今日の朝刊のトップの見出しは「環境に転嫁 罪に背」である。京アニ放火殺人事件の裁判を追っての特集である。タイトルは「人を動かすナラティブ」
弁護士と青葉被告との質疑の内容、それを受けての被害者参加制度を利用した犠牲者の母親による陳述をふまえ記者はこう書いている。
「・・・公判終盤を迎えてもなお被害者意識や環境要因を強調した。それはどこか、居心地の良い”被害者物語”に閉じこもり、自らの”罪”に背を向ける姿にも見える。弁護側による被告人質問は、そんな”殻”から抜け出し、十分に”罪”に向き合うよう促すものでもなかった。・・・」
ふと思い出したのが「まんがでわかる 7つの習慣」(まんが:小山鹿梨子・監修:フランクリン・コヴィー・ジャパン 宝島社)の中の【「インサイド・アウト」で世界を見る】という章に書かれていることである。
『他人の言動を見て「間違っている」と、つい批判したくなるときがある。だが、本当は相手のほうが正しいのかもしれない。人は誰しも、過去の経験や知識を参照して世界を見ている。どんなに「自分は客観的な人間だ」と信じる人でも「事象を自分が見たいように見ている」という呪縛からは逃れられない。
この真理に気付かない人は、自分の正しさを疑わないから、物の見方が狭い。仕事で失敗すれば、職場の雰囲気や上司のせいにする。自分が理解されないことを人のせいにして、相手を責める。結果、ますます周囲から避けられて、成長の機会を逃してしまう。これは、「See(物の見方)⇒Do(物の見方から来る行動)⇒Get(行動の結果、得るもの)の循環が悪いせいだ。いい結果を得たいなら、出発点である「See」を変えるしかない。
自分は正しい、相手が間違っているというパラダイムを持ち続けていたら何も変わらない。他人や組織、環境など自分の外側(アウトサイド)が変わらないと結果も出ないと思うのが「アウトサイド・イン」という考え方だ。そうではなく、自分の内面(インサイド)、つまり考え・見方・人格・動機が原則に合っているかに気を付け、行動を変えることで結果を引き寄せようとする意識が大切だ。この姿勢を「インサイド・アウト」といい、コヴィーは7つの習慣の前提として重要視している。』
最近、環境のせいにする風潮が多く見受けられる。間違っているとは思わないが、「だから」ではなく「それでも」と生きて欲しいと思うのである。
弁護士と青葉被告との質疑の内容、それを受けての被害者参加制度を利用した犠牲者の母親による陳述をふまえ記者はこう書いている。
「・・・公判終盤を迎えてもなお被害者意識や環境要因を強調した。それはどこか、居心地の良い”被害者物語”に閉じこもり、自らの”罪”に背を向ける姿にも見える。弁護側による被告人質問は、そんな”殻”から抜け出し、十分に”罪”に向き合うよう促すものでもなかった。・・・」
ふと思い出したのが「まんがでわかる 7つの習慣」(まんが:小山鹿梨子・監修:フランクリン・コヴィー・ジャパン 宝島社)の中の【「インサイド・アウト」で世界を見る】という章に書かれていることである。
『他人の言動を見て「間違っている」と、つい批判したくなるときがある。だが、本当は相手のほうが正しいのかもしれない。人は誰しも、過去の経験や知識を参照して世界を見ている。どんなに「自分は客観的な人間だ」と信じる人でも「事象を自分が見たいように見ている」という呪縛からは逃れられない。
この真理に気付かない人は、自分の正しさを疑わないから、物の見方が狭い。仕事で失敗すれば、職場の雰囲気や上司のせいにする。自分が理解されないことを人のせいにして、相手を責める。結果、ますます周囲から避けられて、成長の機会を逃してしまう。これは、「See(物の見方)⇒Do(物の見方から来る行動)⇒Get(行動の結果、得るもの)の循環が悪いせいだ。いい結果を得たいなら、出発点である「See」を変えるしかない。
自分は正しい、相手が間違っているというパラダイムを持ち続けていたら何も変わらない。他人や組織、環境など自分の外側(アウトサイド)が変わらないと結果も出ないと思うのが「アウトサイド・イン」という考え方だ。そうではなく、自分の内面(インサイド)、つまり考え・見方・人格・動機が原則に合っているかに気を付け、行動を変えることで結果を引き寄せようとする意識が大切だ。この姿勢を「インサイド・アウト」といい、コヴィーは7つの習慣の前提として重要視している。』
最近、環境のせいにする風潮が多く見受けられる。間違っているとは思わないが、「だから」ではなく「それでも」と生きて欲しいと思うのである。