中学生の子が生後間もない乳児の傍にきて、千枚通しを近づけたのを見て、「何すんの」とお世話をしていた人のとっさに声になった言葉だったと言う。すると、その子は次に鉛筆を近づけ「もう、あやすのは止めた」と言ったと聞いた。あやそうとしていたんだと、「あやすの止めた」を聞いて、まさに、その子のところは、その子に聞かせていただく他は無いと、改めて知らしめられた。「何すんの」は、「どうなっているの」の言葉に私のところで置き換えられた。「何すんの」は、頭から否定されたように聞こえたようだが、「どうなっているの」で「僕あやそうとしていたの」と安心して、彼の言葉で聞かせていただけそうだ。とかく、乳幼児のために気を配りがちだが、はたらきかけている中学生の子の身になるところが、すっぽり抜け落ちてしまいがち。その中学生の子の近づけた千枚通しや鉛筆の形に眼を奪われるのも確か、それはそれとして動機を伝えてくれているその子とこの身のためには「どうなっているの」と言う言葉は私には必要。
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