素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

毎日が“この冬一番の寒さ”なり

2011年01月11日 | 日記
 枚方は7日であったが、大東や交野の学校は今日が始業式。小学生や中学生の登校風景を久しぶりに見る。連日の寒い朝に背中を丸めて口数も少なめに速足で歩いていた。これで、世の中が普通の生活に完全にもどったような気がする。

 今は内田樹著『街場のマンガ論』を読んでいる。街場シリーズは大学の講義録の書き起こしなのだが、この本はブログをはじめさまざまな所に発表したマンガ論を集め構成されたものである。その分、気軽に読むことができる。私の読んだマンガの量は内田さんに比べればけし粒ほどのものである。したがって、読んでいないマンガに言及している部分はすっ飛ばして読むのでスピードが上がる。

 しかし、今まで読んできた本ではわからなかった内田さんを発見することができるという点では、なかなかおもしろい本である。発想の原点の中に、生きた時代の空気と思春期までの生活経験というものがあるように思える。1950年生まれの内田さんとは生きた時代という点では同じであると以前から思ってきたが、思春期までの生活経験においても似たようなことを潜り抜けているのではということを文章の端々に感じる。

 一番印象に残っている文は第1章井上雄彦論の中で『バカボンド』に関しての論評の中にあったもの

 人間は「こうせよ」という単一の、無矛盾的な命題に従うよりも、それぞれが相互に否認し合うよう排他的命題群に引き裂かれているときの方が、パフォーマンスを向上させるという考え方である。ロールモデルが複数併存して、それが相互に否定しあうゼロサム関係にあるときに、人間はもっとも成長する。

            (中略)

 凡庸な教育家は人間が成長するためには、単純で無矛盾な指示を繰り返し与えればいいと信じている。犬のしつけと同じだ。だが、それによって子どもは「洗脳」されることはあっても、「成熟」することはない。

            (中略)

 井上雄彦の天才性は「正しいプログラムと単一のロールモデルを与えれば、子どもは効率的に成長する」というシンプルで底の浅い成熟モデルをきっぱりと退けたことに存する。 
 子どもは葛藤のうちに置かれることによってしか成熟しない。


 学校で生徒指導の時に「みんなで同じように注意しましょう」とか学習規律をつくるために授業の始めと終わりにはどの教科も必ず「起立・礼・着席」の号令をかけましょう。というようなことが強調されることが多いが、表面的なことでそろえようとやっきになるのは少し疑問を持つ。
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