素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

情報の量と質の問題はむずかしい

2010年09月27日 | 日記
 NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が先週最終回となり、今日から「てっぱん」が始まった。「ゲゲゲ・・」は久々のヒットとなった。忘れていた高度成長をはさんだ戦後の昭和の生活模様の中に「ああいう時もあったよな」とた自分の歩みを振り返るきっかけとなった人も多かったのではないかと思う。

 私も「ちりとてちん」以来久しぶりによく見たのだが、時々興ざめになった時がある。原因は、今週はこうなるというあらすじが余りにもていねいに流されるために、ドラマの醍醐味の一つ「次はどうなるだろうか?」というワクワク感、イライラ感が味わえないのである。サスペンスで、事前に犯人を知らされてから見るようなものである。宣伝も大切だと思うが、どこまで知らせるかという部分はもう少し考えた方がいい。特に、NHKでは力をいれている番組ほどそのことが目に付く。

 もう1つは、事前に舞台裏を見せすぎる。ドラマという虚構の世界を楽しみたいのに、事前にまたは途中で舞台裏を見てしまうと作品を見る時邪魔になる。製作秘話は全てが終わったあと、おまけに二度目を楽しむために用意されるべきである。

 このあたりのことは、情報時代と呼ばれる昨今の世相を反映しているのかもしれない。事前に情報が与えられていないと不安であるという心理。旅行の名所、名物でも昔に比べれば情報の量は格段に多い。ただ、余りにも事前にイメージができすぎて、現場では「確認」という感じになってしまい、本来の感動というものが得られないという現象も起きる。

 情報の量と質の「ほどよさ度」はむずかしいのだが、私としては、自分で適度に取り入れたり、シャットアウトしたりしてコントロールする以外にはないかと思っている。腹六分ぐらいで生にあたり、その後、あふれるほど流されている情報によって満腹になる。という楽しみ方を心がけている。

 思いがけない発見、展開のなかに人生のおもしろさがある。
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