続いて、「百人一首・三十六歌仙和歌」(江戸時代、角倉素庵筆、彩䇳
墨書、25.5/18.4cm、一冊、TNM所蔵)は、素庵が藤原定家撰「小倉
百人一首」と一首歌仙本「三十六人歌合」を書写したもの。
署名はないが、素庵12世の孫・角倉玄遠筆「物品譲証」などの付属
資料により、嵯峨角倉家に素庵自筆の書として伝来し、「本阿弥光悦
翁作鶴香合」と「家祖素庵筆六々歌仙本」の二品が大正7年に有清堂
に譲られたことが知られている。
素庵は父了以の跡を継ぎ、貿易から土木・監督などの事業を行い“京
の三長者”に数えられた江戸時代初期の豪商。朱子学者・藤原惺窩の門
人で、書を光悦、茶を古田織部に学び、光悦らの協力を得て嵯峨本を
刊行している数寄者。
最近の説では、本作が慶長年間前半の素庵30代の書風であることや、
本作のテキストを元に嵯峨本「三十六歌仙」の本文版下が書写された
ことなどが挙げられている。
TNM(台東区上野公園13-9)
墨書、25.5/18.4cm、一冊、TNM所蔵)は、素庵が藤原定家撰「小倉
百人一首」と一首歌仙本「三十六人歌合」を書写したもの。
署名はないが、素庵12世の孫・角倉玄遠筆「物品譲証」などの付属
資料により、嵯峨角倉家に素庵自筆の書として伝来し、「本阿弥光悦
翁作鶴香合」と「家祖素庵筆六々歌仙本」の二品が大正7年に有清堂
に譲られたことが知られている。
素庵は父了以の跡を継ぎ、貿易から土木・監督などの事業を行い“京
の三長者”に数えられた江戸時代初期の豪商。朱子学者・藤原惺窩の門
人で、書を光悦、茶を古田織部に学び、光悦らの協力を得て嵯峨本を
刊行している数寄者。
最近の説では、本作が慶長年間前半の素庵30代の書風であることや、
本作のテキストを元に嵯峨本「三十六歌仙」の本文版下が書写された
ことなどが挙げられている。
TNM(台東区上野公園13-9)