次の書は、寛永7年(1630)から同16年まで武家伝奏を務めた公
家・日野資勝の日記「日野大納言資勝卿記」(全4冊、太政官正院
歴史課、修史局、修史館、内閣臨時修史局旧蔵)。
展示頁の内容は次のとおり。
寛永11年7月、家光は総勢30万を超える大軍を率いて再度上洛。
これは大御所秀忠亡き後、名実共に天下人となった家光の将軍権
威と権力を高めるため、さらには幕府の圧倒的な軍事力を朝廷や
諸大名、世間へ誇示するデモンストレーションだった。
一方、家光は秀忠と不和であった御水尾上皇へ新たに院御料七
千石を献上するなど、上皇への融和を図っている。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)
家・日野資勝の日記「日野大納言資勝卿記」(全4冊、太政官正院
歴史課、修史局、修史館、内閣臨時修史局旧蔵)。
展示頁の内容は次のとおり。
寛永11年7月、家光は総勢30万を超える大軍を率いて再度上洛。
これは大御所秀忠亡き後、名実共に天下人となった家光の将軍権
威と権力を高めるため、さらには幕府の圧倒的な軍事力を朝廷や
諸大名、世間へ誇示するデモンストレーションだった。
一方、家光は秀忠と不和であった御水尾上皇へ新たに院御料七
千石を献上するなど、上皇への融和を図っている。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)