「回転どあ/東京と大阪と」幸田文著より。
これは“いのち”というテーマで書かれたエッセイのなかにあった一文だった。ここでの、“いのち”とは竹のことだった。その勢いのすさまじさに驚かされたという話だが、それは竹を一度庭に植えたことがある人なら経験しているのではないだろうか。
実は私の家の庭にも竹があるので毎年それを痛感している。孟宗竹のような大きなものではなく、直径3~4センチほどのものだが、20年ほど前に庭が殺風景だと寂しいからと3本ほど買ってきて庭の片隅に植えておいた。
はじめの4、5年は涼しげでよかったものの、その後は毎年6、7月の梅雨時になると大量に芽を出すようになってしまった。結局そのままにしておいたら庭が竹やぶになってしましそうなので、数本だけ残して伸び始めに根元から切るようにしている。
ここに書いてあったのは、あるお宅では床下から筍が伸びてきて、畳を押し上げたというものだった。それは、えたいの知れない生きものに出合った思いであった、とある。本当に竹は地中深くに根を張っていて、勢いがつき出すとどこから芽を出してくるか想像もつかない。
このエッセイでは、「竹は、生きるいのちの無気味を知らせてよこす植物だ」という結びになっている。何となく実感!だから、はじめに竹を庭の片隅に植えてしまったことを後悔している次第。もはや手遅れ・・・
これは“いのち”というテーマで書かれたエッセイのなかにあった一文だった。ここでの、“いのち”とは竹のことだった。その勢いのすさまじさに驚かされたという話だが、それは竹を一度庭に植えたことがある人なら経験しているのではないだろうか。
実は私の家の庭にも竹があるので毎年それを痛感している。孟宗竹のような大きなものではなく、直径3~4センチほどのものだが、20年ほど前に庭が殺風景だと寂しいからと3本ほど買ってきて庭の片隅に植えておいた。
はじめの4、5年は涼しげでよかったものの、その後は毎年6、7月の梅雨時になると大量に芽を出すようになってしまった。結局そのままにしておいたら庭が竹やぶになってしましそうなので、数本だけ残して伸び始めに根元から切るようにしている。
ここに書いてあったのは、あるお宅では床下から筍が伸びてきて、畳を押し上げたというものだった。それは、えたいの知れない生きものに出合った思いであった、とある。本当に竹は地中深くに根を張っていて、勢いがつき出すとどこから芽を出してくるか想像もつかない。
このエッセイでは、「竹は、生きるいのちの無気味を知らせてよこす植物だ」という結びになっている。何となく実感!だから、はじめに竹を庭の片隅に植えてしまったことを後悔している次第。もはや手遅れ・・・