円城寺あや、つかこうへい作品に、初の登場。
思い返せば、夢の遊眠社とつかこうへい事務所が競い合うようになった、80年代前半。
夢の遊民社のヒロインが、こうしてつかこうへい作品に挑むというのは、当時の人たちからすると、かなりな衝撃、ということになる。
いや、しかし、つかこうへい作品に取り組むというのは、私にとっても初の試みで、これまでとはまったく違う体験である。
翻訳劇以上にたいへんである。
そして、急激に、円城寺あやさんのせりふが、ある瞬間、つかこうへい節とぴったり合う、ということが起きてきた。これは、長台詞というものの持っている何かであるかもしれないし、80年代前半的な何かが、時代の共感として、いまも残響しているものなのかもしれない。
しかし……、80年代前半って、いつのことだ。私にとってはある意味、「最近」である。だらだら生きてきたくせに、と言われてしまうのかもしれないが、気分は浦島太郎、である。自分のトシを忘れている。こんかいの演出助手・中山美里は自分の息子よりも若いのだが、そういうことが何も関係なく、ただただ、現場は進んでいく。
とにかく、つかこうへい戯曲は、手強い。楽しく苦しんでいる。こんなに苦しんだことはない、という俳優もいると思う。だが、稽古場は、ここしばらくの悶々とした状態を打開できはじめている、と思う。
私は「上演台本」ということになっているが、今のところ「構成」が主で、この稽古場で発されているのは、つかこうへいさんの書いた台詞が、99%である。
あと半月、とにかく走り抜ける。
戦後演劇の金字塔『熱海殺人事件』、 その発展形『売春捜査官』。
二人の「くわえ煙草伝兵衛」が、激突します。
つかさんとは擦れ違いばかりだった悪戯小僧が、演出します。
稽古場写真、今後も公開してゆきます。
http://rinkogun.com/Atami_vs_Baisyun.html
それにしても、ロシアから帰ってその足で稽古場入り。
それから二十五日。電車に乗ったのは六回だけ。
稽古引きこもりの日々です。