Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「現実」をロマンチックに「翻訳」してはいけない

2012-10-09 | Weblog
「シアターアーツ」を発行している国際演劇評論家協会(AICT)日本センター主催のシンポジウム、シアター・クリティック・ナウ2012「震災と演劇:新しい演劇パラダイムを求めて」。「震災と演劇」をテーマにした2部構成。第1部は若手を中心とした一人10分程度のショート・スピーチ。半分くらいしか聴けなかったが、二十歳代から三十歳前後の人達は、一昔前よりも理性的でしっかりしているという印象。震災被災地で避難所のことを「アジール」と意識する人達がいるという。そのことが演劇的にどう回収されてゆくのかは聴いていてもよくわからなかったが。第2部はパネラーとして出る。福島・南相馬で被災し、今は福島市に在住の大信ペリカンさん、他の批評家氏と。「震災から1年半を経た現在、演劇表現はどのように変わってきたのでしょう。演劇にはなすべきことがあるのでしょうか」ということなのだが、正直、議論は低調だった。結局私には、多くの出席者たちが、「東日本大震災」が、どのように今までの大災厄と違うのか、論理的に考察できているとは思えなかったからだ。つきつめれば、「あまりにも大勢の方が亡くなった」という衝撃のところで足踏みしているようにしか感じられなかった。内田洋一氏が言うように「死の重さを受け止めることも演劇の役割」なのだということはわかる。しかし「鎮魂」にはあらゆる形態があるはずだ。そして、内向きに考えるだけではなく、私たちは世界中に放射能を撒き散らしてしまった「責任」を意識しなければならない。国際的には日本が「加害者」なのだということが忘れられている。それは数十年前に終わったとされている戦争の責任を、この国がいまだにとれずにいることと共通している。一歩踏み出さなければならないし、そのことによってしか、死者たちと繋がり、「同時代」を生きているという手応えを持てないという論理も、理解されるべきである。……この国の現実、例えばアメリカとの関係をみてゆくことに転換しなければならない。もちろん重要なのはアメリカとの関係だけではない。指摘しているのは、アメリカとの関係さえ正当に見ていない、ということだ。原子力の問題はそこを端的に表す。日本に「原発をやめるな」と命令する最新の第三次アーミテージ・レポートとどう向き合うかということが、「震災後」を見据えることに繋がるというのは、当然ではないか。……内田氏が言うように、「震災や事故が演劇を変えるはずはない」。時代の大きな変化が表現に影響するということは、予定調和的に認識されてはならない。以前の号の「シアターアーツ」誌で、ドイツのレーマン教授が「ポストモダン」について考察していたが、私も実感するのは、例えばヨーロッパ演劇の「ポストモダン化」の趨勢は、必ずしも「1989年の大転換」に影響などされているわけではないのである。……しばしば感じることだが、日本の表現関係者はあまりにも、事象をロマンチックに翻訳することでカタルシスを得ようとしていないか。無機的・実験的である方がリベラルであるということでもないが、悪い意味で受け身の「お客様」でありすぎるのではないか。……会場は座高円寺地下。上階の「座高円寺1」に『霊戯』上演のため劇場入りしたスタッフたちがわざわざ挨拶に降りてこられた。ダニー・ユンさんとお会いするのはどう考えても十年以上ぶりだが、私を憶えていてくださった。お元気そうで何よりである。……写真は、高江にも近い沖縄やんばるの海水揚水発電所。先週の沖縄行きで初めて訪問した際に撮影。調整池は、最大幅252メートル、深さ25メートルの八角形状、まるでSFの宇宙ステーションを想起させる巨大さだ。潮の満ち干の力、海水を利用するのだからとてもエコのように感じられるかも知れないが、それは違う。この形式は前提として海水を引き揚げるのに「深夜電力」を利用する。つまり、「基本的な電力」としては原発が存在することが合理的だという論理が背景にある。推進した沖縄電力のトップにいたのが現・仲井真沖縄県知事である。こうした事象を「ただのデータ」と取るか、文脈を読み取れるか、そうした最低限の想像力が「批評」には求められているのではないか。
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