素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

生態系における物質循環

2010年09月23日 | 日記
 先日、大阪市立大学植物園で開催された“環境講座”で植松先生は、突き詰めれば地球上の生物は分解者と生産者と消費者の3つに分けられる。そして物質はこの三者の間を循環している。その結果、46億年の長い年月をかけ、地球上に酸素をため、豊かな生態系を作り上げてきた。皮肉にも消費者ピラミッドの頂点にいる人間によって物質循環が壊され、地球の危機が叫ばれる事態になってきた。という話を冒頭にされた。

 その時、私の頭に浮かんだのは奈良公園である。寺社仏閣、仏像などを見るためたびたび奈良を訪れるが、奈良公園を歩いている時、“フンコロガシ”の存在を思い感動に近いものをいつも覚える。

 ずい分前だが、TVで「奈良公園にはあんなにたくさんの鹿がいて、糞をしているにもかかわらず、糞害というものがない。誰が掃除していると思いますか」という問いかけがあった。「そう言われればそうだ」と頭にガツンときた。そして主役の“フンコロガシ”の奮(糞?)闘ぶりが紹介されたのだが、唸ってしまった。

 散歩中の犬が、新聞紙やビニール袋に用を足している場面に出くわすことがある。飼い主のエチケットとして当然のことなのだが、私はとても不自然な光景に映り嫌いなのである。理屈ではなく犬の姿に哀れさを覚える。もっと自然にのびやかにすればさぞ気持ちが良いだろうと思ってしまう。土をアスファルトで覆ってしまった宿命なのである。便利さ快適さの裏で失われていくものを考えてしまう。

 昨日、池上彰の学べるニュースSP!の「生物多様性条約」の解説の中で、奈良公園の芝生がなぜきれいかということが“生物多様性”の例として紹介された。嬉しくなって写真を撮ってしまった。新聞を読んでいた妻は突然の行動に驚いたらしく「何してるの!?」「気は確かやから大丈夫矢で」と返事して、いつになく熱く“フンコロガシ”のことを語ったのだが、“ふんふん”ではなく“ふ~ん~”それがどうしたという顔であった。

                      せめて奈良公園のこの光景だけは残していかないといけない。 


  

 
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