俺はその日、仕事で疲れていた。溜まったストレスの発散の場を求めて渋谷の街をぶらつく。仕事場が渋谷にあるのだ。イライラしながら、平日だというのに混んでいる渋谷の雑踏を掻き分けて歩くうち、気づけば駅前のはずれに来ていた。適当な店でも見つけて軽く飲むかと思い、首都高をくぐって恵比寿の方に向かって歩くと、十人くらいの男が並んでいる店があった。あまり明るい雰囲気ではないが、ちょっと気になったので並んでいる男の中で気の良さそうな人を見つけて「何に並んでるの?」と聞いてみた。すると男は「アイドルのライブです」と答えた。
「アイドルのライブ?って、AKBかなんかか?いや、AKBにしては客が少ないだろう。あっ、もしかしてこれが地下アイドルというやつか?前にテレビで観たぞ」と頭の中で考えながら、少しだけ気になった俺は料金を聞いてみた。すると男は「二千円のプラスドリンク代です」と答えた。
なんかあまり声をかけてほしくなさそうな雰囲気だし、俺もイライラしていたから、どこかトゲトゲしい雰囲気を発散していたのだろう。質問はそこで止めて並んでみる事にした。
「アイドルのライブなんて観た事ないぞ。いや、少し前にサンシャインシティで誰かが歌っているのを通りがかったな。誰かはわからなかったが、オタクどもが奇声を発していて、先日別れた彼女が早く行きましょう!と、逃げるように俺の手を引っ張ったっけ」
そんな回想をしていたら、別れた彼女の事を思い出して余計に腹が立ってきたから回想はやめた。
列が動いて入場になった。チケットを買う際にいきなり店員に「誰を観に来ましたか?」なんて聞かれたから、「よく知らないんで誰でもいいっす」と答えたら、そういう何かの指名とかではなく、観客の中での人気度を調査しているらしい。店員は困った顔をしたが、俺を一瞥すると事情を察してくれたらしく、黙ってチケットを渡してくれた。
五百円のドリンクチケットで適当にバーボンを選んで、それを片手に中に入る。狭いし、暗いな。ちょっと不安になってきたぜ。
少し酔いが回るのが早いなと思いながらステージを見ていると、最初のグループが出てきた。「ねがいごと」という名前らしい。変わった名前だが、それも地下っぽくていいんじゃね?などと斜に構えて眺めていたら、近くの客がサビでのメンバーの動きに合わせて右に左に動きながら声を上げ始めた。なんだっけ、こういうのがヲタ芸って言うのかな?テレビで言ってた気がする。
トップバッターがいきなり盛り上がっているとか、この子たちは前座じゃないのか?と不思議な気持ちで見続ける。ライブはそれなりに面白い。ステージよりも客席をついつい見てしまうが。
何組目かわからないがステージに「ねこパンチ」という面白い名前のグループが出てきた。どう見ても中学生くらいなのだが、俺の後ろで座って眺めていた男がいきなり立ち上がって拳を振り上げて盛り上がってるぜ。思わず苦笑してしまったが、曲をよく聴いてみたら良い曲だな。ああ、アイドルって活動出来る期間なんて短いだろうなという事は素人の俺でもわかる。オタクは浮気性だろうしな。そういう儚い現実を歌っている中学生たちに俺はついつい耳を傾けてしまったぜ。
ねこパンチ 2期生 / Moon Light Flower
そのあたりが「きっかけ」になったんだろうか、段々とライブが面白くなってきた。彼女達は地下アイドルなんだろうけど、俺が思っているよりは上手い。百人はいないだろうなという観客たちも楽しそうだ。俺は楽しそうな人間を観るのは好きだ。会社の頭の堅いわからず屋どもより、ここのオタクたちの方がよっぽど人間じゃないか?
そんな風にライブを肯定し始めた頃、ステージにちっちゃい女の子二人組が現れた。ちっちゃいけど高校生くらいか?とてもパワフルでキャッチーだ。そして、またサビに合わせて観客が左右に動いている。何杯目かのバーボンを片手に観ていた俺はバーボンを吹きそうになったぜ。でも、なんだか可愛いな。なんだか楽しそうだな。
イニーミニーマニーモー / 無敵だヨ!Yes we can!
次々とアイドルが出てくるから、もう何組目なのか、何時間やっているのかなんてわからなくなっている。腕時計は敢えて見ない。ライブ中に時計を見るのは野暮だろう?
「多国籍軍」という名前のグループが出てきた。なんだかすごい名前だな。クレーム来ないのか?というか、茶髪の子ハーフかと思ったら日本人で、黒髪の和風な感じの子がハーフなのか。俺もいつしかアイドルたちのステージトークを真面目に聞くようになっていた。そして、多国籍軍って物騒な名前の子達は歌も曲も良いな。気に入ったぜ。
多国籍軍 / 暖かなあの道
ウルトラガール / 正義の見方
「ウルトラガール」という正義の味方な女の子たちのダンスのキレに驚いた頃には、俺もついには立ち上がって観ていた。中学生相手に立ち上がっていた男の事を苦笑していられないな。もう、踊るアホウに観るアホウだ。
だけど慣れないライブという娯楽に少し疲れ始めていた頃、ステージには元気を届けるアイドルという「Power Spot」というグループが現れた。タイミングいいな。いい演出だ。少し元気出てきたぞ。いや、何曲目かのマイムマイムのメロディを組み込んでいるナンバーを聴いていたら本当に元気になってきたんだ。みんな力一杯踊り歌っている。健気だな。
パワースポット / パワー上昇
俺はやっと気づいてきた。なんでこの狭い空間にオタクたちはやってきてアイドルを楽しんでいるかって事を。彼らにとってアイドルは元気の源なんだな。だって観ているだけで、何にも知らない俺だって元気になってきたんだ。会社のストレスは何が原因だったっけ?もう忘れたぜ。
ステージには一番最初に出てきた「ねがいごと」が出てきた。営業職を長年やってきた俺は人の顔を覚えるのは得意だ。名前はともかく、顔は覚えてきたかもしれない。もうすっかりペースにハマってしまったんだろうな。
聞き覚えのあるイントロが聞こえてきた。最初の方でオタクたちが左右に動いていた曲だな。あの頃は俺は完全にビジターだったけど、数時間ライブを見続けてきた俺はもう違うぜ。バーボンの力を借りて、騒ぐのは苦手で宴会でも静かな俺が前に入り込んでいった。観客はどうぞどうぞという感じで俺を招き入れて、その輪に仲間入りした俺は気づくと一緒に左右に動きながら雄叫びを上げていた。
ねがいごと / ね・が・い・ご・と
「アイドルって面白いじゃねえか。地下アイドルってやるじゃんか」俺は帰りにロビーと呼ぶには小さなロビーもどきの空間に設けられた売場でアイドルからCDを買っていた。そして、何時間か前の店員の言葉を思い出していた。
「今日は誰を観に来ましたか?」
「全員だ」今の俺はそう力強く答える事だろう。
(この記事に出てくるライブの描写およびアイドルは実在しますが、主人公とその設定はフィクションです)