素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

広報「かたの」の取材で交野三中の体育祭に

2010年09月25日 | 日記
 子ども3人もお世話になった交野三中の体育祭の写真を、去年に引き続き撮りに行った。基本的なスタイルは開校以来変わっていない。開会式を見た時、クラスの数が少なくなったと感じた。

 プログラムを見ながら一日写真を撮るのはスタミナがいる。しかし、たまには“若さはじける”場に身を置くのもいいものだ。学習の場である学校だが、非日常的な“祭”も必要だ。ここが塾との違いになる。“祭”は集団の連帯を確認する場かもしれない。連帯こそ人間にとっていちばん大切なことだと説く学者がいる。

 人びとのあいだの連帯は社会にとって必要なだけでなく、各個人にとってもこの上なく重要である。連帯を失ったら正気な人でも、メチャクチャ狂暴になる。「無連帯」を『アノミー』という言葉で表現される。アノミーによって引き起こされた結果が「無秩序な集団」「無規範な社会」をつくる。

 連帯は「権威」によってつくられる。“祭”が機能しているということは、さまざまな立場、地位の人間が一つの「権威」(それを神でも伝統でもどう呼んでもいい)のもとに連帯しているということである。

 学校での学習は“個”に向かう作業である。「学力問題」に振り回されて、行事を削ることのないようにしなければいけない。世の中には、個に埋没できる機器がどんどんつくられ普及している。アノミーの蔓延する素地は充分ある。

 というようなとりとめのないことを考えながら、秋の一日運動場のあちらこちらに動きながら写真を撮っていた。去年はたまたま広報に載せてもらったが、今年は他の中学かもしれない。もったいないのでデジブックにしてみた。損得抜きで打ち込む姿は好きだ。


デジブック 『交野三中体育祭』
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一気に最高気温が10℃も下がるとは

2010年09月24日 | 日記
 一昨日の最高気温が32℃。今日が22℃。調子が狂ってしまうのも無理はない。体調がすぐれないという話をよく聞く。裏の家で飼われている老犬は元気になっていた。先週あたりは立つこともままならず、大きな息をして横たわっていた。「もうだめかなぁ」と話していたが、今日はヨロヨロとはしていたが歩き回っていた。先日、ニュース特集でペットの高齢化問題を扱っていたが裏の犬の姿を見るにつけ現実感を持つ。


猛暑のため、「咲かない咲かない」とニュースにもなっていた曼珠沙華もようやく姿を見せてくれた。色づいた稲穂とよく合う。秋の空気にホッとする。


 イチローの10年連続200安打、白鵬の60連勝到達とスポーツ界では連続記録の話題で盛り上がっている。心技体をベストの状態で維持していかなければできないことなので敬服する。テリー伊藤の「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」を読んでから、中日が優勝するかどうかが気になっている。残り3試合まできたが、さてどうか?

 
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生態系における物質循環

2010年09月23日 | 日記
 先日、大阪市立大学植物園で開催された“環境講座”で植松先生は、突き詰めれば地球上の生物は分解者と生産者と消費者の3つに分けられる。そして物質はこの三者の間を循環している。その結果、46億年の長い年月をかけ、地球上に酸素をため、豊かな生態系を作り上げてきた。皮肉にも消費者ピラミッドの頂点にいる人間によって物質循環が壊され、地球の危機が叫ばれる事態になってきた。という話を冒頭にされた。

 その時、私の頭に浮かんだのは奈良公園である。寺社仏閣、仏像などを見るためたびたび奈良を訪れるが、奈良公園を歩いている時、“フンコロガシ”の存在を思い感動に近いものをいつも覚える。

 ずい分前だが、TVで「奈良公園にはあんなにたくさんの鹿がいて、糞をしているにもかかわらず、糞害というものがない。誰が掃除していると思いますか」という問いかけがあった。「そう言われればそうだ」と頭にガツンときた。そして主役の“フンコロガシ”の奮(糞?)闘ぶりが紹介されたのだが、唸ってしまった。

 散歩中の犬が、新聞紙やビニール袋に用を足している場面に出くわすことがある。飼い主のエチケットとして当然のことなのだが、私はとても不自然な光景に映り嫌いなのである。理屈ではなく犬の姿に哀れさを覚える。もっと自然にのびやかにすればさぞ気持ちが良いだろうと思ってしまう。土をアスファルトで覆ってしまった宿命なのである。便利さ快適さの裏で失われていくものを考えてしまう。

 昨日、池上彰の学べるニュースSP!の「生物多様性条約」の解説の中で、奈良公園の芝生がなぜきれいかということが“生物多様性”の例として紹介された。嬉しくなって写真を撮ってしまった。新聞を読んでいた妻は突然の行動に驚いたらしく「何してるの!?」「気は確かやから大丈夫矢で」と返事して、いつになく熱く“フンコロガシ”のことを語ったのだが、“ふんふん”ではなく“ふ~ん~”それがどうしたという顔であった。

                      せめて奈良公園のこの光景だけは残していかないといけない。 


  

 
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中秋の名月、ほんの少し楽しめました

2010年09月22日 | 日記
 蒸し暑さがもどったという感じで、朝から蒸し暑かった。午後、久しぶりに“星のブランコ”に行ってみようかということになった。吊り橋のあたりには萩の花が群生しているので、秋らしさを味わってこようということである。裏からの道は木陰になるので結構涼しく感じる。30分弱の登りなので手頃である。秋を探しながら歩いた。

    平日の午後ともなれば訪れる人もほとんどなく静かであった。萩の花は見頃を少し過ぎたが、まだ充分楽しむことができた。


JTBの旅物語の冊子で、この“星のブランコ”のバスツアーが企画されているのを見つけて驚いた。「有名になってきたんだ」と思いつつ久しぶりに渡った。まだまだ森は緑。吹く風はさすがにさわやかである。

 夕方から夜には雨が降るという予報だったので、今日の月見はできないと思っていたが、ワイワイと外が騒がしいので出てみると、流れる雲間から月が見えた。何となく得をした気分になれた。

    

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「天の岩戸」に寄り道をする

2010年09月21日 | 日記
伊勢市から実家のある磯部町に抜けるのは伊勢道路が便利である。伊勢から向かう場合、志摩路トンネルを抜けると、磯部町まではグネグネと曲がった長い下り坂となる。逢坂峠といわれている。途中に「天の岩戸」の案内板がある。いつも素通りしていたが、少し時間にゆとりがあったので20数年ぶりに立ち寄ってみた。
 車が対向できるかどうかの細い道を2kmほど進むと石の鳥居が見えてくる ここから少し先に行くと駐車場がある。前に来た時にはすぐ近くまで車で行くことができ道端に止めたものだが、今は駐車場から300m余り歩かないといけない。
 杉木立の中の歩道はよく整備されていて驚いた。パワースポットとして注目されているらしい。ほどなく、滝と“天の岩戸”と呼ばれている水穴に着く。
   このあたりもよく整備されていることに驚いた。私が中学生の頃の天の岩戸は昼間でも肝試しの場所として通用する不気味さが漂っていた。白装束で滝にあたっている人がいたり、老婆の巫女さんが信者の人の体を呪文を唱えながらさすり、時々ペッ!と唾を吐く光景があった。うっそうとした中でのことだったので今だに脳裏に焼きついている。その話を弟にしたら、やはり同じように覚えていてトラウマのように残っていると言っていた。横溝正史の八墓村の世界そのものだった。

 今は、きれいに整備されさわやかな雰囲気がいっぱいになっている。湧き出ている水は日本名水百選にもなっている。以前にはなかったが、山の奥の方にある風穴への道が作られていた。初めてなので好奇心で足を延ばしてみた。
 雰囲気の良い道であった。300mほど登っていくと岩がごつごつした所に行き着いた。風穴から出てくる涼風が汗ばんだ体に気持ちが良かった。
  ハイキングコースとして整備しているみたいなので楽しみである。

 昔のことを思い出しながら寄り道をするのもいいものだ。 
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