3.11以後の日本

混迷する日本のゆくえを多面的に考える

新型コロナウイルスの脅威13 ドサクサにまぎれファッショ化する日本

2020-05-16 17:14:32 | 病気
検察官の定年を65歳に引き上げ、内閣の判断で検察幹部の「役職定年」を延長できるようにする法改正案。ツイッターを中心に抗議の輪が広がり、「#検察庁法改正案に抗議します」の投稿は日に日に増している。
タレントたちも異議をツイッターで発信している。
昨日の予算委員会を見ていたら、議事堂の外のデモの音がはいってきて臨場感100%だった。
こんな暴挙が許されるのだろうか。
コロナショックで国民が疲弊している隙になんという卑劣なやり方だろうか。
しかし、これまで素直でおとなしかった国民もやっと目が覚めたのかとおもう。
安倍内閣のコロナ対応がひどいもので、2ヶ月たってもたいした政策をうちだせず、布マスク2枚にこのままじゃ沈没してしまうという危機感のあらわれなのかとおもうのだが、みなが反対の声をあげはじめた。
在宅勤務のビジネスパーソンたち、日ごろは混んだ電車で通勤している時間も在宅ワークになり、テレビなどをみて疑問をもち発信しているのだろう。
多くの国民が安倍内閣の横暴と無能さにあきれ果てこんな信用できない政府は金輪際やめてほしいと心底思っているのだろう。
さらに、諸外国の神対応などをみるとわが国が到底先進国などとはいえない状況であることに失望しているのは確かだ。
他国の首相や大統領といわれる人たちが、トランプを除いてだが、危機感をもち一つ一つの言葉を選び抜いて国民に話しかけるその演説の内容、信頼と安定感に満ちた話を聞くと、わが国の総理の軽くて頭が悪くて、取り巻きのいいなりしかできない、選挙演説の域をこえられない、これまで自分の足で頭でなにもかんがえてこなかった首相の演説内容と比べ、ただただ失望と絶望でいっぱいになるのはわたしだけではないだろう。

メルケル首相の演説を聞いて、こんな首相がわが国にいたら幸せなのになあ、とうらやましく思った。
東独出身の彼女の言葉は一つ一つが選び抜かれており、自らの自由を奪われた東独時代の経験を引きながら語りかけるその姿に引き込まれ、自国の首相ではなく、メルケルさんの話で私も自粛しようと思ってしまったくらいである。
自らの手柄など一つもあげることなく、だれもがこの人を信じようと思う、そんな心に響く演説だった。

自分の利益のためにかってに強権発動して検事長の定年を延長させるなど、ファッショとしかいいようがない。
いつの時代の話なのか、治安維持法の時代の話か。
総理であろうとなかろうと、司法に立ち入ることは禁触である。そこに土足で入り込むなどとんでもない話である。
私も一人の市民としてこの暴挙を阻止するために発信したい。

コロナショックで明日のご飯もない人もいて、そういう人のことも考える必要があるのだが、それと同時に私たちは政治の公平さ、を譲るわけにはいかないのである。政治的公平があることが最低生活の安定をつくる前提であるのだから。
一歩も譲らず、この改正案を廃案にするために同じ志を持つ人と連帯し闘いたいと思うのである。





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