ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




石崎歯院。神奈川県鎌倉市長谷2-14。1992(平成4)年5月3日

写真を撮ってから20年近くたつから、正確な位置は忘れてしまった。長谷観音前交差点の付近となんとなく思っていた。建物がなくなっているのは分かっていたから、写真右の自転車店を頼りにストリートビューを見てみた。その自転車店「ホンダウイング ヤマガミ」は長谷駅から県道32号へ出てすぐのところに見つかった。写真では看板建築風の表の造りだが今はその部分を外している。「WING」の袖看板は今も使われているようだ。
石崎歯院の建物はスパニッシュ様式になるのだろうか。こういうスタイルの建物は数が少ないので、小さいけれどかなり惹かれる。瓦がなくなっているのが残念だ。玄関の右側がガラス戸に改造されている。「歯科/石崎歯院」と右から書かれた古い看板がかかっているが閉院してしまっているようだ。
長谷駅で下りて大仏や長谷観音へ向かう人は大勢いる。そういう人達はこの歯科医院の建物があったときは皆、この建物を見ているはずであるが興味がなければ憶えてはいないだろう。
関東大震災では巨大な鎌倉大仏がずれ動いたという。鎌倉中でも長谷駅から大仏にかけての被害は特にひどかったらしい。倒壊したうえに火災が長谷寺門前から大仏通り方面に広がった。津波も襲来して、海岸の堤防が破壊され、長谷駅より数10m奥まで流れ込んだ。(『知られざる鎌倉探索』参照)
石崎歯院は大震災の瓦礫を整理して西洋館の診療所に造り替えたか、あるいはよそから駅前の地に移ってきたのだろう。前の道路はまだ砂地だったに違いない。江ノ電でやってくる着物姿の女性や、付近の旅館に滞在している大店の旦那なんかが出入りしていたかと想像される。

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コメント
 
 
 
Unknown (おかんです)
2010-02-17 22:39:38
初めまして。九州に住むおかんと申します!

ちょっと前にランダムブログで偶然その時に出会った
こちらのブログ。
とってもひかれるものがありお気に入りに登録して
毎回拝見しております。

昔々の私が小学生の頃1970年代のなどの

景色と建物。。。。。

もっと前のものも。。。

昔の建築物ってほんとに癒されます。

デコラティブなものは今でもホントにおしゃれですもんね。

近所にも洋裁店でおじいさんとおばあさんがやってる
カクカクした形の洋館風の建物があります。
ショウルーム的なガラス張の出窓も天井からは
当時からのごにょごにょした形の照明が下がっていて。。。
でも球が切れてて明かりはついてないんですが
ホントにいつもそこのまえを通る時は
心地よくって、いい気分で中のおじいさんたちを覗きながら歩いています。

木造のお家の写真を見ると生まれてから7歳まで、私の祖父と一緒に住んでいた
家を思い出します。

つい数年前、懐かしい気持ちになりたくて
何時間か掛けて30年ぶりくらいに見に行きました。

今でもどなたか住まわれていて嬉しかったのを
思い出しました。

私は建物に関しての知識は全くないですが
こちらのブログで興味津津になっています。
仕事終わって、子供たち寝かせてからチェックする
のが楽しみの一つです。

これからも楽しみに拝見させていただきま~す!!
ありがとうございました~!
 
 
 
ありがとうございます! (小ノ電)
2010-02-18 00:19:52
はじめまして。小ノ電と申します。
模型で古い街並みを再現しているので、
近代建築の実例の参考とさせていただくために、
たびたび拝見させていただいております。

今回は、ずっと探していた建物の写真が
アップされましたもので、ぜひともお礼を申し上げたく、参上いたしました。
現在製作中の模型、昭和30年代の長谷駅周辺を題材としております。当時の長谷駅、およびその向かいの商店等の資料は発見いたしましたが、駅並びの石崎医院の写真は、なかなか鮮明なものが見つからず、半ば諦めておりました。このたびこちらでその鮮明なカラー写真を拝見することが出来、感激しております。
石崎医院の建物は、1984年の神奈川縣教育委員会『神奈川県文化財調査報告集 第44集』によりますと、明治39年建築ということです。
これでやっと、この建物も模型化することが出来そうです。どうもありがとうございました。
もしほかにも鎌倉周辺の洋館、近代建築の写真をお撮りになっておられましたら、ぜひ拝見させていただきたく存じます。今後のブログ更新を楽しみにしております。
 
 
 
>おかん様 (流一)
2010-02-18 11:40:37
九州にお住まいの方が当ブログを見てくれているとは以外でした。掲載した写真の建物を実際に眺めていた人が、懐かしさでその写真を見るだけではなくて、もう少し一般的ななにかがあるのでしょうか。
石崎医院の建物は、私もわけもなく懐かしい感じがして仕方ありません。
とにかく応援をありがとうございます。今後もよろしくお願いします。
 
 
 
>小ノ電様 (流一)
2010-02-18 12:04:26
古い建物の写真を資料として提供するのが当ブログの目的のひとつなので、模型製作の資料になるとはとてもうれしいです。残念ながら石崎医院に関してはこの1枚きりです。こんなことならアングルを変えてせめてもう1枚撮っておくべきでした。
鎌倉の洋風建築は目に付いたものは撮影していますが、有名な寺院への沿道にあるものが主で、まだ現存している場合が多いのではないかと思います。あまり期待しないでください。
 
 
 
懐かしい (孫です)
2019-11-15 10:58:41
投稿から10年近く経っているのですね
何となく長谷石崎医院と検索しました。
私の祖父母の家です。
現在は取り壊されています。
懐かしいです。
庭は川に面しとても広かったのですよ。
写真掲載ありがとうございました。
 
 
 
>お孫様 (流一)
2019-11-17 11:15:59
鎌倉のおじいちゃんち、ですか? 表札(右から書きで「齒科/石崎齒院」)がまだかかっていますが、撮影時にはすでに廃業していたようにも見えます。医院の開院、閉院の時期は分かりますか? 
住居は洋館の診療所と同じ建物でしたか? 別棟の日本家屋だったということはなかったでしょうか? 
裏の川は当ブログの「稲瀬川の橋/鎌倉市長谷」で取り上げたものですが、川の名をなんという名称で呼んでいたでしょうか?
質問ばかりで申し訳ありません。
 
 
 
Unknown ()
2020-04-28 18:02:54
お返事に気づかず申し訳ありませんでした。

まさに鎌倉のおじいちゃん、おばあちゃんのうちです。
大好きで学生の頃でも1人でもよく遊びに行きました。
庭に面した川は特に呼び名もなく、
と言うか知らず、、
川は2m位下がった所にあったので
降りる事はしませんでした。
水量も少なめだった気がします。

ただ、あそこの道側は台風や大雨だと
床下浸水、もうすぐ床上位水が溢れました。
(庭側がどうだったか覚えてません、、もしかしたら庭側は川に水が落ちていたのか??)

現在90の母が小さい頃からあそこに住み、歯医者だったようです。
庭で山羊を飼ってたとか、、
ですが50年程前はもう歯医者さんは細々だった気が、、

建物は確かに庭側は畳の部屋、縁側もありました。
お風呂に窓が付いていて
そこから覗くと小さな中庭のようなスペースがありました。
でもそこに行く事は出来なかったと思います。
もしかしたら
そこが道側の洋館と庭側の和風の境目だったのかもしれません。

建物の前面、向かって右側、道側の日除けがある所、最初は歯医者さんの待合い室だったのですが、
待合い室を小さくしお店に改装していました。
祖母が、最初はお花屋さん、その後は
おたふくと言う千代紙人形で作った小さなお人形等のお土産物を売っていました。
50年前はお花屋さんだと思います。
おたふくと言うお土産屋さん、、
40年前はもうおたふくだった気が、、
観光の本やテレビにも出た事があります。
答えになったかどうか、、こんな感じです。
 
 
 
>お孫様 (流一)
2020-04-30 09:55:41
丁寧なご返答、ありがとうございます。
両側の家が迫っているので、家の横側が観察しにくようですね。そのつもりで見ないと家の構造が判りにくいのでしょうね。昔の航空写真(1990年頃)
http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/lmap.html?data=history
からは診療所の後ろに別棟のような、赤い屋根の棟と木が植わった庭が見えます。少なくとも診療所と住居とは屋根は別ですね。
グーグル地図のストリートビューで見たのですが、裏の川が東へ直角に曲がるところには、西の方から来る下水が合流しているようです。周囲の水が集まってくる地点なのでしょうね。
待合室を改装してお店にしていたとは! 日よけはその名残ですか!
 
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