素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

♪野崎参りは~♪

2014年05月03日 | 日記
大東市の野崎観音(慈眼寺)の「野崎まいり」が1日から始まっている。元禄時代から300年以上続いてきた世の中のすべてに感謝のお経をささげる行事である。落語や歌謡曲の題材にもなり、小さい時からどこにあるかも知らないまま東海林太郎の真似をして♪野崎参りは~屋形船でまいろ~ どこを向いても菜の花ざかり 粋な日傘にゃ 蝶々もとまる 呼んで~見ようか~土手の人♪ まさか近くに住むようになるとは思いもしなかった。この歌、昭和10年に今中楓渓作詞、大村能章作曲でできたもの。枚方二中に転勤した時に校歌の作詞が今中楓渓となっていて「同じ人ですかね?」と隣にいる人に何気なく訊ねたら「そうなんです。僕のお祖父さんなんです」という答が返って来て驚いたのも懐かしい思い出。

 前置きが長くなったが、野崎参りに行って来た。屋形船ではなく、忍ケ丘の駅前のドラッグストアに車を停めて、東高野街道を歩いてみた。道中は公園や家々で咲いている花を楽しみながらの気楽な歩き。匂いで楽しませてくれたのがニセアカシアとジャスミンの花。
 
 甘い香りが5月の風に乗って運ばれてきた。特に、ジャスミンを育てている家が多かった。忍ケ丘から20分弱歩くと四條畷市立歴史民俗資料館があった。電車からはよく見かけたが車道からは奥まった所にあるので遠い存在であった。せっかくの機会なので中を見学することにした。
  中は四条畷市で発掘された土器などが中心に展示されていた。入口にあった古代の河内湖の地図を見ていると中沢新一さんの「大阪アースダイバー」を思い起こされた。東高野街道はちょうど河内湖の縁を通る道であることがわかる。古代では重要な官道であったことも納得できる。
  「これはきれいだ!」と思わずつぶやいたテッセンがあった。たくさんのテッセンを見てきたがこの花の種類は初めてだった。
 歩いて1時間余りでやっと参道の入り口に着いた。野崎駅から道の両側に露店がズラリと並んでいたが混雑ぶりに行くのはあきらめて、すぐに参道を歩く。道幅が狭いので露店は片側だけ。落語であれば「その賑やかなこと」と鳴りものが入るだろう。
  ステップワークの練習みたいにスルりスルりと人を避けて歩く。昔懐かしい露店から今を感じる露店までありとあらゆるものが来ている感じである。そこから出てくるエネルギーがすごい。200mほどで本堂への石段となる。これはきつい。山門近くになると威勢のいい太鼓の音が聞こえてきた。不思議と元気が出る。
  地元の和太鼓集団「魁」による演奏である。スタッフの方によると年々うまくなっている。とのこと。 そこからもうひと階段上ると本堂である。本堂横の十六羅漢像は見応えがあった。
    下るとお染久松の塚があった。♪野崎参りは 屋形船でまいろ~お染久松 切ない恋に 残る紅梅 久作屋敷・・・♪と二番にあり歌ってはいたが実際の話は知らなかった。太鼓のあと紙芝居をしていたが帰りの時間が気になって落ち着いて見ることができなかったので大東市のホームページであらすじを読ませてもらった。
   新発見がいくつかあった「野崎まいり」であった。 

 
  
コメント
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