何度来ても、この天神山の遊歩道はその度ごとに新しい美しさに気付かせてくれる。
実はこの天神山のなかに浅間山もある。
この浅間山は富士山信仰のものであり、小さなお宮もあり、そこにお参りすると徳した気分も良い風に乗り、上昇していく。
この日は歩いたことのない遊歩道もすべて歩いてみた。
すると、ふれあい農場なる小さな畑もあった。
畑なので陽射しも当り、とてもあたたかく、のんびりとした雰囲気が何ともいえぬ気持ち良さを満喫させてくれた。
そこを抜けると仙石に出る。
仙石は菅村の山の方の地名である。
山から下りてみると田んぼにはたくさんの大人が集まっていた。
あんはそのたくさんの人に少し怖がっていたが、田んぼのなかに藁で塔のようなものを作っていた。
これはもしかすると歳の神。
そう思い、近くでみると歳の神の家を建てていた。
昔は自分のおばあちゃんの畑でも歳の神をお迎えしたりもしていたと母親は言っていた。
実際自分は初めて歳の神の建物を見た。
見ているだけでご利益がありそうな建物だった。
菅村のなかで仙石の地域だけがまだ歳の神の行事をしていた事実を知り、嬉しくなった。
どんど焼きも見てみたくなった。
あんは落ち着かず、すぐに静かな山に帰りたがっていた。
また山を登った。
違う道で山を登るとジャイヤンツ球場に出た。
帰りはジャイヤンツ球場へのビクトリーロードを下り、途中の階段を下りると穴澤天神社への行く道に出る。
そして、楽しかった思いを思い出しながら、天神山を下っていくと、老夫婦が参拝するために上がってきた。
たぶん京王よみうりランド駅から歩いてきたのだろう、奥さんは大きな身体をし、杖をついていた。
「こんにちわ」と挨拶すると、奥さんは「神社はもうすぐですか?」と聞いた。
旦那さんは「もうすぐだ」と自分が答える前に言った。
「う~ん、もう少しあります」と自分は答えた。
その場所はまだ山の十分の一ぐらいしか登っていないところだった。
旦那さんは励ましたく、大丈夫だと言いたく、あったのだろう。
あの足ではかなり辛いのだろう。
だからこそ、お参りに来たのかもしれないとも思った。
気を付けて登ってくださいと二人の後ろ姿を見て思った。
神さまを信じる人たちとその証しに会えて、徳した気分は良い風に乗り、青空と交わり、すべてと一体化するようにこの心に喜びを与えてくださった。
有り難いときを頂いた。
そのなかをあんはトコトコ歩いていた。