銀河太平記・228
「やっぱり、ここじゃダメだったんですよ、小爺(シャオイェ)」
「ああ、もう言わんで欲しいアルヨ老婆婆(ラオポゥポゥ)」
「 昔からですよ、小爺はいつも大事なものを仕舞っては忘れてしまって『どこにいったんだ!?』と大騒ぎするんですからね」
「隠したのは確かだけど、忘れたわけじゃないアルヨ。分かってるだろ老婆婆?」
「ほんとうに大事なものなら、この小鈴にお頼みなさい。もう閉めますよぉ小爺」
「おまえはもう帰っていいよ、俺は、もうしばらく見ていくアルヨ」
「そうですか、じゃあ、晩ご飯までには帰ってくるんですよ小爺」
「ああ、お前も気を付けるアルヨ、老婆婆」
「はい、じゃあ、鍵お願いしますよ小爺」
老婆婆は皺くちゃの小さな手で俺のでかい手を包むようにして鍵を渡し、念入りに二回揺すって階段を上って行く。
「家まで見届けておくれ鈴麗(リンレイ)」
「お一人になりますが……總經理(ヅォン ヂィン リィー)?」
「ああ、もう少しここにいるよ」
「では、直近の警衛を一人まわしておきます」
有能な秘書は、護衛の手配を一瞬で済ますと、孫家でただ一人生身の老婆婆の見送りに行った。
さて、一人になって見ると、このカルチェタランは広い。
隣接するビルの地下も買い取って、延べ輿床面積は400平米を超える。
グランマがここを畳むと聞いて、即金で買ったのは、ついこないだという気がするが、もう四半世紀以上も昔のことだ。
満州戦争で奉天が灰燼に帰すのは目に見えていた。
できることなら、北大街全部を保全して守りたかったが、このカルチェタランを含む奉天物産公司ビルと隣のビルを買い取って保全するのが精いっぱいだった。
戦後、一ブロック先に別のビルを建てて真カルチェタランとして営業、それ以来ここはモスボール状態で法的にはただの倉庫だ。戦後、登記するのに役人に見せたとき「これは高級風俗店ですよ、孫大人」と言われたが「カルチェタランは文化財アルヨ」と、日漢双方の学者の鑑定書を見せて事なきを得た。
じっさい、真カルチェタランは、季節ごとにここから持ち出した備品で模様替えをやっている。
ここの番人は老婆婆の小鈴に任せた。
小鈴は父の代からの使用人で、若いころは孫家の家政を取り仕切り、俺が生まれてからは乳母を兼ねてくれていた。だから、小鈴が管理する物件は世間からも身内からも、孫悟兵のガラクタ番だと思われていた。
小鈴が番をしてくれているうちはJRは無事だった。
しかし、戦後二年目に小鈴が体を壊して、それ以来番頭たちの勧めもあって、ここの管理と警備はAIとロボットに任せるようになった。
そして、まんまとJRを盗まれてしまった。
気づいたのは劉宏大統領がPI(パーフェクトインストール)をして西之島を訪れた時だ。大統領はプールの事故で心停止した時に秘書の王春華にPIした。そのことは知っていたが、それがJRであるとは知らなかった。奉天に立ち寄る度に倉庫のことは確認していたからな。
未練たらしいのだが、もう一度バックヤードに入ってみる。
Aブロックには季節ごとの什器が保管され、奥のBブロックにはカルチェタランで踊り子をやっていたロボットたちがモスボールされている。
そのモスボールの中央に佇立しているのがJR。
JRは二体ある、JR西とJR東。
なんだか昔の日本の鉄道のようだが、造った敷島教授のラボが西と東にあったことに由来しているかららしい。俺が付けるならJR悟とJR兵だ。
盗まれたのは西の方だ。
巧妙な盗まれ方をしたので、つい最近まで気づかなかった。
なんせ、ボディーはオリジナルのままでコアだけが汎用品と入れ換えられている。コア以外はオリジナルだから電源を切ったモスボールの状態では区別がつかない。
JR東は演舞集団北大街を作った時に解凍したんだが、演舞集団を休止するときに再びモスボールした。
そのモスボールしたJR東の口が動いた。
「ねえ、主電源入れてくださらないかしら」
ちょっとビックリしたアル。
☆彡この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑月面軍三等軍曹、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑幕府北町奉行所与力 扶桑政府老中穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) ピタゴラス診療所女医、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑科学研究所博士、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 加藤 恵 天狗党のメンバー 緒方未来に擬態して、もとに戻らない
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任 じつは山野勘十郎 月で死亡
- 扶桑 道隆 扶桑幕府将軍
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥(児玉隆三) 地球に帰還してからは越萌マイ
- 孫 悟兵(孫大人) 児玉元帥の友人 乳母の老婆婆の小鈴に頭が上がらない JR東と西のオーナー
- 森ノ宮茂仁親王 心子内親王はシゲさんと呼ぶ
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
- 氷室(氷室 睦仁) 西ノ島 氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
- 村長(マヌエリト) 西ノ島 ナバホ村村長
- 主席(周 温雷) 西ノ島 フートンの代表者
- 及川 軍平 西之島市市長
- 須磨宮心子内親王(ココちゃん) 今上陛下の妹宮の娘
- 劉 宏 漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官 PI後 王春華のボディ
- 王 春華 漢明国大統領付き通訳兼秘書 JR西のボディー 劉宏にPI
- 胡 盛媛 中尉 胡盛徳大佐の養女
- 朱 元尚 大佐 ホトケノザ採掘基地の責任者 胡盛徳大佐の部下だった
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
- 西ノ島 硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
- パルス鉱 23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)
- 氷室神社 シゲがカンパニーの南端に作った神社 御祭神=秋宮空子内親王
- ピタゴラス 月のピタゴラスクレーターにある扶桑幕府の領地 他にパスカル・プラトン・アルキメデス
- 奥の院 扶桑城啓林の奥にある祖廟