ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

どんな人生にも分岐点となるような出来事がある。

2008年04月21日 | Weblog
『世界は「使われなかった人生」であふれてる』沢木耕太郎著より。

(前日のつづき)
齢をとるにしたがって、残念ながら将来の夢は少なくなっていくようだ。それに反比例して過去の思い出が多くなってくる。先日あるお寺のベンチで休憩していたら、80代のおじいさんが60代後半らしい人に懸命に昔はよかったというような思い出話をしていた。

声が大きいので隣のベンチにすわっている私にも聞こえてきたのだ。まだ自然がたっぷりとあって川もきれでそこで泳ぎ魚がいくらでも捕れたというような話をしていた。もう60年以上前のことを実に鮮明に思い出して聞かせていたのだ。

それらはみないい思い出のようだった。いい思い出を持とうとするならやはりいまそれなりに行動していなければ無理かもしれない。だらだらとした日常は大した思い出にもなりそうもない。たとえば日記を残すことがそれに当たるかどうかは分からないが。

古き良き時代・・・誰にもそれなりに昔のいい思い出はもっているだろう。たしかに私にもそう思える若いころはあった。やはり子どもの頃まだたっぷりあった自然のなかで遊んだこともそうだった。実に健康的に遊びまわっていたことを思い出す。

少なくとも塾や習い事に追いまくられたりはしていなかった。部屋のなかでゲームで遊ぶこともなかった。振り返ればそんな“ない”ことのほうがよかったと思える時代を過ごせたということかもしれない。(かなりタイトルのテーマと離れてしまったか)