つかこうへい作『熱海殺人事件 vs 売春捜査官』、ついに初日。
昨日はプレビュー。「百度以上『熱海殺人事件』を観てきた」という方がいらっしゃって、興奮のメッセージをいただきました。「つかさんは褒めてくれるでしょう」というお言葉もいただきました。
戦後演劇の金字塔『熱海殺人事件』、 その発展形『売春捜査官』。 二人の「くわえ煙草伝兵衛」が、激突します。
これは「事件」だ、という声の中、本日開幕です。
写真は、木下智恵。つかさん自身の指導で演じた女部長刑事を、九年ぶりに演じます。(撮影・姫田蘭)
当日パンフレットに記載した拙文をこちらにも掲載します。
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つかこうへい氏は、演劇雑誌〈新劇〉の連載「熱海殺人事件必勝法」第一回で、こう記している。(一九八〇年七月号)
そろそろ地方の真面目な演劇青年たちのために言っておこうと思う。
先日も、土佐の高知に行ったのだが、相変わらず「熱海」であり、「新宿」であり「六本木」である。
高知なんてのは由緒ある桂浜があり、坊さんがかんざしを買ったという播磨屋橋があるというのに、第一、客がかわいそうである。
六本木でどうしたとか、新宿でこうしたなんて見知らぬ地名を出されても、臨場感など湧くはずはなかろう。
はっきり言っておくが、一字一句間違えずにせりふを言われたって、作者は何も嬉しくはない。
最低、高知だったら高知で、『熱海殺人事件』を『桂浜殺人事件』と変えて上演する作者への礼儀をもってほしいということなのだ。
秋田だったら『八郎潟殺人事件』、北海道なら『登別殺人事件』ができる。
地方から出てきたばかりで演劇青年ともいえなかった当時の私は、これを読んでいる。その時には自分が将来『熱海殺人事件』を上演する日が来るとは夢にも思っていなかった。
あれから三十九年。東京在住ではあるが、「ここに生きている」とも言えぬようにゆらゆらと漂ってきたような気がしている私が、『熱海殺人事件』に取り組むさい、つか氏の言われるように、「いま自分自身がどこにいるのか」を真摯に考え、『熱海殺人事件』を『××殺人事件』と変えて上演しなければ、「作者への礼儀を尽くせない」ことになってしまうと考えた。
ただ、私は、可能な限り新たに書き加えることはせず、できるだけつかさんのせりふだけで上演したいと思った。なので前半は、構成し直しているところはあるが、私が書き加えたところは、まったく、ない。
後半はつかさんが「『熱海殺人事件』必勝法」で提示された理論に従い、場面設定を変更させていただいた。『売春捜査官』が中心になるのだが、なぜこの部長刑事が「売春捜査官」でなければならなかったのか、その点を中心に、現在という時間にアップデートする形で、プロットを再構築させていただいた。明らかな舞台設定の違いゆえに変化したり付け加わったところも幾ばくかはあるが、「売春捜査官」である部長刑事と、その周囲の人々のせりふは、ほぼつかさんが書かれたものばかりである。これはもう意地になっているくらいに、設定のために変更された固有名詞以外はつかさんのせりふ中心で繋いでみたところが多い。意味がずれて使われたりしている箇所も幾つかあるが、そこは許容範囲と思っていただきたい。
『売春捜査官』の「李大全」にまつわるエピソードは、つか氏ご自身が演出される場合はともかく、私には手強すぎた。ここも、なぜ彼女が「売春捜査官」なのか、という本筋をよりすっきりさせる形で、設定を変えて上演させていただいた。といっても、『熱海殺人事件』が「モンテカルロ・イリュージョン」になるほどの改変ではない、と思うのだが。
この冒険を許して下さったつかこうへい事務所さんに感謝すると共に、勝手な理屈かもしれないが、この仕事を通して、つかこうへい氏と共同作業をさせていただいているような、不思議な充実感を得させていただいていることを、とてもありがたく思っている。
http://rinkogun.com/Atami_vs_Baisyun.html