素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

剪定リサイクル培養土の配布

2014年05月21日 | 日記
交野市では、公園やのり面で剪定された枝や葉を使って培養土をつくり年一回無料配布している。希望者は往復はがきで申し込むと日と時間が指定されたハガキが返って来る。妻から取りに行くことを頼まれた時に例年のことなので気楽に引き受けていた。

 今日がその日だったが、「これだけあるんやけど、車に乗るかな?」と渡されたハガキがなんと7枚。知人の分も預かってきたそうだ。知人たちは1~3袋でいいので残りは我が家で引き取るとのこと。思わず「35袋!?1袋18kgだから630kg!」と無意味な計算をしてしまった。1回でむりなら2回に分けて運ぶしかないのである。

 フリードの最後部の座席をあげてブルーシートを敷いたが、ここだけでは無理かもしれないと思い後部座席にもブルーシートを敷いておいた。正解であった。

 会場に着くとハガキチェックの後、シルバーのボランティア5人一組で待ち受ける積み込みスペースへ、リーダーの「35」という声に何ともいえない声があがった。普通であれば一人で1つの袋を入れたら、少し休めるのだが、連続7回入れるとなると中高年にとってはかなりきつい作業である。「1,2,3・・・・」と入れるたびに数を各自カウントしていくのだが、25を過ぎるとさすがにトーンダウンしてきた。「あといくつや?」という声は限界が近い証拠。何とかすべて積み込むことができたが、帰り道、降ろす時は一人でしないといけないと考えると少々気が重くなった。知人の家の分を各家で降ろしても我が家には27個は残る計算になる。

 駐車場に降ろし、そこから1袋づつ裏まで運んでは積み上げる作業、単純なことの繰り返しだけにこたえた。頭の中で♪ヴォルガの舟歌♪が流れた。

フォレスタ ヴォルガの舟歌 HD


 この山が、1年かけてきれいな花や野菜にかわっていくと思えば苦労の甲斐もあろうというもの。
 
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昨日の夕刊で、コングレ社長を見て「アッ!とおどろく為五郎」

2014年05月20日 | 日記
 夕刊は15時過ぎにはポストに入る。ジムから帰って休憩がてらパラパラと見るのが習慣になった。朝刊に比べたら分量も少なく内容も薄い。以前「夕刊はいらない」と販売店に言ったが「やめても料金は変わらない」と言われたので「それじゃ、まあいいか」と続けているので流し読みになることが多い。
 今日は違った。7面に「コングレ社長 武内紀子さん」とあり大きな顔写真が掲載されていた。「オッ!ひょっとして!?」と座りなおした。
 村野中学校で1年の時に担任した武内紀子さんと違うか?と思った。顔も面影がある。99%はまちがいないという気持ち。1%は思い込み。何しろ40年近く前なので100%自信は持てない。それでもその瞬間にタイムトラベルしてしまったので99%の確信で話しを続ける。もし違う人であれば「ごめんなさい」とあやまるしかない。

 村野中学へ新任で入り、いきなり3年に所属しての悪戦苦闘は以前にもふれた。次の年も学校の事情で担任として3年に残った。この学年が2期生で、たびたび同窓会を持ち今、一番親交のある学年である。たくさんの良き思い出もでき今では良かったと思っているが、当時の私は「理不尽やな」という思いも半分あった。1,2年の頃を知らない3年を、教師になって右も左も分からない身で2年続けて持つというのは荷が重かった。

 3年目にして待望の1年の担任として迎えたのが武内さんたちである。「やっと普通の形でスタートできる。」と喜びも大きかった。失敗をしてはいけない。という2年間のプレッシャーから解放されて、伸び伸びと教育実践をした。しかし、1年後また学校の事情で持ち上がることができず、3年に所属し、卒業するまで授業で関わることはなかった。1年間だけの付き合いに終わっただけに余計に印象が強い。

 また、クラスのメンバーも個性豊かでパワフルであった。個々の事例は言えないが、1年生の時のそれぞれの課題を克服して2年後にたくましい姿で卒業していくのを見て、中学校の3年間で、生徒は心身ともに大きく成長するということを初めて実感した。ここから「3年で一本勝負」という長期的な視野を持って教育実践を考えるようになった。

 文化祭で、戦争をテーマに展示をした。私自身が張り切ってパネルを借りてきたりして生徒の意見よりも担任ペースで事を運んだ結果、展示としては見栄えのするものになった。しかし、片付けに入ると苦労して作った模型などを破壊に近い形でこわしていく生徒が数多くいた。その様子を見ていて、自分の取り組み方のまちがいを反省した。それからは、生徒の声に寄り添いながら作りあげていく展示を心がけた。すると片付けの時、それぞれの作品を慈しみながらていねいに、しっとりした雰囲気の中が出来上がるのである。過程の大切さを教えてもらった学年だと思う。

 武内さんのことで印象にのこっているのは授業での反応。私はよく数の生い立ちなど数学史の話題を挟み込んで、単なる問題を解くだけの数学ではなく人間が生きていくうえで必要であったから生まれたということも伝えようとした。そういう部分になるととってもいい表情で話しを聞いてくれていた。

 夕刊を読みながら、古い記憶の地層の中から当時のことをいろいろ思い出した次第。

  就職が決まっていた不動産関連会社の社風に違和感があり、就職活動を仕切り直してコンベンション企画運営会社に入社したという話も「らしいな」と受けとめることができた。静かなファイターというのが私の抱いていたイメージ。
 人生の中で、縁あって出会いの機会のあった人が、自分らしさを発揮して活き活きと活動している姿を見ることは嬉しい。そして、自分もしっかり生きていこうと元気が出るのである。
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続・「日本の中世」から「今」を考える

2014年05月19日 | 日記
 国力と人口は密接な連関を示すことは現代の世界を見ても明らかである。今、日本で少子化や過疎化のことが問題になっているのもそのことに大きく起因する。講義の中で歴史を人口増から考えるという新しい視点が得られた。中世がすっぽり入る1000年で600万から1200万と微増に過ぎなかった人口が1600年から1700年の100年間で倍増の2400万~2500万になった。江戸時代は中世に倍する国力を有していたと大雑把に言える。そのことから、「公権力」が強くなり法を犯したものへの取り締まりがきちっとなされることと「平和」は比例関係にあるといえる。「公権力」の中身については別にして、利害の対立する者の集まりである社会を安定させるためには「公権力」は必要である。

歴史を俯瞰すると、混乱期(戦国)と安定期(平和)の繰り返しである。混乱の中から強力な「公権力」が生まれると一定の秩序ができ安定する。しかし、それは強力な力を背景に反するものを押し込めたに過ぎないので、時の経過と共にそれらは噴出してくる。その繰り返しを通じて、より多数の人間にとってましな「公権力」が形成されていくということに思いが至った。

 「アラブの春」と呼ばれた、2011年初頭から中東・北アフリカ地域の各国で本格化した一連の民主化運動によって,チュニジアやエジプト,リビアでは政権が交代したが、その後の混乱は新しい秩序を打ち立てる難しさを示している。100年単位の時間が必要なのかもしれない。

 「世界の警察」を自他共に認めてきたアメリカも相対的に力に陰りが見えてきた」。となると、創立から間もなく70年になる国際連合も過度期を迎えているのかもしれない。 英語表記の「United Nations」は第二次世界大戦中の枢軸国に対する連合国を指す言葉であり、「国際連合」は意図的な誤訳である。(中国語ではそのまま「聯合國」と呼ばれる。)このあたりをしっかり踏まえて、「国連」に幻想を持ち過ぎないことだ。欧米対中露という構図ができつつある。ただ、英・仏もEUをめぐって民族主義的な勢力が勢いを持ってきて不安定な要因を抱えている。

 国連と日本国憲法の誕生は第二次世界大戦後の国際社会の指針を示したもので不可分のものと考えてよい。

 国という単位を越えて広がっていくのが「経済」と「宗教」である。この2つが新しい局面を迎えてきたことは明白である。これから20年ぐらいは、新しい秩序を模索する時代になりそうである。  そういう視点で今、大河ドラマ「軍師 官兵衛」を見ると面白い。

 また、gaccoは6月16日に開講する早稲田大学政治経済学術院准教授の栗崎周平さんの『国際安全保障論 ~戦争と平和のパズルを分析的に読み解く~』受講することにした。

 講座内容は以下のようになっている。今の関心事にピッタリである。

この講義では国際関係、とくに昨今の日本を取り巻く安全保障環境を理解するために、国際政治学における主要な理論や実証的な知見を概観する。安全保障の戦略的環境は戦争の影、つまり武力行使の可能性によって特徴付けられる。よってこの授業では以下の4つの論点について講義を行う。

(1)戦争の(政治的)原因のミクロ的基礎を理解するための戦争に関するパズルとその解としての戦争原因のモデル。クラウゼヴィッツの戦争の定義から、戦争とは何かを理解し、その原因を探ることで、なぜある国は軍事的な挑発行動をとり、なぜ核開発を行い、またなぜ領土紛争は武力行使へのエスカレートしやすいのかを説明する。

(2)政府や政治指導者が直面する国内政治上の諸問題や利害関係、そして国内の政治過程を規定する政治制度は、政府の外交政策の策定や履行に大きな影響を与える。それは時に国際紛争を誘発し、また時には紛争の平和的解決を促進しうることを論じる。

(3)国家が自国の安全保障を図る際に、軍事的緊張や武力衝突の発生を予防し、さらに既存の秩序や平和といった現状を維持しようとする施策は抑止である。抑止には核兵器を背景とした核抑止と、通常兵器を想定した通常抑止の二つの論理が存在する。ここでは冷戦期から今日に至る核戦略の変遷を辿り、また米軍の抑止力に依存する日本の拡大抑止政策の成否に関する実証結果を概観する。

(4)軍事同盟は国家が採用する安全保障政策の最も伝統的な選択肢であり、日本の防衛政策は日米同盟に深く依存する。しかし、国際政治学の理論から眺めると同盟を締結することの合理性には疑義が生じる。更に、沖縄の基地問題など大きな国内的な政治問題の原因ともなっている。それにも関わらず、なぜ日本政府は同盟を堅持するのであろうか。逆説的ではあるが、同盟は大きな政治リスクを抱えるからこそ機能しうることを解き明かす。近年の国際政治学は、ゲーム理論を採用することで、多くの理論が書き換えられている。

この講義ではその成果を取り入れつつ、実証研究での知見に裏打ちされた新しい国際政治学の論理を用いて、これら4つの論点を解き明かしていく。
 
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「日本の中世」から「今」を考える

2014年05月18日 | 日記
gaccoの「日本中世の自由と平等」の講座を受けながら、今の国際状況と相似形だなという思いをずっと持ってきた。最終レポートが完成したのでそのことについてやっとまとめる余裕が生まれた。

 私が最初に面白いと思ったのは、week2の『御前落居記録』の話である。
 室町幕府の政務は、斯波・細川・畠山の三家から交替で選任された管領(かんれい)とその下で行政事務を担当した奉行人でとりしきっていたが、第6代将軍義教は意欲的で、審理や訴訟の審理を行う評定の場に、自ら臨席し、その案件を裁可した。これを「御前落居」と呼ぶ。永享2年(1430)9月2日より永享4年12月25日までの72の事案を収めた室町幕府の評定の記録が『御前落居記録』である。

 その中の1つ、小笠原持長の訴えが紹介された。小笠原持長は幕府の軍事方である奉公衆である。また、将軍義教の弓の師範でもあった。その持長が叔父の持忠から備中国草間村の土地を譲られた。しかし、実際にはその草間村は守護の細川氏がガッチリ支配していて、持長の意のままにならないので、幕府に細川氏の非を訴えた。

 当時の土地の譲渡は親から子供が大原則であったので、叔父から甥への譲渡が有効か?無効か?ということを、将軍の命で奉行人が審理した。その結果、過去の事例、法令などから「有効である」という裁可が下された。そして、草間村の正当な所有権は小笠原持長にある。と記録されている。
 しかし、それで事態に変化があったかといえば「No」である。細川氏は草間村を実効支配し続けることになる。そのあたりの部分を本郷さんはこう語っている。(余分な話は、適当に割愛させてもらった)

 おじさんからお前はもらっていいんだぞって言われたんだけどいや、そうじゃないでしょう 将軍様って。
私が幕府にお願いしたいこと、将軍様にお願いしたいことはそうじゃないんですよっておそらく持長は言うんじゃないかなと。 
それは何かっていうと、おじさんから草間村の文書を私は譲り受けました。
そこで私はその文書に従って草間村を支配しようと思いました。草間村から税金を取ろうと思いました。
ところが現状を見てみると岡山県、備中の国の守護、武士のリーダーである細川氏がその草間村をガッチリつかんで放しません。
何とかしてください。
これじゃ、税金取れないじゃないですか。支配ができないじゃないですか。
この細川っていう連中はちゃんとした文書(もんじょ)も持ってないのに、草間村を自分の力で実効支配しちゃってるんですよね。
それはおかしいでしょう。あいつら何の根拠もなく、その草間村を自分のものにしちゃってるわけですからこれを何とかしてください。
これが持長のお願いなんですよ。
だけど幕府はそれを知ってか知らずか、スルーするわけです。もう、そこのところには耳を傾けないわけです。
あなたの持っている文書、おじさんからあなたに対しての譲り与えはオッケーですよ。それでおしまいなんです。

 実際問題、幕府が、例えば持長のお願いをきちっと受け止めているんだったら、よし、わかった。
幕府の兵を動かそう幕府の兵を動かして備中の国の草間村を取り戻してやる。おまえのために取り戻してやるってというのが本当なんです。
だけど幕府はそこんとこは言わないんですよ。そもそも幕府はそういうことをやるつもりが最初からないわけです。

そこのところは僕にはよくわかんない。だって、僕らの世界では僕らの社会では、きちんと文書の上で合法的な文書を持っている人間が、文書に名前が記されている人間がその土地の所有者である。それを例えば裁判所も警察も後押ししてくれるはずじゃないですか。

室町幕府の御前落居記録(ごぜんらっきょきろく)に書かれていることは違うんですね。
だって、小笠原持長がその土地の所有者であることは文書の上からは疑いが無いんです。
疑いが無いんですけど、少なくとも将軍は幕府がそれを実行しようとしないんですよ。

 
 この話を聞いていた時、私の頭の中には南シナ海で衝突しているベトナムと中国やウクライナでの親ロシア系住民の動き、尖閣、竹島、北方領土の領土問題が同時に浮かんできた。「力による実効支配は許さない」「国際法に則った解決を」という主張は持長のものと同じだと思った。

 室町幕府にあたるものが国際連合?しかし、その国連の安全保障理事会が頻発する民族問題、領土問題に有効に機能できていないのも事実である。発足以来70年近い歩みの中で、常任理事国5か国の利害対立が克服できたかといえば現実は厳しい。むしろアメリカ、ロシアを中心とした力によって抑えてきた矛盾が噴出しつつあるのが今の国際情勢ではないかと思う。

 確かに、今の日本は法による支配によって、自分を守るための武器を持たなくても自由に暮らすことのできる社会になってきたと思うが、国際社会ではまだまだその部分は未成熟である。日本中世と同様の力の強いものだけの自由がまかり通っている現実がある。

 こういう状況を踏まえて、憲法解釈ではなく憲法改正論議を深めていかなければいけない時に来ているのかなと漠然と思った。スタミナが切れたので続きは明日。

 
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ぎりぎりセーフで、gaccoの最終レポート完成!

2014年05月17日 | 日記
 実家まで、資料を持ち帰ったものの雑用をこなしながらまとめることはやはりできなかった。800字という制限の中で、3つの語句、「人口の増加」(⇒平和に関連する内容)と「所有権の未成熟」(⇒自由に関連する内容)と「熊谷直実」(⇒平等に関連する内容)を用いてまとめることは想像以上に難しかった。今日は紫外線対策をしかりして下さい。という警告が何度も天気予報でなされていたが水やり以外は外に出なかった私には無縁のものだった。

 そのおかげで、何とか21時にはまとめることができた。苦労はしたが充足感はある。

 中世を動かす両輪、朝廷と天台・真言の仏教世界の権力は、共に家格と世襲によって維持されていた。しかし、不知行より当知行が重んじられていたように土地所有権の未成熟さから荘園・公領制という複雑なシステムが出来上がった。個々の所有権を認めても完全に保護する強さのない伝統的な公権力に対して、時の経過と共に土地を実効支配できる力を持つ武士の台頭は自明のことである。自立した戦国大名の覇権争いの最後に、出自の不明な秀吉が関白、太政大臣の地位を得て太閤検地、惣無事令、刀狩り等によって戦国時代を終焉させたことは、自由が次第に成長(=所有権の成熟)していく中世という時代を象徴しているように思われる。
 また、朝廷とパラレルな関係にあり、家格と世襲という原理で動いていた比叡山を去って、専修念仏を説いた法然が武士、農民の違いを越えて老若男女から支持されたことも注目に値する。武士の中から熊谷直実、宇都宮頼綱ら熱心な信者が現れた。日々生死の間に身を置き、数多くの殺生を重ねてきた彼らは念仏に新しい救いを見出しただけでなく、荘園を支配する伝統的な権威と戦うために、「阿弥陀仏の前では、皆平等である」と説く法然の教えを進んで受け入れた。摂政九条兼実と法然の法話の場に近づけない熊谷直実の不平等への無念の叫びはそのことを物語っている。
 主従関係で成り立つ織田信長に代表される戦国大名と平等思想を内包し、一国を越えて広がる一向宗との衝突は必然的なことでもあった。一向宗の敗北は、中世に芽ばえた平等の芽が摘み取られたと言ってもよい。
 そして、身分の固定と世襲をベースにした江戸幕府の新たなシステムを受け入れることで、中世を含む約1000年間で微増に過ぎなかった人口の増加が江戸初期100年で爆発的な増加を見た。現代の我々の持つ自由と平等をあきらめる代わりに得た「平和」が人口増をもたらしたとも言える。
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