先日の深夜から未明にかけての、テレビ番組の「この国のカタチ」に参会していたうちのひとりが、「危機だ」と。特別秘密保護法に関わってのことで。「危機に感じられる・声になる」は、ただごとではない、と感じさせてもらえた。危機感が感じられにくくなっているように想えてならない。原発事故に関しても。なにかに囚われ、囚われている自分が見えないまんま、その自分を疑うこともなく・自分を問うこともなく・・・
危機感は、「私が考える」という水準を超えたところ。真の学び(存在のふるさと・ことばのふるさと)の薫りがする。生物としての厳かさの顕れ・実力と言いたい。
「危機」を感じられる資質は、どなたにもどなたにも、すでに具えられているのだが。危機が感じられ、学びへの行動になり、成長(救われ)し、成長(救われ)し続けられている事実が語っている。
危機感は、「私が考える」という水準を超えたところ。真の学び(存在のふるさと・ことばのふるさと)の薫りがする。生物としての厳かさの顕れ・実力と言いたい。
「危機」を感じられる資質は、どなたにもどなたにも、すでに具えられているのだが。危機が感じられ、学びへの行動になり、成長(救われ)し、成長(救われ)し続けられている事実が語っている。