ニュースで、「9月10日は、『世界自殺予防デー』です」と聞き、日本特有の問題だと思っていたので少し驚いた。この記念日は2003年、スウェーデンのストックホルムで開催された世界自殺防止会議を契機に制定された。とあった。世界保健機関(WHO)と国際自殺予防学会(IASP)が共同で設立し、自殺防止に向けた世界的な取り組みを促進する重要な日となっている。
「自殺」というのは国を越えて人類普遍の問題なのだと再認識した。「自殺」のニュースに接するたびに、「ものぐさ精神分析」を書いた岸田秀さんの「人間は本能が壊れた動物である」という言葉を思う。
動物には自然環境の中で、こういう刺激に対してはこう反応するという本能(=行動規範)が備わっているが、人間はその本能が大部分壊れており、どうしていいかさっぱりわからないのが本来の状態であると。したがって、そのままで生きていけないので、本能に代わる行動規範が必要になってくる。という話に目の前の霧が晴れた思いがしたのは40年ほど前のことだが、今でも岸田さんの提起は正しいと思っている。
人間が生きるのに必要不可欠な行動規範だが、本質的に不安定であることをごまかすため何らかの支えを求めるようになる。その支えとして、やがて文化や価値体系といったものが発展する。ただ価値体系といっても、実は、これが正しいとか、これに価値があるという絶対的な正解はどこにもない。そのありもしないものが、時には神であり、真理であり、正義であったり、世間であったりする。それらはすべて、元々ありもしないのだから「幻想」に過ぎないと、岸田さんは断言する。
動物の根柢は、種の保存そのための個の生存、すなわち「生きる」ことがある。脳の発達と引き換えにその本能が大部分壊れてしまっているがゆえに自殺という行為も起こる。
生きる価値を見いだすためのさまざまな物語が必要なのが人間である。人間という動物に生まれた限りのがれることができない。まことにやっかいなことであるがそのことを自覚して自分なりの行動規範を作り出して生きていくしかない。
「自殺」というのは国を越えて人類普遍の問題なのだと再認識した。「自殺」のニュースに接するたびに、「ものぐさ精神分析」を書いた岸田秀さんの「人間は本能が壊れた動物である」という言葉を思う。
動物には自然環境の中で、こういう刺激に対してはこう反応するという本能(=行動規範)が備わっているが、人間はその本能が大部分壊れており、どうしていいかさっぱりわからないのが本来の状態であると。したがって、そのままで生きていけないので、本能に代わる行動規範が必要になってくる。という話に目の前の霧が晴れた思いがしたのは40年ほど前のことだが、今でも岸田さんの提起は正しいと思っている。
人間が生きるのに必要不可欠な行動規範だが、本質的に不安定であることをごまかすため何らかの支えを求めるようになる。その支えとして、やがて文化や価値体系といったものが発展する。ただ価値体系といっても、実は、これが正しいとか、これに価値があるという絶対的な正解はどこにもない。そのありもしないものが、時には神であり、真理であり、正義であったり、世間であったりする。それらはすべて、元々ありもしないのだから「幻想」に過ぎないと、岸田さんは断言する。
動物の根柢は、種の保存そのための個の生存、すなわち「生きる」ことがある。脳の発達と引き換えにその本能が大部分壊れてしまっているがゆえに自殺という行為も起こる。
生きる価値を見いだすためのさまざまな物語が必要なのが人間である。人間という動物に生まれた限りのがれることができない。まことにやっかいなことであるがそのことを自覚して自分なりの行動規範を作り出して生きていくしかない。