日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

山法山規(さんぽうさんき)とは

2019-09-04 | 御住職指導

正林寺御住職指導(R1.9月 第188号)  

 

 総本山大石寺には、山法山規という規則があります。山法山規は不文律ですが、総本山には、今日まで、七百数十年来、厳然と行われています。

 この山法山規の源は、第二祖日興上人の『遺誡置文』二十六箇条と、第九世日有上人の『化儀抄』百二十一箇条にあります。

 『日興遺誡置文』には、
「一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず」(御書1885)
と御指南であります。
 『化儀抄』には、
「此の上意の趣を守り行住坐臥に拝見有るべく候」(日蓮正宗聖典998)
と、強く末弟を誡められた御指南であります。誡められた事柄を、正法を護持する御先師が心肝に染められ伝えられてきました。
 何時しか山法山規という名称となり今日に伝えられております。

 この山法山規の内容は、総本山大石寺第66世日達上人御登座10周年を奉祝申し上げる記念に編纂された『日達上人全集』(第1輯第4巻505)の「日有師化儀抄(略解)」に収録された「諸」にあります。


 不文律の山法山規は、その時代々々の御法主上人猊下の御指南のもとに、遠近より総本山へ登山される僧俗へ、今の世は濁世なりとの過去世からの世間法に染められた身口意の三業を浄化するための大事な規則と拝します。
 故に日蓮大聖人は『聖愚問答抄』に、
「丁寧に尊教を聞かんことを願ふ。聖人示して云はく、汝蘭室の友に交はりて麻畝(まほ)の性と成る。」(御書402)
と仰せのように、山法山規を遵守することにより、御法門を丁寧に謙虚に聴聞する耳根得道のための姿勢が養われます。そして、「富山の蘭室」(六巻抄143)である総本山の友に交わることにより、妙香を聞くことを得て、麻畝の性である仏性が、迷いの九界から離れて一生成仏の道を、さらに一歩近づくことになります。まさに大聖人が『本尊供養御書』に、
「須弥山に近づく鳥は金色となるなり。阿伽陀薬は毒を薬となす。法華経の不思議も又是くの如し。」(御書1054)
と仰せである道理です。


 世間からは、爪上の土の如く希少な日蓮正宗が「針金宗門・針金宗教」と呼ばれる由縁には、宗開両祖以来の、正法伝持の道念と気概は当然でありますが、さらに山法山規が厳格に存するためと拝します。

 総本山大石寺に登山の折には、様々な規則があります。その規則も山法山規が基礎となります。
 登山の時には、総本山の規則に従うことが、山法山規を遵守することになります。身勝手な言動は慎み、身口意の三業にわたる罪障消滅と、総本山の清気清風に触れて功徳を積ませて頂くように心がけることが大事です。

 特に、登山参詣の精神として、御信徒の立場としても山法山規を守ることにより、他の人への配慮と異体同心の構築になります。登山の折には、お世話になる宿坊・休憩坊では、自宅や世間の旅館等と異なるため、山法山規を心がけた総本山生活を常に意識します。

 登山をする上での事前指導では、総本山大石寺には山法山規が不文律としてあることを登山者には伝えます。

 九月は寛師会(第二十六世日寛上人祥月命日忌法要)が奉修されます。代表で登山される法華講員は、総本山には山法山規があることを再確認して登山させて頂きましょう。

 登山は一年を通じて、寛師会の他には、新年初登山・支部総登山・春季総登山御霊宝虫払大法会夏期講習会中高等部合宿登山少年部合宿登山御大会・添書登山などがあります。

 各登山には山法山規を心得て行きましょう。

 大聖人は『新池御書』に、
「始めより終はりまで弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。譬へば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩(あゆ)みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。」(御書1457)
と仰せであります。一生成仏のための登山への歩みを止めてしまえば、後生善処の都の月を拝することはできません。総本山の清気清風を基となす山法山規が心に染まらなければ、本門戒壇の大御本尊からの功徳も流れなくなるでしょう。
 その残念な姿が、平成三年(1991)まで登山を続けていた創価学会です。山法山規が昭和時代から
心の財として妙香を聞くことを得て心肝に染められていたのであれば、「もう、何百回も何十回も登山したから行かなくてよい」という、富士山は広宣流布の根源を蔑ろにし、総本山外護を反故してしまい、人間主義から来る自分の事だけに主眼を置く、一人信心的な発言はなかったはずです。その発言は、まさに「十一日余り歩(あゆ)みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきて」との、大聖人が御指南なさった退転につながる信心の状態に当たります。

 大聖人は『四条金吾殿御返事』に、
「心こそ大切なれ」(御書1407)
と仰せのように、山法山規が心に染められた心こそ大切であります。

 創価学会が破門に至った理由には『創価学会解散勧告書』に、
「本宗の化法・化儀は(中略)全て大聖人以来の法体血脈の相伝と、それに基づく山法山規によります」(大日蓮 第550号 H3.12)
と示されているように、山法山規に準拠できなかった点にもあります。

 過去に創価学会から発行された大白蓮華(第88号 S33.9)に、日達上人は御登座以前、山法山規に関わる「日有上人化儀抄略解」を連載されて、当時の創価学会員に御教導下さいました。

 しかし、悲しいことに山法山規は、多くの創価学会員の心の財となることはなく、現在の創価学会の姿があります。池田名誉会長は、山法山規をどのように心得ていたのでしょう。

 まさに大聖人は『開目抄』に、
「心地観経に云はく『過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。」(御書571)
と仰せの如くであります。

 ちなみに、顕正会で提唱する遙拝勤行では、心の財となる山法山規を遵守できず、総本山の清気清風に触れることもないため、身口意の三業も浄化できません。当然ながら本門戒壇の大御本尊へ祈る功徳にはなりません。その姿は、妙信講時代からはじまり、日蓮正宗から昭和49年(1974)11月に、信仰の寸心を改めることができなかったため、信徒除名された浅井会長振る舞いを振り返れば一目瞭然でしょう。

 浅井会長は長い間、基本的な山法山規を遵守できなかったため総本山への登山を許されず、総本山の清気清風には昭和時代の途中から一切触れていません。つまり、過去四十数年のブランクがあるために、純粋な心の財は積まれていません。これは明らかな現実です。そのブランクからの代表的な異流義化した産物として、浅井会長の著書基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)などがあります。故に、その著書を通して、山法山規を遵守できなかった、総本山の清気清風に触れることも叶わない哀れな姿を露見した因果応報との印象があり、内証境界に未到の者が主張する標本であります。

 さらに浅井会長が長い間、山法山規を遵守できず、総本山の清気清風にも触れていない証拠として、顕正会の会館に安置される日布上人の形木本尊と称するものには、時の御法主上人の許可もなく、勝手にコピーされたニセ本尊疑惑があります。詳細については、日蓮正宗法義研鑚委員会からの「顕正会破折 Q&A」を熟読下さい。

 先の『新池御書』に仰せの「始めより終はりまで弥信心をいたすべし」を拝して、法華講の皆さんは後悔しないように精進しましょう。

 最後に、第六十七世日顕上人より御登座の時に御指南を賜った「祖道の恢復」には、山法山規も存すると拝します。「祖道の恢復」について、日顕上人は平成七年の「末寺住職・寺族初登山の砌」に、
「『祖道の恢復』の『祖道』ということは、仏祖三宝という語があるとおり、本宗においては下種三宝の尊い御指南の一切であります。ですから、ひとことで祖道と言いますけれども、その肝要のところから、それに付随したところまでを考えれば、実に多岐広範にわたる内容を含んでおると拝せられます。
 日興上人の『二十六箇条』なども、我々が常に拳々服膺すべき祖道の御指南であります。したがって、我々は祖道を常に忘れることなく修行に邁進することが肝要でありますが、これは基本であります。故に、その時代時代において祖道の恢復がどのようになされておるかということを、我々は深く考えなければならないと思います。」(大日蓮588号 H7.2)
と御指南であります。今一度、「山法山規」と同じように「祖道の恢復」についても確認致しましょう。


宗祖日蓮大聖人『生死一大事血脈抄』に曰く、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此(じたひし)の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰(あまつさ)へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し。」(御書514)

 

この記事についてブログを書く
« 令和元年9月度行事予定 | トップ | 第68世御法主日如上人猊下... »