Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

演劇人は「反原発」と言えない?!

2012-10-16 | Weblog
日刊ゲンダイの山田勝仁さんがFB上で次のように問題提起している。
〈イラン・イラク戦争のとき、いちはやく演劇人反戦が結成され、デモ・抗議活動をしたが、福島事故後、演劇人がまとまって街頭で抗議活動したことは寡聞にして知らない。「戦争反対」は大義名分が立つけど、「原発反対」とはいえないのは、俳優・作家が資本に深く取り込まれているからだろうか。テレビ、マスコミで働く俳優、作家が表立って「原発反対」と言えない状況。それは事故後1年半たっても変わらない。それぞれのフィールドでしか自己の考えを表明できないのはやっぱりいびつ。「戦争」と「原発事故」は国民、女性・子どもが犠牲になることでまったく同じなんだけど。〉〈これは特定の人を批判してるものではありません、ということをまず断っておきたい。〉
まず山田さんに、「演劇人」「俳優・作家」「テレビ、マスコミで働く俳優、作家」とスライドしているとコメントしづらいですよ、とはお伝えした。私自身は十年近く前に「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」を始めた一人だが、それを継承する「非戦を選ぶ演劇人の会」に於いては、昨年春、まさにその「反原発」組織作りの必要性についての話題が出た時に、「非戦」団体がそのまま「反原発」団体に移行する、あるいは「非戦」のまま「反原発」に特化した活動をすることには、賛成しなかった。「非戦」「反戦」に絞った視点で続けるべきこともあると思うからだ。そしてごく素直に、「反原発」のためには新たな別組織があって然るべきだとも考えたわけであるが、既に意志と行動力のある演劇人たちの多くは、それぞれのやり方で「3.11後」の活動に取り組んでいたと思う。そういう「広がり」を信じたところで、組織の必要性など考えぬままストップしていたというのが、実情であろう。それでも昨夏、反原発リーディングはやった(http://hisen-engeki.com/110827.ht)。
ただ、「反戦」について、誤解のないように言っておけば、これまでこの国では、具体的に特定の事象・対象、そしてある固有の「戦争」に対して、明瞭な立場と内容を伴って「非戦」「反戦」を発言する者が、いかに少数だったかということである。「過去の戦争」を振り返って言う人や、一般論を言う人はいくらでもいる。だが、今振り返れば、どちらかの国の側に立っての意思表明を「表立って」言う人は、そんなに多くはなかったのではないか。とくにアメリカと立場を異にする時がそうである。そして、どちらかの立場に立つ、ということは、「大義名分」というコトバとは、ほんらい馴染まないはずである。
思い出してみるが、イラン・イラク戦争のとき、幾度かのデモのために集まった「演劇人反戦」じたいは、ただの即席の寄り合いであり、「結成」というものにはほど遠かったのではないか。私はそれがどういう「組織」なのかを説明することさえできない。ほとんど印象がないのだ。
翻って「反原発」に関していえば、少なくとも私が「非戦」「反戦」でも連帯してきた仲間たちに関して言えば、「資本」云々は関係ないと思うし、誰も「原発反対」と言えないわけではない。で、これは言い訳でも何でもなく、昨日「非戦を選ぶ演劇人の会」のS女史とも話したのだが、私たちはあの頃、「演劇人がまとまった組織をつくること」が至急には必要がないくらいに、「反原発」が国民的な広がりを得て拡大している、という気がしていたのだ。迂闊だった。今や毎週金曜の官邸前反原発デモに集まる人も減少しているという。反原発について「演劇人がまとまった組織をつくること」は、今こそ必要なのかもしれない。このような思索の契機をつくってくれた山田さんに感謝する。
そして、くどいようだが、この国では、具体的な進行形の「戦争」について物申す時、ほんとうに「演劇人がまとまった組織をつくること」が必要だったのだ。「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」に於いては、必要というより、その「効果」を具体的に導き出し、実践したのだ。対象と立場を明確にした「反戦」は、この国では長い間、それほど容易ではなかったし、今もそうなのである。
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押しつけられたオスプレイを自分から買おうという

2012-10-15 | Weblog
どうして昨日、一度午前中に飛んだオスプレイ一機が午後に飛び立てなかったのか。琉球朝日放送の調べによると、そもそもオスプレイは「部品供給の弱点により、オスプレイの能力は要求されるレベルに達していない」ということで、それが影響しているのかもしれない。イラクに派遣されたオスプレイ3部隊の任務達成率は平均62%。最低限要求されるレベルの82%には遠く及ばず。その最大の理由は「部品調達」。13種類の部品が平均で寿命の30%持たず、うち6種類は10%持たずに故障、すぐに交換しないと飛びたくても飛べない。設計上500~600時間使用できるはずのエンジンが300~400時間で交換が必要になるという。100億円近い巨額の価格のついたオスプレイは、「即戦力」としては疑わしい。また、24人の海兵隊員を運ぶことができるというふれこみだったが、兵士が重装備の場合には20人しか乗れないという。……アフガニスタンでの夜間上陸戦闘時のオスプレイ墜落事故原因を、パイロット・エラーではなくエンジン問題とする証言についても、報告書を変更させるために多くの圧力がかかったということがわかっている。残された証拠映像で飛行の最後の17秒のあいだに両方のエンジンから出ている靄のような煙が確認されているらしいにもかかわらずである。(http://www.airforcetimes.com/news/2011/01/air-force-generals-clash-on-osprey-crash-012211w/)……そんな中、玄葉外相が10月9日の閣僚会合で、「オスプレイを日本が独自に所有することを検討してもよいのではないか」と提案していたことがわかった。「離島防衛や災害救助の面で対処能力が高まる」というが、政府内には「日本が所有することで、オスプレイの安全性を強調できるとの意見もある」そうだ。防衛省は今後、オスプレイの将来的な導入に向けた検討作業のレベルを上げる見通しという。この国にまったく必要のない、しかも欠陥品を押しつけられておいて、それを自分からもっと多く買おうというのだ。愚かで筋の通らない話だ。……こういう話は十年前なら大問題になっているはずだと思う。この国、理不尽さや不正義の横行に対して、あまりにも麻痺しているのではないか。
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ノーベル賞よりオスプレイ

2012-10-14 | Weblog
ノーベル賞ってなんなんだ。受け狙いなのか「EU」に受賞というのは。で、村上春樹さんがもらえるかどうかはどうでもいいことで、村上さんは今からでもやっぱりということで「芥川賞」をもらったほうが、それはよほどびっくりするだろう。ないだろうけど。医学生理学賞山中氏のニセモノは出てくるわ、そのショボさに驚かされるわ、である。ショボいといえば、橋下「維新」のちっちゃさには、あらためて呆れる。法律家のくせに憲法というものが何なのかわかっていないんじゃないだろうか。それはもちろんこの国全体のショボさとちっちゃさである。現実感がないのではない。このショボさが現実なのである。この空気がである。三浦雄一郎さんのエベレスト挑戦にも驚かされる。で、そうしたいろいろな情報が羅列されている新聞の紙面にも寒々しさがある、と感じつつ、でもほんとうはどこか、そうではないのではないかと思っている。いいじゃないか八十一歳のエベレスト。並べよ、いろんな記事。新聞とは昔からそういうものだ。新聞の側が変わったというのは浅はかだ。記事に現れるような一つ一つの事象の違い、重さと奥行きのそれぞれを、とくにこの国の人々が感じ取れなくなっているのだ。そして新聞に載らないこととしては、ある人から、官邸前の反原発デモにはどうやらもう三千人しか集まっていないらしいことを聞く。……世間は知らないが私はオスプレイのことばかり考えている。本物を沖縄で見て体感しているのでその事実を信じられるということもあるかもしれないが、それは一つの方向の現実感覚に過ぎない。まるで本気でこの問題を考えていないこの国の政治と報道について、そのショボさと寒々しさについて、そこからもしっかりと「現実」を受け取っている。オスプレイがほんとうに日本じゅうを飛び始めていることに対して、国民がとことん無感覚であることじたいが、現実。一機が普天間基地で本日二度目の離陸をしようとして不具合で引き返したって、みんな自分には関係ないと思っている。八年前に沖国大に落ちたCHの倍もあるものが、まさか落ちてくるとは思っていないのだろう。で、だ。仲井真知事が、これまで散々言い続けてきた、オスプレイ強行配備の暁にはと約束した「沖縄の全米軍基地閉鎖」を、ほんとうにきっちりと終わりまで実践してくれたら、彼をぜひノーベル賞に推薦したい。もちろん「イグ・ノーベル賞」じゃないほうに、である。
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一年が過ぎた

2012-10-12 | Weblog
三田文学No.111(2012年秋季号 定価950円)が発売された。ようやく情報がHPに掲示される。「無秩序な小さな水のコメディー」連作として『入り海のクジラ』『利き水』『じらいくじら』の三作が載る。この雑誌に戯曲が載るのは初めてだという関係者もいたらしい。そんなはずはないんじゃないかと思うが。……本日は斎藤憐さんの一周忌である。志磨真実さんの命日でもある。『じらいくじら』は、憐さん真実さんと一緒に滞在したシンガポールの「ランドマイン(地雷)・プロジェクト」合宿で書いた。その時肝臓を病んで最後の入院をされていたのが今座高円寺で上演中の『霊戯』を書いたシンガポールの劇作家クォ・パオクンさんだ。見舞いに行った後の憐さんのことを振り返ってみる。十年。……パオクンさんが梅ヶ丘BOXを訪ねてくださり、お話ししたのはもっと前のことだ。……今は戯曲を書きながら、(現在のことを扱っている部分も半分はあるのだが)、後は過去にトリップする日々が続いているので、どうしても意識が垂直に動く。……「垂直」? 具体であり抽象として。それが何を意味しているかは、やがて丁寧に語ろう。おそらく、舞台上でだ。
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「いいね!」とは言えない

2012-10-12 | Weblog
SNS最大手のFacebookには、書き込みや紹介された記事に対して「いいね!」というボタンを押すシステムがある。内容に対して同意できる、評価できる、という時に押し、複数の人が押せば、その「いいね!」を押した数が表示される。私はツイッターはやらないがFacebookはやるわけであるが、この「いいね!」システムはいちいち言葉を書き込まなくて良いので、賛意を示す時に便利である。「読みましたよ」ということでもある。しかし、「悲惨な事象」や「否定すべき意見」やらを紹介された時にはさすがに「いいね!」は押しにくい。そういう時には「いいね!」ではない別な言い方が必要なのではないかと思っている。「同感!」「そのとおり!」「まったく!」というようなものだと思うが、何がいいのかわからないでいる。そもそも私が思いついたからといって、Facebookが採用してくれるわけではないのだが。……それにしてもこの間のオスプレイ配備問題はとくに、内容的には「いいね!」と言えるものがまったくない。ひどい話ばかりだ。とくに高江にオスプレイが行き来している映像に決して「いいね!」はつけられない。……夜になって、仙台で活躍されていたTheatreGroup「OCT/PASS」、前身「十月劇場」主宰の、石川裕人さんの訃報が届く。もう二十年以上のおつきあいであった。新橋でのテント公演のアフタートークに呼ばれたのももう十数年前だろう。今年、坂本長利さんと五大路子さんで東北を舞台にした秋浜悟史作『冬眠まんざい』リーディングを演出することになったので、青森美術館で同作品を演出したばかりという石川さんに、長時間いろいろとお話を聞いた。独自の解釈が聴けた。楽しくお話ししたし、ご病気のことはご本人からも聞いていたが、お元気そうだった……。私がイタリアの仕事のため行けなかった燐光群『宇宙みそ汁』仙台10-BOX公演には、差し入れを持ってきてくださったのだ。……これからのこと、東北のこと、率直に話し合える、だいじな方でした。声と語り口は今でも聞こえてくる気がするくらいに印象的だ。ほんとうに残念である。心よりご冥福をお祈りする。
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オオシマゼミの声にオスプレイの轟音が重なる 高江

2012-10-11 | Weblog
オオシマゼミは名前の通り奄美大島発祥のセミだが沖縄ではやんばるにしかいない。と思ったら最近はそうでもないそうだ。どんどん南下して今では沖縄市の登り川付近まで拡がっているという。秋に鳴くセミ、秋が深まるにつれ数を増してくる。十一月辺りがピーク、セミの中で最も遅れて最後まで鳴き続けるセミである。鳴き声はカエルみたいとも言われる。ケン、ケン、あるいは、カン、カン、と聞こえる。オスは「ジジジジ……」の合間に甲高い金属音のような「カーン!」という声。「カンカンカン……」という連続は、「鐘の音を思わせる気品と風格のあるもの」という意見もある。序奏と後奏があり、多くの場合一回ごとに完結するタイプの鳴き方をするが後奏を序奏につなげて何回か続ける鳴き方をすることもあるという。数回鳴いては鳴き移ることも多い。セミとは思えない声だが、その姿は美しい。動作はあまり敏捷ではなく、個体数が多いときには木の幹の低いところにもとまる。だから容易に肉眼で見たが、緑色、部分的には鮮やかなエメラルドグリーンで、宝石細工のようだ。ツクツクボウシに似るが緑がより濃く、腹部背面の青い横線がとても美しい。(撮影・小島曠太郎)……オスプレイが、阻止しようとたたかっていたN4地点に着陸してしまった。オスプレイパッドはさらに拡大されようとしているので工事が終わったわけではないが、難なく着陸してみせて威圧し、こちらの士気を低下させようとしているのだろう。届いたそのオスプレイが上空を横切る最新の記録映像を見て、私が深く魅了されたオオシマゼミの声に、オスプレイの低周波の轟音が重なっているのを聴いた時、あらためて怒りがこみ上げてくる。鳥たちは、虫たちは、生きるため飛ぶ。オスプレイは生きものの暮らし、命を奪うために飛ぶのだ。
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ティモールのヤシ糖

2012-10-10 | Weblog
小池博史さんの書き込み情報で、2050年にはインドネシアが世界5位以内の経済大国になる予測というのがあって、そうかも知れないと感じた。世界の動きとしては、インドネシアの繁栄はめざましいものがある。二年前にジャカルタに行ったときはほんとうに見違えた。モールは日本より立派なものもある。新車がすずなりで大渋滞しており、これは地下鉄工事を急ぐのも無理はないと思った。新車が多いのは、ローンが組めるようになったからであり、ローンが払えず転売しても高値で売れるのでリスクが少ないからである。この、珍しく日本を愛してくれている国に、看護師になる人を募り、来日させておいて、結局は言葉問題中心に厳しく採点して多くには資格を与えなかったり(インドネシア・フィリピン両国の受験者の合格率は11・3%)の仕打ちはいかがなものかと思って久しい。インドネシアは二万以上の島があり、面積は北米大陸と変わらない。赤道も含んで暑いが資源も豊かな地域だ。東端はフィリピンや台湾ともけっこう近い。ティモールも近い。ティモールは私の愛するインドネシアのラマレラから百キロも離れていない。そもそも私のインドネシアとの関わりはクジラ関係からで、南国クジラ漁の師・小島曠太郎&江上幹幸のお二人が導いてくれたのだが、彼らはティモールに民俗学研究に通ううち、ラマレラに出会ったのだという。先日の沖縄行きでも宜野湾在住のお二人にすっかりお世話になったが、お土産にいただいたのが、ヤシ糖である。ラマレラではヤシ酒トゥアックがヤシの蕾から湧き出てくるこの世の楽園を体験したが、そのヤシ成分を「糖」にすることもある。ヤシ糖は、ティーモール島などにおいて伝統的な技術により長い間作られ市場で販売されていて、ティモール島では主にロテ島人がその生産にかかわっているそうだ。江上さんが現在調査しているロテ島人のヤシ糖生産村で、今年の夏にヤシ糖生産用の炉を新たに作ってもらい、その炉を用いてヤシ糖を作ったのだという。とりわけ必要のない炉をわざわざ作ってくれたそうで、江上さんは彼らに感謝しているということである。……分けてもらって帰ったが、黒糖とはまた違うまろやかな味わい。写真で見るとおり、円形の型に作っている。この事業が発展してこれからのティモール産業に貢献すると嬉しい。ちなみに江上さんは沖縄国際大学で教鞭を執っているが、八年前のヘリ墜落事故では落下した校舎の反対側にいた。彼女の体験を戯曲『普天間』でも参考にさせていただいている。……沖縄でのオスプレイ反対のたこ揚げに対して、「墜落の恐れが高まってしまいませんか? 一種のテロなのでは?」というとんちんかんな意見が主に本土から出ているようだが、目取真俊さんが朝日新聞九州版で答えているとおり、つまり、「たこ糸が絡まってあの大きなオスプレイが落ちるって、本気で言っているんですか?」「米軍は各地で自爆テロや火炎瓶を相手にしてきている、沖縄は居心地が良すぎたんです」ということである。そもそも守られていない「飛行高度基準」に対する抗議でもあるのだが、それは本土ではほんとうにぴんと来ない感覚だろう。「たこ揚げ」という家族連れでも参加できる抗議活動を持つ豊かさをこそ、評価すべきなのである。
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「現実」をロマンチックに「翻訳」してはいけない

2012-10-09 | Weblog
「シアターアーツ」を発行している国際演劇評論家協会(AICT)日本センター主催のシンポジウム、シアター・クリティック・ナウ2012「震災と演劇:新しい演劇パラダイムを求めて」。「震災と演劇」をテーマにした2部構成。第1部は若手を中心とした一人10分程度のショート・スピーチ。半分くらいしか聴けなかったが、二十歳代から三十歳前後の人達は、一昔前よりも理性的でしっかりしているという印象。震災被災地で避難所のことを「アジール」と意識する人達がいるという。そのことが演劇的にどう回収されてゆくのかは聴いていてもよくわからなかったが。第2部はパネラーとして出る。福島・南相馬で被災し、今は福島市に在住の大信ペリカンさん、他の批評家氏と。「震災から1年半を経た現在、演劇表現はどのように変わってきたのでしょう。演劇にはなすべきことがあるのでしょうか」ということなのだが、正直、議論は低調だった。結局私には、多くの出席者たちが、「東日本大震災」が、どのように今までの大災厄と違うのか、論理的に考察できているとは思えなかったからだ。つきつめれば、「あまりにも大勢の方が亡くなった」という衝撃のところで足踏みしているようにしか感じられなかった。内田洋一氏が言うように「死の重さを受け止めることも演劇の役割」なのだということはわかる。しかし「鎮魂」にはあらゆる形態があるはずだ。そして、内向きに考えるだけではなく、私たちは世界中に放射能を撒き散らしてしまった「責任」を意識しなければならない。国際的には日本が「加害者」なのだということが忘れられている。それは数十年前に終わったとされている戦争の責任を、この国がいまだにとれずにいることと共通している。一歩踏み出さなければならないし、そのことによってしか、死者たちと繋がり、「同時代」を生きているという手応えを持てないという論理も、理解されるべきである。……この国の現実、例えばアメリカとの関係をみてゆくことに転換しなければならない。もちろん重要なのはアメリカとの関係だけではない。指摘しているのは、アメリカとの関係さえ正当に見ていない、ということだ。原子力の問題はそこを端的に表す。日本に「原発をやめるな」と命令する最新の第三次アーミテージ・レポートとどう向き合うかということが、「震災後」を見据えることに繋がるというのは、当然ではないか。……内田氏が言うように、「震災や事故が演劇を変えるはずはない」。時代の大きな変化が表現に影響するということは、予定調和的に認識されてはならない。以前の号の「シアターアーツ」誌で、ドイツのレーマン教授が「ポストモダン」について考察していたが、私も実感するのは、例えばヨーロッパ演劇の「ポストモダン化」の趨勢は、必ずしも「1989年の大転換」に影響などされているわけではないのである。……しばしば感じることだが、日本の表現関係者はあまりにも、事象をロマンチックに翻訳することでカタルシスを得ようとしていないか。無機的・実験的である方がリベラルであるということでもないが、悪い意味で受け身の「お客様」でありすぎるのではないか。……会場は座高円寺地下。上階の「座高円寺1」に『霊戯』上演のため劇場入りしたスタッフたちがわざわざ挨拶に降りてこられた。ダニー・ユンさんとお会いするのはどう考えても十年以上ぶりだが、私を憶えていてくださった。お元気そうで何よりである。……写真は、高江にも近い沖縄やんばるの海水揚水発電所。先週の沖縄行きで初めて訪問した際に撮影。調整池は、最大幅252メートル、深さ25メートルの八角形状、まるでSFの宇宙ステーションを想起させる巨大さだ。潮の満ち干の力、海水を利用するのだからとてもエコのように感じられるかも知れないが、それは違う。この形式は前提として海水を引き揚げるのに「深夜電力」を利用する。つまり、「基本的な電力」としては原発が存在することが合理的だという論理が背景にある。推進した沖縄電力のトップにいたのが現・仲井真沖縄県知事である。こうした事象を「ただのデータ」と取るか、文脈を読み取れるか、そうした最低限の想像力が「批評」には求められているのではないか。
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枯葉剤を使用された跡が歴然と残る沖縄・やんばる

2012-10-08 | Weblog
籠もって仕事である。至急の短い雑誌原稿は昨日に仕上げたが、幾つか読むべき物も残っていて。……ネット上で何人かが話題にしているのが、現政権の「嘘」の変遷。「2030年までに原発をゼロにする」→「2030年代までに原発をゼロにする」→「2030年代までに原発をゼロにするように努力する」→「2030年代に原発をゼロにするかどうか判断する」、これが現状。この先どうなっていくのか。この「嘘」をただ垂れ流すマスコミと、結局大きな反発を示すことのない「国民」のありかたについても、悩ましく思う。野田首相は東電福島第1原発の原子炉建屋内を初めて視察し「廃炉へ向け着実に進んでいると実感できた」と言うが、真に受ける者がいるだろうか。「大丈夫だから原発を続けたい」というメッセージでしかない。東日本大震災の被災地復興対策として計上された復興特別会計予算で、復興とは無縁な金のばらまきが指摘されているが、防衛省が、宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地で航空機が津波で水没したことにともなう「操縦士の代替養成」という事業や、被災地とは関係のない自衛隊駐屯地の浴場や医務室、食堂、浄化槽、屋外燃料置き場など、施設の建て替えや改修などに支出していたこともわかった。「復興」と、破壊に向かう「戦争」は、もっとも縁遠いものではないのか。復興財源は所得税と住民税の増税で確保する。これではただの増税だし、そもそも被災者に補償が行き渡らない「復興」とは、何なのか。……沖縄での「私の村から戦争が始まる~沖縄やんばる・高江の人々が守ろうとするもの」リーディング上演情報が公開された。「非戦を選ぶ演劇人の会」が、5月に伊丹、7月に東京で上演した台本を、沖縄の人たちがやる。北谷町のニライセンターで、11月6日午後7時から。主催は同町自主文化事業実行委員会。入場料は一般千円。高校生以下500円。問い合わせは同センター、電話098(936)3492。今日も沖縄での推進者である藤木勇人さんと電話で話した。やっと大枠が決まりそうである。……写真は、私が撮影した、高江の、ヘリパット建設予定地N4近くの、枯葉剤の使用が疑われる、草木の生えていないエリア。琉球朝日放送制作のドキュメンタリー『枯葉剤を浴びた島 「悪魔の島」と呼ばれた沖縄』が全国で放送される。関東ではテレビ朝日で深夜三時十分から。正確には、10/08(月) 27:10-27:40。他の地域はHPを御覧下さい。http://www.qab.co.jp/agent_orange/
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大滝秀治さんの「誇り」に涙する

2012-10-07 | Weblog
フェイスブックは4日、過去1カ月間にフェイスブックにログインするなどした利用者が「世界で10億人に達した」と発表した。国連の昨年の試算によると世界人口は約70億人で、7人に1人が使っていることになり、十億人が繋がっていて、利用者の平均年齢は約22歳という。私は最近「ウォール」というか「タイムライン」を覗くことがしんどくなってきている。全ての「友人」の発言を見ることができない。どうしても読ませたい内容はただ書き込むのではなく直接送ってもらうしかないのかもしれない。申し訳ないが、私からの反応がなくても許してほしい。海やら島やらに行っていたり、缶詰になっていたりすると、とてもじゃないがすべての書き込みをフォローできないのである。残念である。しかし私はツイッターをやらない。やっている人は「個人」の時間を私以上に失っているはずである。日常生活は大丈夫なのだろうか。……熊本・川辺川ダムを巡るたたかいは、日本の運動史の中でも特異である。大滝秀治さんの舞台出演の遺作となった拙作『帰還』が、私が思うほどには世間の注目を集められなかったことは残念だが、これは僻み根性でも何でもなく、「運動」そのものへの偏見というものが日本社会のみならず劇の世界の内外にもいやな感じで存在していることが大きいと思っている。「3.11」以前に書いたこの劇に、放射能汚染の時代を生き延びるためのこれからの課題が詰まっていることも確かで、まだまだ効力を持つこの戯曲じたいをこれから何らかの形で活かしていければと思っている。付け加えると、私は『帰還』にラブシーンを書いた。それに大滝さんと相手役の中地美佐子さんが身体ごとで応えてくれた。そして演出の山下悟さんがおおらかにすべてを受け入れてくれた。それだけでもじゅうぶんありがたいことである。山下さんによれば、彼の義父にもあたる大滝さんは病床で「あの歳で『帰還』を最後までやり通せたのは僕の誇りだ」と言っていたという。そうした思いを未来に繋ぎたいと思う。……眠れず中途半端に起きる。いちにち机に向かい仕事する。沖縄のことは気になるが、ほんとうにヤマトのマスコミは沖縄へのオスプレイ配備についてちゃんと報道しない。ひどいものだ。ニューヨークタイムスの方がよほど正確である。……写真は米軍の沖縄北部演習場、高江のメインゲート。今回の沖縄行きで私も抗議行動をしてきた。『帰還』では大滝さんに1950年代、共産党の五全協・六全協の間の時代に青春時代を過ごしたという設定を生きてもらった。このメインゲートの前に立っていると、その時代と今がどうしようもなく繋がっていることが、まざまざとわかる。実感として。昔話なんかじゃない。「太平洋戦争」が「昔のこと」だなんて思ってる人は、明らかに「世界を生きる感覚」が麻痺している。逃げも隠れもできない。私たちは「同時代」を生きているのだ。
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さようなら大滝秀治さん

2012-10-06 | Weblog
大滝秀治さん亡くなる。最後の舞台が私の書いた『帰還』なので、いろいろな人から連絡が入る。ニュースでも『帰還』の一場面をやっていて、大滝さんの「俺は反革命だ」という台詞が流れたりして、ああ、たいへんヘビーな舞台をやってくださったのだと、あらためて思う。1950年代の日本史を背景にしている劇だけに、彼がいなければ『帰還』のリアリティはなかった。いろいろな作品のことを憶えている。散逸したシナリオを書いた男を演じる倉本聰作の単発の一時間ドラマ(東芝日曜劇場)のことをたまに思い出す。いろいろな映画のことも。もうあの演技が新たには見られないのだと思うと、残念だし、哀しい。ご冥福をお祈りする。

……東京に戻るまであまりパソコンを向いていなかったので、遅れてになるが、平良夏芽の「敗北宣言」を見た。普天間のたたかい、主に9月30日に至る流れについてである。私の新作『星の息子』は、その普天間のことも視座に入れ、ある意味で『帰還』とも通底する劇なので、今まさに私がこれに取り組んでいることが、大滝さんに対する供養であり、生死を超えた繋がりを信じられるリアリティの根源である。

以下、勝手に引用する。

平良夏芽「敗北宣言」

第一次敗北宣言。これを出すに当たって数人の仲間に相談し、皆に怪訝な顔をされた。「闘いはこれからじゃないの?」という反応である。
しかし、私はここであえて敗北宣言をしたい。オスプレイ配備計画を撤回させ普天間基地を閉鎖に追い込む千載一遇のチャンスを沖縄県民が失ったことを県民は肝に銘じる必要がある。
オスプレイは配備され、高江にも飛来した。
次があると言う言葉を安易に口にする人々に問いたい。このチャンスを逃して、他にどんなチャンスがあるのか具体的に考え、示して欲しい。
事前に組織との摺り合わせがなかった等の不満を抱く人々に問いたい。皆に相談して実行できた行動だったと本気で思うのかと。
オスプレイ墜落という悲劇以外には、県民が一丸となれるチャンスはそう多くはない。そして、墜落という悲劇など私たちは決して望まない。ゆえに、次のチャンスはそう易々とはやって来ない。
私たちは普天間基地のすべてのゲートを閉鎖した。歴史上、初めての出来事であった。10人に満たない仲間で閉鎖を決行し、二百人に満たない人数で23.5時間の閉鎖維持をする事ができた。しかし、日曜日の夜に封鎖が解かれた事によって普天間基地への実質的な影響は限りなくゼロに近い。
人数さえいれば閉鎖を維持し、本格的閉鎖へと追い込むことができたのにである。
私たちは、仲間を集めることに失敗した。県民たちは、怖いとか、旗が嫌だとか、一部の過激なプロ市民の行動だからとか、何の意味があるのか?とか、様々な理由をつけて、いずれにしても駆け付けなかった。
今一度繰り返す。沖縄は、普天間基地閉鎖の千載一遇のチャンスを逸した。
奇跡的に近いうちに再びチャンスが到来した時に、同じ過ちでせっかくのタイミングを失わない為にあえて厳しく書く。如何なる理由をつけても物理的理由以外の理由で駆け付けなかった人々。呼びかけを疎かにした人々は自らの怠惰によって沖縄の未来を捨て去ったことを知るべきである。
私たちは、それでも諦めない。漠然とではなく、具体的方策を模索し実施し続ける。
次のチャンスのために地盤を固め直す必要がある。
今一度、頑張りましょう。


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オスプレイが普天間から高江の空に

2012-10-05 | Weblog
米軍普天間飛行場で、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの飛行訓練を開始。北部方面に飛び立った機は伊江島補助飛行場でタッチアンドゴー、北部演習場へ。『私の村から戦争が始まる』リーディング台本に場面を出すよう提唱した「高江にオスプレイ現る」、が現実に。同機はキャンプ・ハンセン、ブルービーチを経由した後、普天間に戻った。訓練施設を一通り回ったわけだ。私も普天間に移動。尾翼が赤くペイントされた番号「00」の隊長機が固定翼モードで北部方面に離陸するのを見送る悔しさ。やがて、同機が戻ってきて普天間にヘリモードで着陸したのを、抵抗運動としてたこ揚げが行われたという、今は警戒されている空き地付近で、超至近で目撃する。いきなり現れたので驚く。確かに大きい。写真には撮れなかった。写真は嘉数高台から見た普天間基地滑走路。遠すぎてここからはオスプレイは見えない。回りから見えにくい位置に止められているのはなぜか……。沖縄国際大学の最上階から、オスプレイの羽根は視認できた。感想は記したくもない。事実のみ伝える。
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まだオスプレイの来ない高江の空

2012-10-04 | Weblog
高江。いろいろあったがこれがこちらでは日常なのだ。……夜はヘビーな話。問題はこれからをどうするかだ。……写真は二日、前日東岸ルートで目撃の噂もあり普天間に向かうオスプレイが高江上空ルートに来るかもということで琉球朝日放送の人達とムーランの屋上で待ち受けている時に見た龍のような雲。自然の雄大さとせこい政治のために来る不審機を待っている状況が極めてミスマッチ。巨大な龍の骨のような雲が、人に気づかせない速度で流れてゆく。オスプレイは結局海上ルートでこの地を通過せず。
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久しぶりの高江

2012-10-03 | Weblog
で、普天間基地を巡るあれこれをよそに、高江にいます。台風一過、テントを組み立てなおしたりの再スタートの日。なにしろいろいろと問題があるので、詳細は記しません。なぜ記さないか不思議に思われる方は、高江のことを調べてみてください。いろいろな人達と過ごす一日。私たちは旅人としてそこに加わるが、ここで暮らす人々は思いは。……写真は、あらためて張られた「非戦を選ぶ演劇人の会」の横断幕。
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普天間基地へ

2012-10-02 | Weblog
県民による普天間基地封鎖の達成もその後の米軍の動きを留めることは能わず、ついに午前十一時過ぎ、米軍普天間基地にオスプレイが飛来した。ネットでその映像を見ていて、激しい悪寒。「ちくしょう。来やがった」とも思うし、 沖国大の校舎とオスプレイが同じ画面に見えた瞬間、「この国は過去に学ばない」という現実に寒気がする。……で、この日の夕方、私は沖縄に来た。野嵩ゲート前(写真)。一昨日、激しい攻防の中で一瞬失神させられたという山城さんと、久しぶりの挨拶。小掠先生とも話をする。あまり長い間は沖縄にいられないし、本来の目的は普天間以外の取材なのだが、USTREAMの映像で見ていた風景、人々、そして機動隊が目の前にいる、この現実の空気も、もらっていきたい。エセ右翼(?)の襲撃もあったが、夜八時までの座り込みは終了。……ヤマトの沈黙こそ暴力だと思っていたが、沖縄にいても表面上の温度は低いかもしれない。しかし根底が動いている。多くの人たちが言うように、この島で「戦後」は、完全に終わった。
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