素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

今年は松尾芭蕉「奥のほそ道」で

2022年01月08日 | 日記
 昨年は「百人一首」の世界に踏み込んだ。カルタ遊びや高校時代の暗記の宿題という表面だけのお付き合いしかしていなかったが、踏み込んでみると結構、奥が深くさまざまな側面から楽しむことができた。藤原定家という人物の存在の大きさを見直した。

 平安末期から鎌倉初期という時代に生きたことが和歌の世界を集大成するという運命を必然的に背負ったのではないかとつくづく思った。
 
秋の夕暮れを歌った「三夕(さんせき)の歌」で有名な一首に定家の今までの伝統的なもの、花や紅葉を歌い上げることを否定しようとする意気込みを感じることができる。
新361「さびしさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮れ」(寂蓮)
新362「心なき身にもあはれ知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」(西行)
新363「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」(藤原定家)

 それと同様のものを松尾芭蕉の人生から感じ取ることができた。きっかけはNHKの「100分で名著」で俳人の長谷川櫂さんが「おくのほそ道」について話すのをj聞いたことである。

 脈々と人の心を詠み続けてきた和歌に対して、言葉遊びの文芸として低い地位にあった俳句でも人の心が詠めることを証明したのが芭蕉だという。その転換点に詠まれたのが有名な「古池や 蛙(かわず)飛びこむ水のおと」。長谷川さんの話を聞くまでは、古池に蛙が飛びこんで水の音がした。という程度だったが、もっと深い意味があったということ知った。それが1686年春、芭蕉43歳の時だった。その3年後に「おくのほそ道」の旅がある。それから5年後、51歳で生涯を閉じるまで「おくのほそ道」に筆を入れ続けた。単なる旅行記だと思っていただけに実と虚の入り交じった文学作品であるという指摘に新しい世界が見えた気がした。

 定家の「小倉百人一首」で飛鳥、奈良時代から鎌倉時代のはじめまでの600年もの長いあいだに詠まれた和歌をもとに、時代背景など学び直したのが昨年、定家から芭蕉までの間はほとんどが戦乱の時代。この長くかつ日本全土を巻き込んだ戦乱によってそれまでの古い日本は滅んだと言っても良い。破壊された文化を復興させる動きが起こったのが1600年代前半、1644年に伊賀上野で生まれ1694年に大坂で亡くなった芭蕉は古典復興の成果を自由に使って創作できる時代を生きたと考えると時代が求めた運命の人なのかもしれない。 つまみ食い的に読んできた「おくのほそ道」を今年はじっくり取り組みたいと考えた。

 
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