素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

初霜

2023年12月04日 | 日記
 今朝、シーツを干すために屋上に出ると、隣の屋根が白くなっていた。初霜である。屋上の手すりや床も濡れていた。百人一首にある凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌「心あてに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花」が口に出た。伊藤眞夏さんの「深読み百人一首」(栄光出版社)で2番目に取り上げられた歌で、本の中でも力の入ったページでその深読みがとても面白く、頭にしっかり残っている。

 凡河内躬恒は、平安時代中期に醍醐天皇に仕えた人で身分は高くないが機知とと頓才にすぐれて折にふれて天皇をお慰めするのが役目の人だったようだ。藤原氏による他氏(大伴、紀、橘、・・・)排斥の嵐が吹き荒れている時代である。その黒幕が藤原義房。スキャンダルやゴシップによって次々と政敵を追い落としていった。今流に言えば「フェイクの達人」。その最たる人が大宰府に左遷された菅原道真である。

 こういう時代背景を考えてこの歌を見ると、正岡子規が「歌よみに与ふる書」で「この躬恒の歌 百人一首にあれば誰も口ずさみ候えども 一文半文のねうちもこれ無き 駄歌に御座候」「この歌は嘘の趣向なり、初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣いこれ無く候。趣向嘘なれば、趣きもへちまもこれ有り申さず・・・」と酷評している薄っぺらいものではないと伊藤さんは深読みする。

 藤原氏の権力乱用に抵抗しようとした醍醐天皇であるが、その圧力に屈して道真を左遷せざるを得なくなったように、改革の志も頓挫してしまった。それらを傍らで見てきた躬恒が反藤原の気持ちをこの歌に込めたと考えると子規の批判は表層的となる。
 「心あてに折らばや折らむ」で藤原氏の政敵を陰謀で追い落としていく横暴を暗喩し、そのことで天皇さえも地位を奪われかねない危機にあることを「島流しの名所隠岐・天皇の紋章菊」を織り込むことで表しているというわけだ。

 そう考えると、300年余り後に藤原定家が小倉百人一首で躬恒のこの歌を選んだ理由が見えてくる。躬恒は紀貫之とともに古今和歌集の編纂に関わったほどの人だから正岡子規にダメ出しされないようないい歌を詠んでいたに違いない。しかし敢えて「心あてに・・・」を選んだ定家の頭の中には、良くも悪くも深く関わった、1221年の承久の乱で幕府軍に敗れ隠岐に流刑となった第82代天皇後鳥羽院のことがあったのではないか。

 初霜がきっかけで、伊藤眞夏さんの「深読み百人一首」「続・深読み百人一首」(栄光出版社)を読み直しタイムトラベルに出かけた。

 

 
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