ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

けじめのない、荒唐無稽な、まったく意味のないギャグやキャラクター・・・

2008年10月21日 | Weblog
「文藝春秋」2008.10月号より。

これは、赤塚不二夫のギャグ漫画に出合った時、タモリが感じたことだった。タモリは赤塚不二夫によって見出されたといっても過言ではないだろう。出会ってから30年というから長い間、赤塚の影響を受けてきたともいえる。

赤塚不二夫が亡くなったのが、8月2日でタモリがその弔辞を読んだのが8月7日だった。7分間にわたるかなり長い弔辞は実に内容が濃いもので、名文にさえ思えた次第。しかも、後日それが白紙で前日酔っ払って原稿を書けなかったのでアドリブだったとか。(ここにはそのことには全く触れられていなかったが)

私も小中学生の頃、「おそ松くん」などのマンガを読んだものだった。しかも読むだけでなく、そこに出てくるキャラクターをよくノートや広告の裏紙に描いていたな。しかし、一見簡単そうに見えるキャラクターも描いてみるとそっくりに描くことは難しかったものだ。

タモリの弔辞のなかに『私に「お前もお笑いやっているなら、弔辞で笑わせてみろ」と言っているに違いありません。』という部分があるが、このようなくだけた表現はこのような状況ではふつうは使われないだろう。しかし、それは長年にわたる深い付き合いがあるからこそ許されることに違いない。だからこそ心がこもっているとも思えた次第。

さらに抜粋してみたい。『あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その場その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは、見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。』

なんと哲学的な部分だろうと思い、何度も読み返してしまった。(まだまだ抜粋したい個所はあった。)また、最後の言葉「私も、あなたの数多くの作品の一つです。」という部分もタモリ以外では言葉にできない部分だと思えた次第。今さらながら、この弔辞(名文)がすべてアドリブだとしたら本当にすごい!・・・・な。