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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「らんまん」の最終週は驚きのスタート

2023年09月25日 | 日記
 先週は、練馬の野原に立った万太郎と寿恵子が植物標本を所蔵する館と四季折々の花木が楽しめる植物園を思い描くというシーンで終わった。さてどんな展開にとスイッチを入れると驚きの3連発。まづ時代設定がいきなり昭和33年(1958年)にタイムスリップ。「エッ!1年前に亡くなっとるやん」と思わず口ばしった。これが1つ目の驚き。そして2つ目が、語りをしてきた宮崎あおいの登場。藤原紀子30歳。以前はカイコの試験場にいたが、今回は片付けのアルバイトと思い、気楽な気持ちで区役所に応募した役どころ。3つ目が紀子を迎えに出てきたのが松坂慶子である。オープニングのクレジットに松坂慶子の名前があったが、チラッと見た程度で回想で登場するのだろうと勝手に思いこんだ。が、見事に外された。61歳になった万太郎の娘・千鶴としての再登場だった。「この手があったか」とまたつぶやいてしまった。

 脚本の長田さんの思いをスポニチアネックスで知ることができ納得した。一部抜粋させてもらう。

「関東大震災の大火災、さらには第2次世界大戦の東京大空襲の間も、40万点という途方もない数の標本を、富太郎さん、ご家族、周りの方々が守り抜いたのだという事実を知って、本当に衝撃的でした。戦後、40万点の標本を初めて目にした人たちも、きっと私と同じように驚いたと思うんです。そして、大空襲から命懸けで守った人たちがいるなら、戦争で生き残った自分たちも次の世代に残さなきゃいけない。自然と使命感に駆られたんじゃないかと思ったんです」

 牧野博士が昭和32年(1957年)に亡くなった後、自宅に残された未整理状態の標本40万点が東京都に寄贈。整理・収蔵のための「牧野標本館」が昭和33年(1958年)、東京都立大学に設立された。

 「まず、牧野家から都立大学に移すまでにも大きな苦労がありました。そして、大学に収蔵されてからも20年以上の長きにわたる地道な整理作業によって、標本が活用されたからこそ、牧野富太郎は世界の牧野博士となり得たのです。この牧野コレクションを基に、各国の貴重な標本と交換したり、絶滅した植物も調査できたりと、植物分類学の基盤となってきました。この、標本を整理して、活用できる形で後世にバトンを渡そうと尽力した人たち(劇中は宮崎演じる紀子)のことは、絶対に盛り込みたいと思っていました」
コメント
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