出てくるものがやりたいことらしい。

一番つまらないのは、思い出せないからとりあえず貯金するというようなものだろう。100万円は大きくも小さくもない額だ。

自分に投資するというものを具体的に持っていればそれでも十分なのだろう。資格の勉強をするなどもいいらしい。自分への投資はやりたいことの一種だと言う。

しかし、それまでにきちっとその予算を知っていなければ漠然としている。やはり値段を知らないものは、好きなものでもやりたいものでもないようだ。

中谷氏は「ホームページ1つ見ない人は、お金があってもできない」という。つまりそれほど関心がないということだろう。いくらをどう使うかが具体的に語れる人ほど説得力はある。

「今ね・・・」と。雑談からスーッと入って、まずその場に溶け込む。

2015年02月05日 | Weblog
「今ね・・・」と。雑談からスーッと入って、まずその場に溶け込む。
「もう一度会いたくなる人の話し方」中谷彰宏著より。

こんな感じで話し始めるといいらしい。これをナチュラルトークと中谷氏は言っていた。その達人が鶴瓶師匠だという。

そう言われれば、テレビを見ていても、彼はどんなところにもスーッと入っていってしまう。実に親しみがあるあの笑顔で話しかけられたら、和んでしまいそうだ。

たとえば紹介もなしに、「今ね、ここのところにラーメン屋さんがあって・・・」と話し始めるようだ。かえって大げさな紹介よりもいい感じもする。

やや異なる例だが、犬の散歩ですれ違って話しかける時には、「名前なんていうの」と犬に聞くといいらしい。「信号待ちして偉いな」と犬に話しかけると飼い主も喜ぶという。

これは東京の人よりも大阪の人が得意なのだろう。ちょっとしたことが面白いものだと思った次第。

慣例に従っていたり、常識にとらわれていたりしたら、新しいことは起こせない。

2015年02月04日 | Weblog
慣例に従っていたり、常識にとらわれていたりしたら、新しいことは起こせない。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

これは藤田氏の言葉だった。この考えは今でも思っているそうだ。氏は26歳の時に当時最年少で会社を上場させている。誰もやってないことだった。当然ながら、猛烈に働いた結果だった。

上場時には大反対を受け、その後も世間からは強い逆風が吹いたという。しかし、がむしゃらに前に突き進んだようだ。

今でも意識的に組織をかき乱すことをしているという。それは刺激を与えて活性化のためだ。またこうも考えていた。年功序列の安心感の中で、ぬくぬくと過ごしていては、本来の実力は発揮されない、と。

顰蹙を買うのを恐れて、少しずつ変化させていたら、他者に出遅れてしまうという。それだけ変化のスピードが速まっているということだろう。最後に強い言葉があった。「変革を恐れない者だけが、先に行ける。とどまったままでは未来は無い」と。

善意は思わぬ形で実を結ぶ。

2015年02月03日 | Weblog
善意は思わぬ形で実を結ぶ。

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

見城氏の知り合いの方が地方に左遷されると、それまで甘い言葉をかけたりもてなしたりしていた人たちは、何も言ってこなくなってしまったそうだ。人間は現金なものだと思ったらしい。

しかし、見城氏はその人のことを好きだったということもあり、スケジュールの合間を縫って、年に4回彼のところに通い続けたのだった。それは意地だともいう。

すると、そんな行為は結果的に仕事面でとても有益になったという。それがタイトルにあげたことだった。

具体的には地方局の昼の情報番組で、見城氏の会社の本を紹介してくれたのだった。当然ながら本の売り上げに貢献したようだ。

また、見城氏が角川書店を退社し、幻冬舎を立ち上げた時は、大変だったという。百人が百人ともこけると考えたそうだ。四面楚歌だったらしい。

そっぽを向いた書き手も多かったという。しかし、快く引き受けてくれる人もいたのだ。そして6人の作家から幻冬舎はスタートできたのだった。

見城氏はこの6名の作家の恩義は、生涯忘れることはないという。誰も苦境にいる時に、手を差し伸べてくれた人は何より大切にするものだ、と結んでいる。

自分ではなく、相手のことを言う。

2015年02月02日 | Weblog
自分ではなく、相手のことを言う。
「憂鬱でなければ、仕事じゃない」見城徹・藤田晋著より。

これだけだと何のことかわからないが、次のように続いていた。「これが難攻不落の相手とのコミュニケーションを取る際の基本である」。

見城さんのところには、毎日たくさんの手紙やメールがくるが、心を動かすものはほとんどないという。それは自分のことばかり述べるからでもあった。

かつて、五木寛之さんと仕事をしたいと思って、作品が発表されるたびに手紙を書いたことが述べられていた。そして返事をもらえたのが、17通目だった振り返る。しかも内容は相手の刺激になるようなことを書かなければならなかったのだ。

その後25通目の手紙でようやく会っていただけたそうだ。こんなことは誰にでもできることではないだろう。だからこそその熱意が伝わったのだ。「幻冬舎」という社名も五木さんが名付け親だという。

チャンスに乗る。

2015年02月01日 | Weblog
チャンスに乗る。

「日本人は、こうすれば自信がもてる」齋藤孝著より。

これはそのまま、この部分の小タイトルだった。まず、例としてあげられているのが、高橋是清だった。この政治家は波乱万丈の人生を送ったが、楽観的な気質のために運が開けたようだ。

なにか不幸なことが降りかかるたびに、奇跡的に乗り越えてきたという。だから周囲の大人からは「運のよい子だ」と言われ続けたようだ。そして自身でも、運がいいと思い込んだという。

ある意味思い込みが継続すると、何か苦境に陥っても努力すればなんとかなるとも思えたようだ。そう思えばこそ頑張れたのだった。

別の例では松下幸之助は入社面接では「あんさんは運がよろしいですか?」と尋ねて、いいといった人だけ採用したそうだ。運がいいから大丈夫と言う前向きな姿を求めていたのだ。

また、齋藤氏は、自分の「運」に気づけるかどうかを見ていたのかもしれないともいう。運が巡ってきたときに、それに乗り遅れないことも自信になるようだ。チャンスはそのときに掴まねばならないのだ。