塩哲の色不異空

日々の思いを気の向くままに

ミュージアム巡り 行幸 大坂遷都の議

2020-09-11 05:42:47 | ミュージアム巡り_2020
 慶応3年(1867)1月9日、孝明天皇の崩御を受け、第二皇子・睦
睦仁親王が践祚され、後の明治天皇となる。同年、大政奉還、王政
復古の大号令による新政府の樹立により、天皇の大坂行幸とそれに
伴う大坂への遷都が提案される。
 遷都は受け入れられなかったが、同年3月大坂への行幸が実現さ
れ、その後、江戸が東京と改称され、明治2年(1869)、天皇は東
京へ行幸され、再び京都御所に戻られることはなかった。
 それから、天皇は明治18年までの間、6回にわたり日本各地へ
巡行されている。これは、日本各地を見廻れることで天皇を中心と
した国家体制を確立する意図もあった。
 この各地への巡啓により、多くの国民と気さくに接し、皇室全体
が国民に親しまれていく。

 次の書は、慶応4年1月17日、新政府の参与・大久保利通が大坂
遷都を提案する意見書。この中で大久保は、天皇は西欧の君主のよ
うに国中を視察し民を大切に育て、広く民に敬愛される君主となら
れることが重要であると述べている。
 しかし、大坂遷都論は採用されず、同年3月には戊辰戦争の指揮
を執る名目で、大坂行幸が実現する。

国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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