ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




いせ辰。台東区谷中2-18。1989(平成1)年5月5日

谷中霊園の西南端から不忍通りの団子坂下交差点(千代田線千駄木駅)へ下る坂を三崎(さんさき)坂という。本郷側の団子坂とともに「五百年前くらいからある重要な道(『谷中スケッチブック』森まゆみ著、ちくま文庫、1994年、680円)」だという。江戸千代紙のいせ辰は不忍通りから三崎坂の通りを行って坂道にかかる辺りにある。
看板には「谷中 いせ辰店」「元治元年創業/菊寿堂大福帳」とある。店のHP を見ると、店舗名が「菊寿堂いせ辰谷中本店」で、千駄木店が別にある。「江戸末期の1864年に千代紙・おもちゃ絵の版元として神田元岩井町(現岩本町)で創業」した。谷中に移ってきたのは昭和17年。今は谷中観光の土産店といったところだろうか。
建物は昭和22年の航空写真に写っている家だから戦前からあるとしてよさそうだが、その写真ではいせ辰の周りは空襲でかなり焼失していて、焼け残った地域との境になった辺りのようだ。あるいは戦後いち早く建てたものなのかもしれない。


いせ辰。2007(平成19)年10月18日

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ジャングルのむこうは? (定マニア)
2019-01-18 15:23:51
いせ辰と乱歩の間の道をまっすぐ行き、1つ目の角を左折して坂を登った辺り(谷中2-6-29?)、台桜幼稚園の向かいにあったジャングルがきれいになくなって、更地になっていました。洋風建築みたいな家があり、3つくらい表札があって気になっていました。ジャングルのむこうはどんな家だったかご存知ないでしょうか?取り壊している最中でもいいから、真相を確かめたかったです。
 
 
 
>定マニア様 (流一)
2019-01-20 11:26:02
真島坂の坂上の庭木が繁っていた家でしょうか? 私はどうも見過ごしていたのか、その古い家は記憶にありません。ストリートビューで見ると、家は平屋の日本家屋のように見えますが。SVの古い画像を見ても2010年頃にはすでにだれも住んでいないような感じです。手入れをしないと木はやたらと伸びるようですね。
 
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