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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

RE滅鬼の刃・26『祖父をなんと呼ぶか』

2022-09-05 15:12:55 | エッセー

RE エッセーノベル    

26・『祖父をなんと呼ぶか』 

 

 

 お祖父ちゃんと暮らすことになった最初の日、お祖父ちゃんが聞きました。

「どうだ、栞、これからはお祖父ちゃんの事『お父さん』て呼んでみるか?」

 

 ショックでした。

 

 なんと言っていいか分からなくて、俯いていたら涙が溢れてきて、両手をグーにして目をゴシゴシ拭きました。

 それでも、涙は溢れてきて、その日初めて着た白のワンピースにポタポタ落ちてきて、シミになったらお母さんに怒られると思って、でも、もうお母さんに会うことは無くって、そう思ったら混乱して、ますます涙が止まらなくなって。

 でも、声を上げて泣くことはしなかったですね。

 声を上げて泣いたら、もう、張り詰めた髪の毛一本でもっているような心が壊れて、元に戻らなくなってしまいそうで、必死にこらえました。

 

 お祖父ちゃんを『お父さん』と呼んでしまったら、二つの大事なものが二度と返ってこない。

 

 一つは、おうち。子どもの言葉で『おうち』です。

 家庭、ファミリー、絆、そういったものです。それが『お父さん』という言葉で永遠に消えてしまいそうな、そんな怖れを感じていました。たとえ100点満点でなくとも、おうちはおうちです。

 ジブリの『ラピュタ』で、怖いシーンがありますね。

 パズーとシータがムスカ大佐に追い詰められて、二人で飛行石を握って「「バルス」」って言うじゃないですか。

 あれで、何百年、何千年続いたラピュタが分子結合を失ったみたいにバラバラになって落ちて行ってしまうじゃないですか。

 あんな感じで、怖くて言えませんでした。

 

 二つ目はお祖父ちゃんそのもの。

 お祖父ちゃんを『お父さん』て呼んでしまったら『お祖父ちゃん』が居なくなってしまうじゃないですか。

 わたしは、親の都合で、しょっちゅうお祖父ちゃんちに預けられていました。

 お祖父ちゃんは、いつも優しくって、何かの拍子で誰かの胸で眠ってしまって、目が覚めた時、お祖父ちゃんだったらホッとしました。もっと昔はお祖母ちゃんも生きていて、よく、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに挟まれて寝ていたもんです。

 お母さんでもよかったんですけどね。

 お母さんの場合、目が覚めたら、そこから、もうよい子を演じなければならないので、ちょっとくたびれるんです。

 お祖父ちゃんの姿をしたお父さん。そんなのは釈然としません。

 でも、大きくなって少し分かりました。

 友だちの中にお祖母さんと暮らしてる人が居たんです。その子が『お母さん』と呼んでいて、ちょっと「え? ええ?」って思って、その子は説明してくれました。

 その子にも、そこには居ないお母さんにも、むろんお祖母さんにも、なにも問題はありません。

 ただただ、居心地が悪いんです。

 お祖父ちゃんを『お父さん』と呼んでしまったら、目の前にいるのは『お父さん』と呼ばれるお祖父ちゃんの姿をした怪物になってしまいます。

 

 

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 栞2号のドクロブログ☠!

 

 なんで『お父さん』て呼ばなかったかって?

 キモイからに決まってんじゃん。

 ジジイと暮らすようになったのは五歳になってすぐだったと思う。

 五歳っていうと、もう赤ちゃんじゃない。でしょ? 異議無いよね?

 今ほど具体的にアレコレ知ってたわけじゃないけど、分ってたよ、これから大変だって。

 もう一年くらい、ジジイとは、いっしょにお風呂に入ってなかったし。

 お母さんは問題アリアリな人だったけど、そういうとこは、いっしょだったし。

 ジジイのとこは、しょっちゅう来てたというか来させられてた。ま、家庭の事情ってやつさ。

 でもさ、毎日ってわけじゃないよ。

 お母さんは破滅的な性格だったけど、ドラマとかは、橋田寿賀子とか好きでさ、そういうのに憧れあるのよ。

 渡る世間は鬼ばかりと笑いながら、渡る世間に鬼はなしとも願ってる。

 世間の鬼は自分だと自覚しながら、自分の相手をしてくれる世間には鬼ではないと憧れてんのよ。

 虫良過ぎ!

 憧れてんだったら、自分ちをそうしろって思ったけどさ。ま、それは置いといて。

 わたしもね、うちでは母親似の剥き出し幼女だったけど、ジジイんちじゃ仮面孫娘やってたわけ。

 加齢臭は、ま、いいとして、ベタベタされんのは勘弁してよですよ。

 いっしょにお風呂どころか、いっしょに洗濯もNG!

 わたしがね、小五から洗濯してんのは、そういうことですよ。

 家庭科の洗濯実習で手際がいいもんで、感心されて「あ、お祖父ちゃんと暮らしてますから」ってコソッと担任の先生に言ったら、EテレのMCてか、24時間テレビ的な微笑み返されてゲロ出そう。

 そういや、24時間テレビも苦しいみたいね。もう何年も続かないでしょ?

 わたしもね、こんな仮面孫娘、そう何年もやってるつもりないし。

 

 あ、突然思い出した。安倍さんてさ、一発目と二発目の間に倒れてるよね。動画、何回も見たし。

 弾が見つからないとか、現場検証が五日後って、もう終わってるでしょ。

 ま、思っただけでさ、わたし的には、そういうことには目をつぶって、統○協会がーとか、テレビのワイドショー的に生きて生きればいいっす。

 

 

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滅鬼の刃・25『親をなんと呼ぶか』

2022-06-06 16:32:01 | エッセー

 エッセーノベル    

25・『親をなんと呼ぶか』 

 

 

 自分の親をなんと呼んでいらっしゃったでしょうか。

 

 お父さん・お母さん  お父ちゃん・お母ちゃん  パパ・ママ  父ちゃん・母ちゃん  父上・母上  

 おっとう・おっかあ  おとっつあん・おっかさん  おでいちゃん・おもうちゃん  ムーター・ファーター

 ダディー・マミー   親一号・親二号  おとん・おかん

 

 散歩をしていると、たまに子どもが親を呼んでいるところに出くわします。たいてい、公園で遊んでいる小さな子が回らぬ下で母親を呼ぶ声です。

 たまに、スーパーとかで「おかあさん、これ買ってぇ」とか「お父さん、さき行くよ!」とかを耳にします。

 いちど、そばを通過中の車から「お父さん、ブレーキ!」という切羽詰まった呼びかけを聞いたことがあります。呼びかけたのは奥さんで、年恰好から見て旦那さんのことであったようです。

 自分の配偶者を「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶのは日本だけではないのかと思うのですが、これは主題から外れそうなので、別の機会に触れたいと思います。

 思い返すと、友だち同士やご近所同士の会話の中で三人称として使われているのを耳にするのが大半なのだと思い至ります。

「きのう、お母さんと買い物行って……」「お父さん、会社の帰りに猫拾てきて……」「お母さん、めっちゃ怒って……」「うちのおとんも歳やからねえ……」など二人称として聞こえてくることが多いですね。

 近ごろは流行り病のこともあって、屋外や電車の中で人の話し声を聞くことも稀ですが、おおよそは、こんな具合なのではないかと思います。

 

 なぜ、名前のことを書きだしたかというと、孫の栞が、あまり「お祖父ちゃん」と言わなくなったからです。

 これまでは「お祖父ちゃん、ごはん!」とか「お祖父ちゃん、あした燃えないゴミだよ」とか「お祖父ちゃんの年賀状多いねえ」とか枕詞のように言っていました。

「ご飯だよ」「あした燃えないゴミ」「はい、年賀状」とかで済まされます。

 まあ、そういう年齢なんだろうと思っているのですが、ちょっと寂しいのかもしれません。

 

 小学三年生のとき、国語科なにかの授業で時間が余ったのか「うちで、親の事をなんと呼んでいますか?」と先生が聞いたことがあります。先生は、みんなに手を挙げさせ、学級役員選挙のように「正」の字を書いていきました。

「お父ちゃん・お母ちゃん」というのが一番多かったですね。次いで「お父さん・お母さん」。「父ちゃん・母ちゃん」はクラスで二三人、「パパ・ママ」と同じくらい少数派だったと思います。

 わたしは「父ちゃん・母ちゃん」と呼んでいました。

 近所の子たちは「お父ちゃん・お母ちゃん」がほとんどであったように記憶しています。

 近所のニイチャンが「パパ・ママ」と呼んでいて、ええしの子や! と、たじろいでしまったのを憶えています。

 上皇陛下の結婚パレードを、そのニイチャンの家で見ていました。

 白黒の14インチで、カメラが引きになって馬車全体が画面に収まるようになると、人物の目鼻立ちもはっきりしないくらいの画質でしたが、姉とニイチャンと三人で見ていてドキドキしたのを憶えています。

 馬車が何度目かのアップになった時、急に画面が歪んで上下に流れるようになりました。昔のテレビは不安定でした。

「ママー! テレビ変になったー!」

 ニイチャンが叫ぶと、エプロンで手を拭きながらママがやってきて「こうするとね……」といいながら、テレビを張り倒しました。

 パンパン!

 すると、テレビは正気に戻って、ご成婚パレードの続きを映し出します。

 ご成婚は、昭和33年ですから、リアル『三丁目の夕日』の鮮やかな記憶です。

 ニイチャンは、町内でただ一人、校区の違う小学校に行きました。

「やっぱし、ええしはちゃうなあ」

 同い年で、ひそかにニイチャンとの集団登校を楽しみにしていた姉は、残念を通り越して嘆息していました。

 

 孫の栞を引き取るにあたって、ちょっと勇気を出して聞いてみました。

「どうだ、お祖父ちゃんの事『お父さん』て呼んでみるか?」

 学校へあがると、いろいろあるだろうと思い、聞いてみたのです。

「………………………」

 栞は、沈黙をもって答えにしました。

 数秒、わたしの顔を見上げて俯いてしまいました。気が付くと、両手をグーにして目をこすっています。

「そうかそうか、むつかしいよな、むつかしいこと聞いてごめんよ。ま、いままで通りでいこうか、とりあえず」

 ひそかに『パパ』という呼び方も思っていたのですが、それは止めて正解でした。

 

 わたしは、両親の事を「父ちゃん・母ちゃん」と呼んでいましたが、両親は自分の親(わたしの祖父母)のことは「お父さん・お母さん」と呼んでいました。

 母の里は、蒲生野(いまの東近江市)の真宗寺院で、五人居た叔父叔母も母と同様「お父さん・お母さん」でした。

 おそらくは、最初に所帯を持った町のマジョリティーに合わせたものだと思います。

 小三の調査で少数派と知って少しショックでしたが。おそらく、日本人の四人に一人ぐらいは呼んでいたであろう、この呼び方は好きです。『ニ十四の瞳』だったと思うのですが、大石先生の受け持ちの子が、親の事をそう呼んでいて親近感を持ったのを思い出して、コーヒーを淹れなおしました。

   

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RE滅鬼の刃・24『だいじょうぶかな』

2022-01-16 15:10:16 | エッセー

RE エッセーノベル    

24・『だいじょうぶかな』  

 

 

 元日の新聞を読んでいないのはわかってました。

 

 読んだ新聞を丁寧にたたむお爺ちゃんですが、折り方……というか広告の戻し方に特徴があります。

 広告の折り目と本紙の折り目を逆にするんです。

 たぶん、折り目を同じにしていると、一か月も重ねると折り目が重なったところが分厚くなりすぎるから。

 ただの習慣かもしれませんが。

 他にもあるんですが、内緒です。

 まあ、そんなで、読んでないことは知っていました。

 でも、読んだつもりになっていたら……と思うと言えませんでした。

 だからね、「出すのは、お祖父ちゃんやってよね」と念を押しました。

 もし、出すのも忘れるようだったら……ちょっと、あぶないじゃないですか(^_^;)

 まあ、ちゃんと出してくれていたので、一安心。

 

 お祖父ちゃん、このごろ人相が悪くなりました。

 多分、老眼がさらに進んでるせいです。

「メガネ買い直したらあ」

 言ってみましたが「まだだいじょうぶ」と言います。

「いまの度数分かってる?」

「え、えと……」

「机のここに貼ってあるから」

「え……ああ、これかあ」

 と、目を細めますが見えていません。

 貼ってあるのは、レンズの端っこに貼ってあった度数表示の豆粒ほどのシールです。

 次に買う時にスカタンしないよう(以前、同じ度数のを買って無駄になったことがあります)貼っておいたのです。

「そうそう、3.5だ。思ってたのといっしょだったぞ」

 ぜったい嘘です。

 老眼鏡というのは、普通に5.0まであるようです。

 一昨年の暮れに老眼鏡を買い直して、その度数が(3.5)でした。

 いちど目医者さんに行ったらと言うのですが、なかなか行きません。

 

 お祖父ちゃんは、座卓の横に未読の本を積んでいます。

 読んでしまった本は、まとめて下の部屋の本棚に移します。

 だから、いつも同じくらいの本が積んであっても、同じ本ではありません。

 それが、この数か月、本の移動がありません。

 取り越し苦労なのかもしれませんが、ちょっと心配のお正月でした。

 

 

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 だいじょーぶかよ!?

 言霊っていうのがあるから、はっきりとは言わないけども、きてんじゃないかって気がする。

 新聞は読むだけでも、目にも頭にも悪いもんだって、教えてくれたのは祖父ちゃんだけどさ。

 それなら、新聞止めちゃえばって思った。

 こないだ料金上がって、月に4400円だもんね。

 基本、年金生活の祖父ちゃんには、ちょっと贅沢品、てか無駄だと思う。

「また、嘘書きやがって!」

 ネットで情報とってるから、新聞の嘘とかいい加減さとか分かってるはずなのに、やめねえ。

 年間で52800円だぜ!

 もう、丸っと止めちゃえば清々しいのにね。そいで、その分栞にちょうだいよ。有意義に使うからさ!

 

 本だってさ、このごろ読んでないじゃん。

 座卓の横に『SAO』とか『こち亀』とか『アクセルワールド』とか『りゅうおうのおしごと』とかあるけど、ひとつも進んでない。

 廊下の本棚にさ『岩波歴史講座』って、読んだら呪われそうな本がズラリと並んでる。

 ケース入りなんだけど、もう黄ばんで、はんぶん朽ち果ててるの。

 たぶん、若いころに無理して買ったんだと思う。

 年齢とか経歴とから言っても、団塊の世代の尻尾でさ。まあ、サヨクなわけですよ。

 でね、一冊出して見てみたわけですよ。

「ゲ!?」

 吐きそうになったね!

 傷んでんのはケースだけで、中身真っ新!

 挟んである紐の栞も、なんだか押し花みたいにペッタンコ!

 ああ、積読は昔からなんだ!

 まあ、情けないような、安心したような……。

 だけどね、ちょっと心配になった。

 孫娘まで、ペッタンコにしないでよね!

 ちょっと、栞って名前がおぞましく思えた正月だったぜ。

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滅鬼の刃・23『元日の新聞』

2022-01-14 18:23:27 | エッセー

 エッセーノベル    

23・『元日の新聞』   

 

 

 明日は読もう……と思って二週間が過ぎました。

 

 気が付くと孫が、ヨイショっと掛け声をかけています。

 なんの掛け声かというと、明日の朝に出す一か月分の古新聞を玄関先に出す掛け声です。

 年末年始を挟んだので、いつもよりも重たいので、つい掛け声が出てしまうのでしょう。

 いまさら「読んでないから」とは言えません、元日の新聞。

 

 元日の新聞というのは、清々しいのですが、その分厚さに「まあ、昼から読むか」になって、「明日読もう」「明日は読もう」「明日こそ読もう」と思い続けて二週間が経ってしまったわけです。

 

 新聞は、物心ついたころから見ていました。

 親父が読んでいる横から眺めて、字は読めませんでしたが、なんとなく見ては、親父の「へー」とか「ホー」とか感心するのを真似していました。

 真似をすると、お親父もお袋もニコニコと喜んでくれて、それが嬉しくて新聞を見ていたように思います。

 幼稚園に行く頃には平仮名が読めるようになって、広告や見出しの平仮名を拾い読み。むろん意味など分かりません。でも、新聞を広げているだけで面白かったように思います。

 三面の四コマ漫画、これは読まなくても分かります。

 それから、二面に載っている時事風刺マンガ(政治家の顔は、これで憶えました)、広告の絵とか写真とか。そして、夕刊に載っていた連載小説……の挿絵を見て喜んでいました。

 あのころは、しょっちゅう大事件が起こっていました。また、新聞のコードも緩かったので、今では載せられないような写真が平気で掲載されていました。

 事故現場の写真とか平気で載っていましたね。さすがに遺体をもろに写していたのは記憶にありませんが、遠くに写っているものなどはあったと思います。三島由紀夫の事件の時は、首が写っていたように思うのですが、週刊誌に掲載されたものと混同しているかもしれません。

 犯人が逮捕され、手錠をはめられている写真などはザラでした。いつの時代からだったでしょうか、手錠をはめた手をレッグウォーマーのような筒状のもので隠すようになった方が違和感でした。

 今で言うと、面白い動画をYouTubeでぼんやり見ているのと同じ感覚でした。

 まあ、そういうところから新聞を読むようになって六十年あまり。

 

 その新聞の中でも、元日の新聞は特別でした。

 

 とにかく、めっぽう分厚いもので、たしか三部ぐらいに分かれていました。

 通常の朝刊と、正月の特集、それに新聞社の特別企画といったものが、それぞれ月刊誌ぐらいありました。

 それに、いつもは白黒の新聞がカラーだったのも正月だけだったと思います。

 郵便受けから出しただけで、新聞の紙とインクのにおいが香しかったですね。

 新聞を取り込んで玄関の戸を開けようとすると、もみ殻が落ちています。しめ縄の稲穂をスズメがついばんだ痕です。

 箒と塵取りで、それを掃除して、ゴミ箱(たいていの家がタールを塗った木製)に捨てると、通りの家々には日の丸が掲げられていました。

 その元日の新聞を、開くこともなく古紙に出してしまいました。

「出すのは、お爺ちゃんやってよね」

 年末最後の古紙回収に出し忘れたのをしっかり憶えている孫は、しっかりと念をおすのでありました。

 

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RE滅鬼の刃・22『わたしとラノベとお祖父ちゃんと』

2021-04-18 09:23:19 | エッセー

RE エッセーノベル    

22・『わたしとラノベとお祖父ちゃんと   

 

 

 わたしが所有する本は、教科書を除くと20冊ほどしかありません。

 普通の高校生と比べても、ちょっと少ない部類になると自覚しています。

 ときどき街の図書館に出かけて、表紙のイラストやタイトルの面白いのを借りて読むので、読書量は並の高校生よりは、やや多いという感じです。

 お祖父ちゃんは2000冊ほど持っています。

 大きいのは山川出版社の『国史辞典』とか『原色日本の美術』とか、鞘のようなケースに入った……辞典的な本。戯曲、時事問題とかの単行本。その他は、大方新書本と文庫本。

 読みたい本を全部買っていたら家中本だらけになってしまうので、中年になってからは必要な本は図書館で借りるようにしているんだそうです。

 わたしも、お祖父ちゃんの習慣が身について、子どものころから図書館を利用するようになりました。

 そのお祖父ちゃんが、今でも買って読む本がライトノベルです。

 わたしがもの心ついたころには、お祖父ちゃんの座卓の周囲にラノベが平積みになっていたので、それが普通だと思っていました。

 満足に字が読めないころから、お祖父ちゃんのラノベをパラパラとめくっていました。

 表紙が可愛くてきれいで、表紙をめくったところにイラストだけのページが2~4ページあります。たいてい登場人物の相関関係がキャラの説明といっしょに書かれていて、本の要所要所にもモノクロのイラストがふんだんにあります。

 ラノベで見たキャラがテレビのアニメになっていると、ついつい見てしまいますが、たいてい深夜アニメなので全編通して見たことは、ほとんどありません。

「栞は、ラノベ以外の本を読んだ方がいいよ」

 中学に入ったころに、お祖父ちゃんに言われました。

「え、なんで?」

「ラノベ以外にも、おもしろい本はあるからさ」

 お祖父ちゃんは、そういう言い方をしましたが、どうも違うのです。

 中学の図書室にもラノベは置いてありますが、うちにあるラノベは、ほとんど見かけません。

『冴えない彼女の育てかた』『エロマンガ先生』『中古でも恋がしたい』『可愛ければ変態でも好きになってくれますか?』などがありません。

 クラスの図書委員に聞くと有害図書だとかで置いていないんだそうです。

 わたしも、中二のころからは読まなくなりました。

 進路のこともあったし、読書そのものから外れてきたという感じです。

「それでも、栞は読んでる方だよ」

 お祖父ちゃんは言います。図書館で、年間で30冊くらい……人と比較したことが無いのでよく分かりません。

 ただ、お祖父ちゃんが、ラノベを読む変なお爺さんなのだと言うことは分かります。

 普通のお年寄りはラノベは読みませんよね(^_^;)。

 お祖父ちゃんが、シャンソンのライブに連れて行ってくれたことがあります。

 お客さんは、お年寄りがほとんどで、お祖父ちゃんの横にはお知り合いのシャンソン歌手が座っておられ、互いに挨拶をしたあと、読書の話になって「ラノベを読んでいます」という話になったのですが、その歌手のおばさんは、ラノベという言葉の意味がお分かりになっていませんでした。

「ラノベ?」

「ライトノベルです」

「ええと……」

 という感じでした。

 お祖父ちゃんの面白いところは、自分でもラノベを書くところです。

 むろん商業ベースに乗るようなものではなく、四冊出した本以外は『なろう』とか『カクヨム』とかの投稿サイトに出しているものです。

 わたしも、たまに読みますが、長い本だと連載200回を超えるものもあって、アクセスも二万を超えるものがあったりして、孫としては大したものだと思うのですが、どうでしょう?

 まあ、お祖父ちゃんの元気の元なので、これからもがんばってくれたらと思います。

 二日続いた雨も上がって日本晴れの日曜日、これからお布団を干します(^▽^)/

 

 

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 どっちかって言うと、ラノベは嫌い。

 そりゃ、子どものころは、それとは知らずにジジイのラノベ見て、見てたよ、字ぃ読めなかったから、それこそイラストとかを絵本代わりに見てた。

 可愛いし、きれいだし、それに大きさがちょーどいい。

 普通の絵本とかは、けっこうかさばるんだよ。A4サイズどころか、B4くらいの絵本、平気であるもんな。

 子どもってさ、お気に入りのものって持ち歩くじゃん。

 ガキンチョで、訳わかってないあたしは、そういうラノベをお母さんからもらった(憶えてないんだけど)ポシェットに入れて持ち歩くわけさ。

 それが、お友だちとか、お友だちのお母さんとかに見られるわけよ。

 反応は「アハハハ(^_^;)」だよ。

 ガキを叱るわけにもいかないだろうけど、その「アハハハ(^_^;)」で分かっちゃうよ。

 ああしはヤバイ物(ぶつ)持ってんだ……

 そういうのには敏感な子だったから。

 それで持ち歩かなくなって、長じて分かったよ、やばいラノベだって。

 そんなもん、子どもの目につくとこに置いとくなよな!

 他にも、ここでは書けないようなモノが、うちにはゴロゴロしている。

 全部、クソジジイの持ち物!

 あぶなくって、友だちなんて呼んだことが無いよ。

 でも、ラノベ見ることから読書の習慣がついた。

 読書家ってほどじゃないけど、月に二回くらいは街の図書館行って二三冊借りてくる。

 ちょっと変わった小説が好きかな。

 たとえば、こんなの。

 中学生の女の子が目覚めたら、前後にドアがあるきりでの部屋に閉じ込められてんの。気が付くと、自分の同じくらいの制服着た女の子が居て、ドアには、こう書いてある『相手を殺さなければ外に出られない』ってさ。最初は躊躇するんだけど、食べ物も何にもないから、やがて、その子を殺しちゃう。殺しちゃって、その子の持ち物の水とか僅かの食べ物とか奪って、ドアを開ける。しばらくいくと、同じような部屋で、そこにも女の子が居て、今度はナイフとかが置いてある。やがて、その子も殺しちゃう。その子は、なんにも持ってないんで、その子のお腹を割いて胃の中のものを食べる。そういうことを繰り返して、殺し方や人の食べ方を克明に描写している。

 タイトルはよしとくね。うる憶えだし、ネタバレするし。

 そういう本て、表紙もタイトルも穏やか。普通の文学書みたく見える。中身はすごいんだけどね。

 ためしに、学校の図書室に希望図書で出したら、あっさり買ってくれて、ショーケースの中に新刊図書としてディスプレーされてたよ。

 でさ、図書の先生に「こんなに過激なんですよ~」って、見せたわけ。

 その本は、近未来の日本でさ。忙しいとか、持てないとかの事情がある人間が、アンドロイドの異性とひと時を過ごすって話。

 まあ、アンドロイド相手にってか相手をしてもらってセックスするんだよ。

 そのプロセスが克明に書いてあって、もう、エロゲ真っ青ってしろもの。ラノベのパンチラなんて可愛いもんよ。

 でもさ、先生は言うわけよ。

「これは文学、芸術だからね、大丈夫なんだよ(^_^;)」

 おかしくね?

 試しにさ、ラノベ読んでるクラスの男子に「どーよ」って見せたら、真っ赤な顔して鼻血流してましたよ。

 瞬間、ほんの瞬間なんだけど、うちのジジイも間違ってないじゃんと思った。

 でもさ、いい年して、ラノベもどき書くのはやめてほしいよ。

 せめて、ペンネーム、あたしと同じ苗字にはしないでほしい。

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滅鬼の刃・21『ラノベが好きです』

2021-04-12 08:35:07 | エッセー

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21・『ラノベが好きです』   

 

 

 ライトノベルが好きです。

 文庫サイズで、カバーは艶のある白地に主役と主役級のキャラのイラストが入っていて、たいていぶっ飛んでいたり、長ったらしいタイトルがデザイン文字や大きなフォントで印刷されています。背表紙も白地にタイトルの所だけシリーズのテーマカラーになっていて、長いタイトルが、どうかすると二行になって書かれています。挿絵というのかイラストが多いのも魅力です。

 平積みにされても棚刺しにされても、他の文庫本との違いは一目瞭然です。

 そのサイズから、文庫コーナーの一角に小さなラノベコーナーとして存在……していましたが、近年ではラノベ全体で他の文庫に迫る売り上げがあるので、文庫と同じくらいの大きく独立したコーナーになっています。

 ぶっとんだものや長いタイトルが多いのもラノベの特徴ですね。

『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』などは、まだまだ普通の方で、『エロマンガ先生』『貴方がわたしを好きになる自信はありませんが わたしが貴方を好きになる自信はあります』とか『勇者が修羅場過ぎて世界を救っている場合じゃない魔王の呪いでヒロインたちを同時攻略しなければなりません』『男子高校生でライトノベルの作家をしているけれど、年下のクラスメートで声優の女の子に首を絞められている――Time to Play――』とか、賑わっております。

 ラノベに限らず文庫はすぐに溜まるので、そんなに多くは持っていませんが、それでもラノベだけで300冊くらいは書架や、座卓の横に平積みになっています。

 オッサンの読書環境としては、ちょっと珍しい部類に入るという自覚はあります(^_^;)。

 ライトノベルを読むようになったのは、出版社との関りからです。

 もう十数年前になりますが、戯曲でお世話になっている出版社から「高校演劇の入門書を書いてみないか」というお誘いを受けました。いきなりの単行本ではなくネットマガジンの連載記事としてということでした。

 演劇書と言うのは、戯曲も含め、そんなに売れるものではありません。まして、高校演劇に限定すると、読者層はさらに狭く小さなものになります。

 そこで、無い知恵を絞って「ジュニア小説」の体裁で書いてみることを思い立ちました。図書館で借りた本に、吹部に入った女子高生が、部活に馴染んで個人的にも部活としても成長していく物語があったのを思い出したからです。

 そこで、舞台を地元の大阪に置いて、東京からの転校生が演劇部に入部して、一年後にコンクールで優勝するまでの物語を書くことにしました。

 東京からの転校生としたのは、大阪に住んでいながら大阪弁で心情の機微を書くのは難しいと思ったからです。編集さんからも「主人公の言葉は標準語で」と言われても居ました。大阪弁は、なんだかんだ言っても方言の一種で、読者が限られるという理由でした。

 タイトルも『わけあり転校生の七カ月』という、ちょっとジュニアノベル風にしてみました。

 主人公が東京で通っていた高校を『乃木坂学院高校』としました。

 半ばまで書いて検索すると秋元康氏が、新しいアイドルグループ・乃木坂46を作ることを知りました。他にも『ラブライブ』というアニメの高校が音乃木坂学院であることも分かって、しまったと思いました。

 46の方もアニメの方も、ずっとずっとメジャーで、絶対パクリと思われるからです。

 しかし、ほとんど無名の本書きでもありますし、そんなに売れるはずもないので、そのままとしました。

 それからですね、書店に入ると意識的にラノベのコーナーを見るようになって、タイトルやイラストの面白さから自分でも買って読むようになりました。

 最初に読んだのは、たぶん『僕は友だちが少ない』『冴えない彼女の育てかた』『涼宮ハルヒの憂鬱』あたりであったと思います。

 それまで書いていた戯曲と違って、とても自由な世界だということが嬉しかったです。

 設定や、人物の行動や台詞、たいていのことが許されます。隠語や人を罵倒する表現も明るくぶっ飛んで書くことができます。

 試しに、ブログ小説として書いてみると、戯曲の十倍以上のアクセスがありました。高校演劇の入門書として書いた本も分冊で出してみましたが、う~ん、こっちのアクセスはイマイチですね。むろん、高校演劇の狭さと言うのではなく、わたしの力が及んでいないということなのですが。

 むろん歳を食ってから始めたジャンルなので、若い人が読んだら噴飯もの(という言い方も古い)なのでしょうが、オッサンやオジンが書いてはいけないというルールもありませんので、勝手にやっております。

 友人に話すと「よくラノベコーナーに立てるねえ」と感心されます。

 我々の世代には、ラノベはエロ本に近いものという認識があるように思います。友人の中には元学校の先生というのが多く、現職のころはラノベというと有害図書の一種という認識ですね。

 生徒からラノベを図書室に置いてほしいと要望されても眉を顰める人が半分以上です。

 ある友人の学校では『エロマンガ先生』や『冴えない彼女の育てかた』『中古でも恋がしたい』などを生徒の要望があったにもかかわらず、無視したり、買っても書架から外したりしています。

 ラノベ……いえ、ラノベもどきをブログに書いたり、投稿サイトに晒したりしております。

 いい年をして、まさにメッキの刃なのですが、たとえナマクラや模造刀であっても、刃は刃、持っている本人は、多少ともシャッキリいたします。

 若い人が読むと痛々しい代物なのでしょうが、オジンの勘違いとご寛恕いただければ幸いです。

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RE滅鬼の刃・20『ハウルの動く城 動かないお祖父ちゃんの腕』

2021-04-05 13:47:01 | エッセー

RE エッセーノベル    

20・『ハウルの動く城 動かないお祖父ちゃんの腕   

 

 

 お祖父ちゃんが不調なので、今回もわたしが書きます。

 

 大したことは無いと思うんですけど、背中や肩が痛くてかなわないみたいです。

 パソコンのキーボードに向かって、文章の確認をしようと首を上げただけで肩から首にかけて電気が走るんだそうです。

「ちょっと筋違えただけやから(#^-^#)」と言い訳していますが、どうなることやら。

 実は、お祖父ちゃん、先月エアガンを買ったんです。

 訳は、こうです。

 最近、糖尿病の数値が思わしくないので、糖類をひかえているお祖父ちゃんです。

 お祖父ちゃんは、文章を書く時には、なにかしら口に入れる習慣があります。

 タバコもお酒もやらないお祖父ちゃんは、もっぱらお菓子を食べています。

 お煎餅とかポテチとか柿の種とか、歯ごたえがあるものが好きで、ケーキやチョコレートとかはやりません。

「いや、下戸の作家はお菓子食べてるやつが多いんだ」

「ほんとう?」

 と聞くと、浅田次郎さんとか、正岡子規とかを例に挙げました。

 お酒が飲めない正岡子規は、妹やお母さんに頼んで、町内のお菓子屋さんに通ったもんだと言います。

 浅田次郎さんも、お酒がダメな作家さんで、アイデアや文章に詰まると、すぐお菓子に手が出てしまって困るとエッセーに書いているのを見せてくれるお祖父ちゃんです。

 お祖父ちゃんも心がけていて、お菓子は生協に頼んだ子供のおやつ用の小さなパックに限っていたんですが、それでもお医者さんに叱られるので、エアガンに替えました。

 お菓子の代わりがエアガン?

 ちょっと不思議ですよね。エアガンを食べているわけではありません。

 実は、こうなんです。

 お菓子を食べる代わりにエアガンを空撃ちしているんです。

 弾が飛び出すとエアガンでも怖いのですが、空撃ちだと……やっぱりやかましいですね(^_^;)。

 バシ! バシ! バシ!

 三回ぐらいで収まる時もあれば、百回撃ってもダメな時もあります。

 でも、スナック菓子を一袋(300キロカロリー~500キロカロリー)食べてしまうよりはいいんです。

 エアガンには糖質もカロリーもありませんからね(^_^;)。

 

 お祖父ちゃんは、コルトガバメントとS&Wのリボルバーを使っていました。

 二丁ともエアコッキングと言う奴で、撃鉄や遊底をガシャンと引いて撃つんです。

 それが、滅法硬いです(^_^;)。

 ちょうど、この『滅鬼の刃』を書いている時に、背中と首筋にギクっときたそうです。

 意地っ張りなお祖父ちゃんは、よっぽどなければ「痛い!」とは言いません。

 特に、孫のわたしの前では、言いません。

 すぐに湿布をするとか手当をすればいいんですけど、それも、わたしが心配すると言って、わたしがお風呂に入っているうちに、コッソリやっています。

 湿布って臭いますから、内緒にしても無駄なんですけどね。

 それで、様子を見ていたんですけど。

 ある程度マシになっても、どうも、パソコンの前に座って文章を書くのは億劫なようです。

 

 一昨日のテレビで『ハウルの動く城』をやっていました。

 ネットサーフィンの真っ最中のお祖父ちゃんを視野の片隅に入れて、夕食の片づけやったり洗濯物を畳んだり、雑誌をパラパラめくりながら、ボンヤリ見ていました。

 ハウルの部屋が出てきて、思わず笑ってしまいました。

 散らかりようがお祖父ちゃんの部屋にソックリだからです。

 荒れ地の魔女の呪いで百歳のオバァサンになったソフィーが、きれいに掃除して、全部片づけてしまいます。

「ソフィー! 僕の部屋片づけただろ!」

 下のダイニングキッチンを片付けているソフィーに目を剥いて怒るハウル。

 部屋を片付けられてしまうと、ハウルは魔力を失います。なんか、水っぽくなって溶けていっちゃうんですよね。笑ってしまいます、あのグダグダグニャグニャのハウルはお祖父ちゃんそのものです。

 ただ、ハウルと違って、なんの魔力もありませんが(^_^;)。

 わたしが、お祖父ちゃんと二人暮らししているのは、お祖父ちゃんのハウル的な性格と言うか性癖が原因の半分なんですが、それは、またいずれ。

 

 

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 クソジジイが七十になって、やっと二十歳になるあたしってどーよ!?

 今さら、身の不運を呪ったりしないけど、ほんと、心配なんですけど!

 大学にはいきたいし、就職しても、トーブンは独身のまんまで遊んでいたいって、女子高生としては普通の願望だと思うんですけど!

 そのためにはさ、健康でいてくれなくちゃ困るわけですよ!

 お菓子食べながらキーボード叩くのは自由だけどもさ、体は壊さないでよね!

 お菓子を控えてエアガンもけっこうなんだろーけどさ。

 肩と背中が痛くなったのは、エアガンの撃ちすぎじゃないと思うよ。

 クソジジイ、高血圧で肝臓悪くって、去年の秋からは糖尿だよ。

 コロナが第四波になろうかって今日この頃、クソジジイはコロナに感染したら一発だからね。

 志村けんとか相撲取りがコロナで死んじゃったてニュース聞くたびにハラハラしてんだよ。

 クソジジイ自身気にしてるのは、この一年電車に載ったり人に会ってないことでも分かるよ、分かってるよ。

 でも、口にしたら言霊ってあるじゃん。

 本当になってしまうんじゃないかって……だから「筋違えたあ……」って言っても否定しないんだよ。

 たぶん、自分でもヤバいと思ってるんだよな。

 ネットで検索したら、糖尿病の症状に、手足の先の痺れとか背中が痛くなるとかあった。

 あたし、まだ十七歳だからね。

 老人介護で、あたしの人生メチャクチャとか、まじ勘弁して!

 ハウルに掛けたクソジジイの事、あれこれ書きたかったけど、また今度!

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RE滅鬼の刃・19『我が街のことからを孫の目から』

2021-03-20 09:44:06 | エッセー

RE エッセーノベル    

19・『我が街のことからを孫の目から』   

 

 

 忘れているようなので、わたしが続きを書きます。

 

 年の割に……というと機嫌の悪くなるお祖父ちゃんなのですが、続きを書くのを忘れた、あるいは忘れたふりをしています。

 風呂上がりに話をすると、栞にとっての河内はどうなんだい?

 と、遠まわしに聞いてきます。

 これは「続きはお前が書け」ということだなあと筆を執ります。

 

「すごい家を見つけた!」

 小学校のころ、お医者さんから帰ってきたお祖父ちゃんが、興奮して言いました。

 今どきのタレントさんには興味のないお祖父ちゃんですが、まるで、憧れのアイドルに出会ったように頬を染めていました。

「え、なになに?」

 二人だけの家族なので、こういう時の感動は共有する習慣があります。

「司馬遼太郎の家を見つけた!」

 え?

 一瞬分かりませんが、コミックのネタにもなっている幕末物の小説をあげてくれてピンときました。

 司馬遼太郎さんは、大阪を代表する歴史小説家です。府知事や大阪市長よりも有名なのは小学生のわたしでも分かりました。

 わたしの好きなアニメに『ガールズアンドパンツァー』があります。

 主役は大洗女子学園の西住みほたち五人の戦車道部なんですが、競争相手に知波単学園の戦車道部があります。

 学園の戦車は日本の旧陸軍の戦車です。

 部長は西絹代という黒髪きりりの美少女なのですが、部員に小柄で眼鏡っこの福田がいます。

 ガルパンのキャラの中で、めずらしく下の名前が設定されていません。

 この福田は、戦時中戦車兵であった司馬遼太郎さんを被らせていると思っています。

 直近の映画版では、猪突猛進の突撃を諫めて、知波単学園に勝機をもたらします。

 司馬遼太郎さんの本名は福田定一です。そして丸眼鏡をかけた小柄な小隊長でした。

「その福田定一と表札にあるんや!」

「でも、同姓同名とか……」

 小学生の割には奇跡めいたことは信じない子なので、そう返しました。

「いっしょに書いてある奥さんの名前は『みどり』や!」

 奥さんの名前までは知りませんでしたけど、検索したら、お祖父ちゃんの言う通り『福田みどり』でした。

 お祖父ちゃんの興奮がうつって、自転車で見に行くと、その通りの表札が掛かっていました。

 とっくに司馬さんは亡くなって、お家を発見した前後に奥さんのみどりさんも亡くなって、お家は身内の方が相続されたようです。

 他にも今東光のお寺とか、書道家の榊莫山さんとか……それは、お祖父ちゃんも書いていますよね。

 ぼんやりテレビを見ていたら、バラエティー番組で河内弁の特集……というよりは、オモチャにしていました。

 河内は柄が悪いとか乱暴とかを前面に押し出した内容です。

「おい、われ!」とか「おんどりゃあ」とか「いてもたろか」とか乱暴な言葉やエピソードを満載して出演者が面白がっていました。

 正直、不快でした。

「おい、われ!」とか「おんどりゃあ」とか「いてもたろか」……こんな言葉は使いません。

 中高生なんか、どうかすると標準語をしゃべっています。アクセントは大阪弁で、文字に起こしたら標準語という子もいます。

「河内弁て、あんななの?」

 あんまりなんで、お祖父ちゃんに聞きました。

「本当の河内弁は……たとえば『夕べ』のことは『ゆんべ』という具合に濁音の前には『ん』が入る。それから『お尻』のことは『ケツ』の他に『おいど』ともいう。主に女の人やなあ……それから『だぢづでど』の発音が『らりるれろ』になることが多いなあ」

「らりるれろ?」

「うん、たとえば『淀川の水』は『よろがわのみる』、『仏壇の修繕』は『ぶつらんのしゅうれん』とかな」

「へえ……」

 テレビでは、そんなことは言ってなかった。

「まあ、テレビは面白かったらなんでもありやからなあ」

「えと、なにか当たってるようなことは?」

「そうやなあ……声が大きい!」

「え、そうなの?」

「二人以上の大阪の人間が東京で電車に乗るとな、なんでか、周りから人が居らんようになる……」

 この時のお祖父ちゃんの目は、ちょっと寂し気。きっと、昔の実体験なんだと思います。

 じっさい、お祖父ちゃんはお喋りだし、声も大きいですから。

 高校生の目から見た『河内』を書いてみようかと思ったんですが、また今度にします。

 あ、産経新聞のコラムにこんなのがありました。

「来ない」というのを関西弁ではどう言うのか。

 けーへん きーひん こーへん

 けーへんは大阪、 きーひんは京都 こーへんは神戸 と分類してありました。

 生まれて十七年の感覚では、三つとも使います。

 使い分けにルールはありません、気分次第です。

 多分、もともとは地域性があったんでしょうが、いつのまにか混ざってしまって、汎関西弁という感じになってるんだと思います。

 大人の判断基準は体験に基づいたものでしょうから、古いと思います。

 本当に若者の関西文化を知りたかったら、学校の先生にでもなってください。

 では、またお目にかかります。

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滅鬼の刃・18『我が街のことから』

2021-03-14 09:32:26 | エッセー

 エッセーノベル    

18・『我が街のことから』   

 

 

 阪神大震災の前の年に所帯を持って今の家に越してきました。

 

 行政区分で言うと、大阪府八尾市の高安あたりになります。

 俗な言い方をしますと河内のど真ん中です。ちょっと距離のある近所に中河内最大の前方後円墳である心合寺山古墳がありますから、古代から河内のマンナカなのでしょう。

 全国的な評判で言いますと、荒っぽいと言うか元気がいいと言いましょうか、平たく言いますと、日本でも有数のガラの悪い地域と認識されていましたし、今でもそういうイメージをお持ちの方が居られるでしょう。

 じっさい、心合寺山古墳よりはるかに近い近所に近東光が和尚をやっていたお寺がありますし、街ぐるみ今東光の『悪名』の舞台であったりします。

 軍鶏と書く勇ましい鶏がいます。肉にもしますが、河内では格闘用に飼育される鶏で、まさに軍隊の兵隊のように闘います。網で囲った輪の中に二羽の軍鶏を放って闘わせます。むろん、ただ闘わせるのではなくてお金を賭けます。闘鶏といいます。娯楽と博打を兼ねた河内の文化でもありました。『悪名』も、この闘鶏の描写から始まっていたように思います。河内のあちこちで行われていましたが、今はもう伝説になっていると思います。映画の『悪名』の他はNHKの『新日本紀行』の映像で見たきりです。

 大学生のころ、所用で、その近所のS女子高の先生を訪ねに行ったことがあります。その女子高は東光和尚に「嫁さんにするんやったら、S高校の卒業生やろなあ」と言わしめた学校です。

 訪ねた時間帯は、放課後をちょっと過ぎた時間帯で、下校する生徒の流れに逆らって歩きます。道は玉櫛川の沿道で、道幅は三メートルもありません。部活の用事で他校を訪れることはしばしばだったのですが、他校とは違う圧を感じたことを憶えています。制服も頭髪もきちんとしていて普通なのですが、吸って吐く空気の量が多い感じで、マンガ的大げさで言うと、彼女らに空気をとられて狭い道は摂津の優男には息苦しいという感じなのです。

 学校に着くと、先生の居られる化学準備室を訪ねます。

 ちょうど掃除当番が終わったところで、数人の生徒が掃除完了の報告に来ました。

「お、男!?」

「こら」と先生。

「せん、掃除終わったし」

「ごみほりやったか?」

「え、まだええんちゃうん?」

「半分でも溜まってたらほりに行く」

「はーい(横の相棒に)、ちょ、おまえ付き合え」

「え、あしも?」

「ったりまえじゃ、当番やろがあ」

「せん、また、なんか奢ってなあ(^▽^)/」

「駅前にケーキ屋できたしい」

「期末でオール5取れたらなあ」

「いやあ、死んでも無理!」

「いっぺん死んでこい」

「きっつー!」

「もう、さっさと行け」

「「「「失礼しました」」」」

 バタン(ドアが閉まる)。

 ドアの向こうでワイワイ賑やか「で、あの男なんやろなあ」「おまえ、趣味かあ」「おお?」的なお喋りがフェードアウトしていく。

 文字に起こすと乱暴なのですが、圧はあっても威圧感はありません。先生に喋る時も「あ、男!?」と感心を持つときも、しっかり対象物に目線が向いています。

 ちなみに「せん」と言うのは「先生」のことです。言っている本人は「先生」と言っているつもりなのですが、知らない人には「せん」と聞こえます。落ち着いている時は「せんせ」、甘える時は「せんせえ」と言います。

「あし」は「あたし」の意味で、時に「わし」になります。本人は「あたし」「わたし」と言っているつもりで、地元の人間が聞くとちゃんと「あたし」「わたし」と聞こえています。

 司馬遼太郎さんがエッセーで書いておられました。

 司馬さんは八尾の北方の八戸ノ里にお住まいでした。高安からは二つほど北隣の街になります。

 散歩の途中、近所の若奥さんに「こんにちは」とご挨拶された時の事です。

「河内に落ちてまいりましたが、近頃は……」

 と、最近は慣れてきたという話をされました。この若奥さんは東京あたりから来られた人で、河内の風土は、ちょっと堪えた風がありました。思わず「落ちた」という表現をなさいましたが、この人が感じたカルチャーショックを現すもので、司馬さんはそのショックのおかしさを愛でておられたように思います。

 まあ、他の地方から見れば荒々しい気風であると思われて敬遠される風がありましたし、イメージとしては、まだそのままなのかもしれません。

 わたしは、河内に隣接する摂津の出身ですので、先述の若奥さんのようなショックを受けることはありませんでした。

 駅前には『美人館』という散髪屋さんがあります。ちょっと意表を突く屋号ですが、これは東光和尚が、店の女主人に頼まれて半世紀以上前につけたままです。

 悪名の主人公朝吉のモデルのおっさんは、この街が地元です。友人が地元の府立高校に通っていたのですが、ある日学校行事の講演会にやってきた爺さんが、このモデル氏だと分かって、生徒は男子も女子も大感激であったそうです。

 我が街の昔の空気から、現在(いま)を書いてみたいのですが、書き出すと、いろいろ出てきます。

 次回に続きます。

 

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RE滅鬼の刃・17『作ることが好きなお祖父ちゃん』

2021-03-07 08:57:56 | エッセー

RE滅 エッセーノベル    

17・『作ることが好きなお祖父ちゃん』    

 

 

 お祖父ちゃんは学校の先生をやっていましたが、わたしの勉強をうるさく言ったりはしませんでした。

 

 テストでいい点数がとれると「よかったね」とか「がんばったね」とか言ってくれましたが、悪い点をとっても「こんなこともあるさ」「また、がんばったらいい」と軽く優しく頭を撫でておしまいでした。

 テストの点数や学校の成績が人の将来に、それほど大きな影響がないことを良く知っていたんです。

 お祖父ちゃん自身、勉強が苦手で、高校を4年大学を5年かかって卒業しています。

 定期考査で爆睡してしまい、名前を書いただけでお終いになったことがあって、生まれて初めて0点をとってしまったことがありました。

 お祖父ちゃんの事ではなくてわたしの事です(^_^;)。

 この時も「これは記念に取っておこう!」と残してしまいました。

「俺の0点は捨ててしまったからなあ」とニコニコしていました。

 そんなお祖父ちゃんが、目の色を変えてわたしの宿題を取り上げ、自分でやってしまったものがあります。

 

 夏休みの工作の宿題です。

 

 なんでもいいから、自由な発想と工夫で作りましょう!

 そういう意味の事が宿題の一覧に書いてあって、工作の苦手なわたしは「あしたやろう」と言い訳して、とうとう来週から新学期という日になってため息をついていました。

「お、自由工作か!?」

 そう言うと、お祖父ちゃんはリビングのゴミ箱を漁って、薬の空き瓶やティッシュの空き箱を持ってきて作業を始めます。

「なにしてんの?」

「途中までやったげるから、仕上げは栞がやりな」

「おお、ラッキー(^▽^)/」

 甲斐甲斐しくお茶などを入れて、横で見ていると、あっという間にミッキーの貯金箱を作ってしまいました。

「……お祖父ちゃんの作品になっちゃったよ(^_^;)」

「あ……」

 けっきょく、塗装だけわたしがやって、辛うじてわたしの作品にして提出しました。

 

 とにかく、物を作ることが大好きなお祖父ちゃんです。

 プラモデルは完成品だけでも100ほどもあって、クローゼットの中には箱に入った未組み立てのが200ほどもあります。

 自分でも書いていましたが、還暦になって目覚めたペーパークラフト(紙模型とかカードモデルとかも言うらしいですが、わたしには区別がつきません(^_^;))

 近ごろ視力が落ちてきて、細かい作業がやりにくくなってきたとこぼしています。

 それでも紙模型やプラモデルの船の手すりや張線をやっているのを見ると、まだまだ大丈夫と孫娘としては嬉しく思います。手摺なんて、0.4ミリの真鍮線を3ミリの長さに切って1ミリを埋め込むなんて作業らしいです。

 いつまでも、元気でやってくださいね、お祖父ちゃん(o^―^o)。

 

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 ちょっと……パラノイアですわ(-_-;)

 同じ血が流れているのかと思うと、落ち込むことがあるぜ。

 前号で出してた紙の軍艦、信じられないけど、部品点数15000だよ。

 図面通りに作ると8000くらいらしいんだけども、あれこれ自作のパーツやら補強をやってると、それくらいになるらしい。

 こないだ、開きっぱのクローゼット見たら、未組み立ての紙模型が50冊(たいてい本の体裁になってる)ほどもある。

 他にもプラモとかいろいろあって、ほんと、どーすんだよ!?って感じ。

 プラモとかペ-パークラフトとかやる奴はキモオタだからね。エンガチョものなんだからね。

 クソジジイは「栞、たまには友だち連れておいでよ」って言うけど、とても人は呼べないよ。

 キモイもんが家中にあるんだからね。

 プラモって、軍艦とか戦車とか飛行機だって思うっしょ?

 ちがうんだよ。

 人体模型なんてのもある。

 クソジジイの部屋には、1/1サイズって人の首のプラモがある。皮は透明プラスチックなんだけど、その下に筋肉やら血管やら骨やら目玉とかもあって、もう、アブないんだ。

「いやいや、脳みそだってあるんだ」

 いや、開けなくていいから……。

「栞も、やってみりゃいいのに」

 奥から出してきたのは、スケールこそ1/5だけども、全身の人体模型のプラモ。

 それも女の体!

「これは、なかなか手に入らなくてなあ、中華製じゃなくてアメリカのキットでな……」

 中華でもアメリカでもキショク悪いから!

「ほら、お腹のパーツは二種類あって、なんと妊娠バージョンにも作れるんだ」

 か、勘弁してくれええええええええ!!

 

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滅鬼の刃・16『組み立て付録』

2021-03-02 09:13:19 | エッセー

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16・『組み立て付録』       

 

 

 始まりは、月間少年雑誌の組み立て付録でした。

 

『少年クラブ』とか『少年画報』の付録がよかったですねえ。

 米空母エンタープライズの洋上模型は一メートルほどの大きさがありました。シャーマン戦車や潜水艦、忍者屋敷や東京タワーなど、今なら、単独のペーパークラフトとして売っても十分商売になるレベルのものが、定価150円ほどの雑誌についているんですから、毎月楽しみでした。

 親に買ってもらえるのは光文社の『少年』だけでしたので、付録は貸本屋さんに買いに行きます。一つ三十円から五十円くらいだったと思います。雑誌の発売日には、近所の少年たちの取り合いになります。友だちの家に行って先を越されているのを発見した時は悔しかったですねえ。

 作って飾ってお終いではなく、使えるものもありました。

 ソノシートが付いたレコードプレーヤーなんてのもありました。

 厚紙のアームの先にペン先のような針が付いていて、ソノシートの端っこに割りピンを差し込んでクルクル回しますと、アームに張ってあるセロハンだったかが振動してかそけき音を奏でます。むかしの蓄音機というのは、こういう感じだったのかと子ども心にもワクワクしました。

 幻灯機というのがあって、セロハンのフィルムが付いていて、自分で調達した電球を仕込んで壁に映します。友だちを呼んで、暑いさ中「オオーー( ゚Д゚)!」と歓声をあげたものです。いまのLEDと違って白熱電球なので、セロハンのフィルムは数回でパリパリになって使い物になりません。幻灯機そのものも茶色く焼けてきて、今なら、絶対売れない、売ってはいけない代物でした。

 1/2000の連合艦隊、こいつは戦艦、空母だけでなく駆逐艦や潜水艦も付いていて、雑誌本体についている輪形陣の図などに並べてみると六畳の間一杯になりました。

 工作が苦手な子もいて(体育が得意な子は工作がヘタだったような記憶がありますが、偏見かもしれません)上手く作ると尊敬されました。

 勉強が苦手なわたしは、こういう工作系でアドバンテージをとっていました。当時は、たとえ勉強ができなくても、なにか一つできると一目置いてもらえるところがあって、まさに滅鬼の刃でしたねえ。そういう点では、いい時代でした。

 だから、運動オンチで付き合い下手なわたしでしたが、イジメにあうことはありませんでした。

 

 組み立て付録は、やがて、ゴム動力の飛行機、木製模型(プラモデルのタミヤが、まだ漢字の田宮模型で木製の艦船模型を出していました)、プラモデルに広がっていきます。

 校区の外に安い模型屋さんがあると聞くと、自転車に乗って遠征したもので、いつも四五軒の模型屋さんをハシゴしていました。

 オッサンになってからペーパークラフトをやるようになりました。組み立て付録の延長線ですね。

 プラモデルやソリッドモデルだと十万くらいになるスケールのものが一万円以内で買えます。

 手間暇は、並みのプラモデルの数倍から十倍以上ですが、処分するときはグシャリと潰して燃えるゴミで出せます。ペーパークラフト(紙模型とも言いますが)は軽いので、壊滅的な壊れ方はなかなかしません。いきおい、そのつど修理するので、本当に処分したものは地震によるクラッシュや、中にゴキブリが住み着いたもの以外はありません。

 写真は、1/200の戦艦扶桑です。ポーランド製で通販で6000円ほどでした。

 キットは冊子の形になっていて、数十枚のシートでできています。

 正直、表紙の絵は上手くないのですが、ポーランド製なら間違いないとポチリました。

 実は、日本海軍の研究は日本ではなくポーランドが一番だと思います。

 意外に思われるかもしれませんが、ポーランドは日露戦争以来、大の親日国であります。第一次大戦でポーランドの戦災孤児たちが行く先を失った時も日本は数千人の孤児たちを引き受け、あちこち、移住先が決まるまでお世話をしました。

 だから、紙模型も、ひょっとしたら日本製を超えていると予想したら、そのとおりでした。

 

       

 

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RE滅鬼の刃・15『横並び』

2021-02-24 14:37:11 | エッセー

RE滅 エッセーノベル    

15・『横並び』       

 

 

 日本人て横並びですよね。

 

 いいか悪いかは別にして、周りの人と同じであることで精神の安定を保っていると思うんです。

 お祖父ちゃんは、1953年生まれですから、団塊の世代の尻尾の先だと思います。

 職場は公立の学校でしたから、同僚の先生たちは日教組です。

 あ、日教組という括り方をすると「それは違う」とお祖父ちゃんは言います。

 お祖父ちゃんは府の教職員組合が分裂してゼンキョウというのが出来た時に組合を辞めています。

 ゼンキョウ……全日本教職員組合? よく分かりませんが、1991年に日教組から分離した組合組織で、日教組とは一線をひいている……のだそうです。

 日教組も全教も、まあ左派の組合です。高校生のわたしには、違いがよく分かりません。

 立憲民主党系と共産党系? アハハ、立憲民主と共産党の区別もついていません(*ノωノ)。

 その中で日の丸賛成! 卒業ソングは『蛍の光』と『仰げば尊し』を叫ぶんですから勇気があります。

 お祖父ちゃんも最初は組合には入っていたようです。

 最初の学校に新任で入った時、諸手続きの中に組合加盟の用紙があるし、説明してる人は一緒だし、なんか「皆さんそうなさってます」的な空気の中で入ってしまったんだそうです。

 なんで辞めたのかを面と向かって聞いたことはありません。なんか古傷っぽいですしね。

 お祖父ちゃんはFacebookをやっています。

 毎日、お友だちの投稿を見ては「ほう」とか「へえ」とか言ってます。

 友だちの友だちは、みんな友だちだ! という感覚でフレ承認していたら、いつのまにか300人ほどお友だちができたようです。

 リアルのお付き合いは、ほとんど無くなったお祖父ちゃんですので、たとえSNSでも人の繋がりがあるのはいいことだと思います。

 ただ、歳の割には左翼っぽくないお祖父ちゃんなので、お友だちの投稿が間違っていたり見当違いだったりすると、きっちりと反論を書きます。

 たとえば――総理は記者たちの呼びかけを無視して去っていきました――という書き込みがあったとします。

 お祖父ちゃんは、色々調べてファクトチェックします。確認の結果以下のようなことを知ります。

 総理は、記者たちに呼び止められて振り返りましたが呼び止めた記者は手を挙げません。それで、総理は再び去ろうとしますが、再び「総理!」と声が掛かり、再び振り返りましたが、やっぱり名乗り出る記者はいませんので、三度立ち去ろうとします。すると、三度目の「総理!」の声が上がりますが、三度目は振り返らずに、そのまま立ち去りました。

 この三度目の時だけを取り上げて――総理は記者たちの呼びかけを無視して去っていきました――と非難するのです。

 そこまで調べて反論するのですが、反論された方は、やっぱり不愉快ですよね。

 たいていの人は反論された中身が問題ではなく、反論されたということに戸惑いと反感を持つんですよね。

 もう、現役のころのしがらみも無いのですから、思い切りやればいいと思います。

 でも、健康にだけは気を付けてくださいね。このごろ血圧も血糖値も高いんですからね。

 

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 開き直るんじゃねえよ。

 人生100年とかいう時代だぜ、友だちがいねえことを自慢すんじゃねえよ!

 夜中にひっくり返ったって、あたししかいないんだぞ。

 クソジジイだから長生きだと思うけどさ、死ぬまで無事でさ、なんも患うこともなしにポックリいってくれたらいいよ。

 何回もひっくり返って、救急車呼んだり、度重なる入院とかで付き添いだとか看病だとか介護とか勘弁してよ!

 あたしだって、自分の人生あるんだからね。クソジジイのことで青春台無しにしたくねえよ。

 なんか、そういう予感がするからさ、頼むよ、ちゃんと、これからのこと準備しといてくれよ( ノД`)!!

 年末の事だったよな。

「しおり、もう年賀状やめようか」

 ミカンの皮剥きながら背中で聞いたよな。

「好きにすればあ……」

 そう言ったけど、本心は――クソジジイ、とうとう来やがった――て思った。

 年賀状たって、50枚無いじゃん。

 みんな義理で出してくれてる年賀状だけどさ、それでも、やっと残ってる人間関係じゃん。

 SNSだってさ、いちいち反論とかみっともないよ。適当に『いいね!』押しまくって、かわいらしくしときゃいいんだよ。ひまでYouTube観まくりなんだろうけど、安倍さんとかトランプを贔屓にすんじゃねえよ、年寄りのトレンドは『安倍政治を許さない!』だからな。世間の年寄りは、総理辞めたって安倍総理許さねえんだからな! 右に、いや、左に倣っとけよ。

 失った人間関係は、取り戻せないんだからさ。

 だいたいさ、適当に世間に合わせときゃよかったんだよ。

 学校に勤めていてさ、日の丸とか君が代とか言ってんじゃねえよ!

 はいはい言って付き合っとけば、ここまで孤立してねえと思うよ。

 あたしだって、家の外じゃイイコしてるよ。

 ご近所の人に遭ったらきちんと挨拶するしさ、ゴミ出しだってやるよ。

 回覧板回すときだって、時候の挨拶だけじゃなくってさ、「腰の具合どうですか?」とか「夕べの地震びっくりしました!」とか「つまらないものですが」とか言って年に一回くらいは出かけた時のお土産添えたり、町会の運動会にも進んで出たりとか、クソジジイに万一のことがあった場合のセーフティーネットの構築に勤しんでるよ。

 学校じゃ『着かず離れず深入りせずに』をモットーにしてさ、クラスのどのカーストからも「おはよう」とか「オッス」を言い合えるような関係保ってるよ。

 制服の改造とかはしないけど、ブラウスの第一ボタンは外してリボンはルーズを心がけてるよ。

 ローファーの踵は踏みつぶさないけど、スカートは校則よりも三センチ上にして、アクセとかはしないけど、左手のミサンガは外したことがない。

 しおりは緩め方がうまいよなって、生活指導の竜崎に言われた時はギクってしたけどさ、まあ、生活指導部長に、そう言わせるくらいには気い配ってる。

 ジイチャンも、頼むよ。

 元気でいてよ、あたしが玉の輿に乗るまではさ。

 

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滅鬼の刃・14『遺品の写真』

2021-02-18 08:48:51 | エッセー

 エッセーノベル    

14・『遺品の写真』   

 

 

 2011年に亡くなった父の遺品を整理していた時の事です。

 

 うわあ……

 姉が『えらいものを見つけた』という声をあげました。

「え、なにぃ?」

 姉の手元を見ると、丸まった卒業証書……と思いきや。

 開いて見せてくれたのは天皇陛下御成婚のお写真でした。

 天皇陛下と言っても今上陛下ではなくて、先年退位された上皇陛下のそれです。

 上辺の中央に菊の御紋があって、鳳凰が向かい合って、長い尻尾の羽根がお二人のお写真を縁取っています。

 父の遺品は仏壇を除いて全て処分しました。

 でも、このお写真は捨てられません。

 これは、子どものころに額装されて居間の長押の真ん中に永年勤続の賞状と並んで掛けてあったものです。

 姉は、特段、皇室に思い入れがあったり、古い日本を懐かしがるような性格ではないのですが、軽々とゴミ箱に突っ込んだり古紙回収に出していいものではないという感覚なのです。

 いまの若い人なら平気なのかもしれませんね。

 おそらくは、新聞社かなんぞが昭和33年の御成婚記念に作って頒布したものでしょう。

 それなら、古新聞と同じじゃん。若い人なら、これでおしまいでしょう。

 姉も私も躊躇しました。

 結局、わたしが仏壇と共に引き取って、車ダンスの一番上の引き出しにしまいました。

 孫には「お祖父ちゃんが死んだら棺桶に入れておくれ」と言ってあります。

「え、あ、うん……」

 孫娘の反応はそれだけでした。

 

 数年前に、友人に誘われて日帰りの温泉に行った時のことです。

 増改築を繰り返した温泉宿は、男湯の入り口から脱衣場まで五メートルほどの通路になっています。

 宿の亭主のご趣味なのか週刊誌大の写真のパネルが数十個かけてあります。

 菊人形、運動会、街の景色や街の人たちの一昔前の日常を切り取った写真です。おそらくは宿の先代さんがお好きで、そのお作を温泉客に見てもらおうという趣向なのでしょう。

 順繰りに見ていくと、中年のオッサンとオバハンの大写しの顔写真が目につきました。

 写真の技術は分からないのですが、広角と言うんでしょうか、真ん中が強調される写し方で、端に行くほど小さく写って、それだけ広い面積が撮れるやり方です。

 そういう撮り方なので、鼻の下が強調されて顎や額などの周辺は小さく写っています。

 浮世絵で言えば大首絵という感じです。不思議の国のアリスの挿絵にあるハートの女王と言ったらイメージしてもらえるでしょうか。

 鼻の下は髭剃り後の毛穴まで分かる精細さです。

 二人とも、ニッコリ微笑んでいるのでしょうが、そういう撮り方をしているので、ひどく間の抜けた、ちょっと醜い写り方をしています。

 これは誰だろう……?

 数十秒見て気が付きました。

 昭和天皇と香淳皇后の、おそらくは、昭和三十年代。植樹祭かなにかの行事にお出ましになられ、子どもか若い人の挨拶をにこやかに聞いておられるときのものかと思われました。背後にボンヤリとテントの端っこや、礼服姿が見て取れるのです。

 昔なら不敬罪でしょう。

 個展を兼ねているのかなあ……とも思いましたが、脱衣場に繋がる通路ではやらないでしょう。

 よく見ると、焼けているものや、パネルの上に埃が付いているものもあり、相当前からかけっぱなしにしてあるものと思えました。

 フロントに言いに行くのも大人げなく……というか、右翼のオッサンと思われるのも業腹だし、一緒に行った友人まで変な目で見られては困るので、そのままにしました。

 こんな写真があったでえ!

 風呂上がりの友人に言うと『あっそ』という表情で話題を変えられました。

 いま振り返ると、こういう感性も滅鬼の刃なのかもしれません。

 

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RE滅鬼の刃・13『お祖父ちゃんは凄いです』

2021-02-11 10:06:01 | エッセー

RE滅 エッセーノベル    

13・『お祖父ちゃんは凄いです』   

 

   

 いやはや、お祖父ちゃんは精力的な人です(;^_^A

 

 三学期も真ん中に差し掛かったわたしは、進路希望調査票にどう書こうかとか、進路に関わって評定をどう上げるかで、ちょっと一杯です(^_^;)。

 わたしは『けいおん』とか『女子高生の無駄づかい』とかのアニメが好きです。好きな声優さんが、ぜんぜんキャラの違う役の声をやってらっしゃって(律の声優さんがリリー、ゆいの声優さんがロボを、とか)興味深いこともあるのですが、女子高生の日常をほのぼのと肯定的に描いているところが好きです。

 実際の女子高生の日常なんて、不安とかシンドイことやめんどくさいことの連続で、アニメのように楽しくはないんですけどね。

 ふたつとも、進路希望調査の話が出てきます。

『けいおん』ではゆい(ギター)と律(ドラム)の二人が、『女子高生の無駄づかい』ではバカとヤマイがまともな進路希望調査票が書けなくて、本人たちだけでなく、仲間や先生たちもヤキモキします。

 進路……そんな未来の事は分からないって書いたキャラがいたように思うんですが、同感です。

 わたしのリアルって、アニメのように面白くはないし、ウィットも無いし、根性もありません。

 だから、無難に文系進学。できれば特推。

 受験勉強なんて御免だし、お祖父ちゃんも「学費ぐらい任せとけ」と言ってくれますので甘えています。

 正直、専門学校や就職も頭の中にはあります。じっさい、ゆいや律やバカ、ヤマイのようにフワフワしてるんです。

 文系特推から専門学校、就職への乗り換えは楽にできるんです。祖父との二人暮らしという環境なので、そういう変更をしても「お祖父ちゃんのことや生活の事を考えると……」と言葉を濁しておけば、友だちも先生方も「そうか、栞も大変なんだよな……」と同情してもらって、変更できます。どう転んでも、栞はいい子だって思われていたいんですよね。

 けっこう卑怯者なんですよ、わたしって。

 お祖父ちゃんは凄いです。

 だって、学校の先生ってサヨクばっかじゃないですか。ちょっとネトウヨっぽく生徒に言う先生もおられますけど、それって、今の高校生が右っぽいから、それに合わせたポーズです。職員室に行ったら組合の掲示板というのがあって、下にロッカーがあります。その上に、月替わりみたいに署名用紙が載っていて、ネトウヨ先生の名前もあったりするからです。先生だって、人に嫌われたくないんです。学校で人って言えば生徒と同僚ですからね。ま、世間に合わせるというか恭順の意を示す的なことも必要なんでしょう。

 あ、非難じゃないですからね(^_^;)、世の中って、こういうことでうまく回ってるんだと思います。

 昔は、もっとすごかったと思うんですよ。それこそ、入学式に日の丸も揚げられないくらいに。

 そんな中で、ずっと、自分の思うところを貫いてきたお祖父ちゃんは偉いと思います。素敵です。

 

http://wwc:sumire:shiori○○//do.com

 Sのドクロブログ!

 

 言ったら傷つくから言わねえけどさ、クソジジイって、ほんと友だち居ないのよ。

「もう七十だからな……」

 それとなく言ったら、そーゆー言い訳すんのよ。

 昭和28年生まれだよ、70なわけないじゃん、まだ67だよ。そーゆー四捨五入って悲しくね?

 昔は居たらしいよ。

 一回だけだけど、小学校の時、クソジジイの友だちがやってるイタ飯屋ってのに連れてってもらったことがあっけどお。その人は五年前に亡くなっちゃってさ。

「いい奴は、みんな先に逝っちまうなぁ……」

 って、葬式帰ってから喪服のまんま指折んなよ!

 せまい学校の中でさ、職員会議とかでさ、日の丸の演説したって虚しいだけっしょ、そりゃ、友だち失くすわ。

 黙って俯いてりゃ、頭の上通り過ぎんのにさ。

 学校が左っぽいなんて、近所の犬だって知ってる。「お手!」ってゆったら左足挙げるもん。

 で、世間が学校よりも右っぽいことも知ってる。

 で、フツーの人の生活って、そーゆー右とか左とか言わないで回ってるぞ。

 あたしが進路に臆病なのはね、このごろクソジジイの肝臓と糖尿と血圧の数値が悪いから……血液検査の結果、むき出しのままテーブルに置いておくのは無しだぜ。

 あたしが好きなのは『女子高生の無駄づかい』のバカ。

 知らない人はいっかい見てよ、きっとおもしろいから。

 

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滅鬼の刃12・『卒業ソング』

2021-02-07 06:48:22 | エッセー

 エッセーノベル    

12・『卒業ソング』   

 


 今年(2021年)も卒業式のシーズンがやってきました。

 日本全国四万校あまりの、小学校から大学まで、学校の数だけ卒業式が行われます。

 中には、卒業式とは言わずに、卒業証書授与式というところもあります。

 ちょっとしっくりきません(^_^;)。

 わたしのいる大阪などは、公には卒業証書授与式となっていますが、みんな卒業式と言っています。

 卒業式で歌う歌を「卒業ソング」とか「卒業生の歌」とか言います。
 ちなみに検索してみると、以下のような歌が出てきました。

 〇贈る言葉         海援隊

 〇卒業写真         松任谷由実

 〇My Graduation       SPEED

 〇3月9日          レミオロメン
 
 〇道            EXILE

 〇桜の栞          AKB48

 〇Yell           いきものがかり

 〇旅ダチノウタ       AAA

 〇Best Friend        西野カナ

 〇振り向けば…       Janne Da Arc(ジャンヌダルク)

 〇桜の木になろう     AKB48

 〇10年桜         AKB48

 〇手紙 〜拝啓 十五の君へ〜 アンジェラ・アキ

 〇Best Friend        Kiroro

 〇遥か           GReeeeN(グリーン)

 〇卒業          斉藤由貴

 〇卒業          尾崎豊

 〇卒業-GRADUATION-   菊池桃子

 たいていの学校では、卒業生が候補曲をいくつか出して投票で決めているのではないでしょうか。

 だから、240人の卒業生がいたとすると、候補曲が7曲ほど出て、50人ほどの賛成で決まってしまうこともあります。そう言う場合、残りの190人は不本意で、斉唱するときにも意気が上がらないこともあるのではないでしょうか。
 
 これらの卒業ソングの中には、定番と言っていい言葉があります……。

 桜 友 友だち 思い出 旅立ち 別れ 春 卒業 君 果てしない 道 喜び 懐かしい 涙 等々。

 逆に、ほとんど出てこない言葉があります……。

 師 教え 先生 学び

 師に至っては、このエッセーを書くにあたり聞いた卒業ソングの中には出てきませんでした。学校生活で、もっとも濃密な関係は、友だちと先生だとおもうのですが、どうでしょう。

 わたしが小学生のころは、『仰げば尊し』と、在校生や先生、保護者、来賓の方々の『蛍の光』と決まっていました。

 今でも地方や私学では、この二つの曲を大事にされているところがあるように思います。公立の学校ではほぼ絶滅してしまったように感じます。卒業ソングで検索しても、この伝統的な二曲は、ほとんど出てきません。

 昭和30年代までは、この二曲は定番でした。

『ビルマの竪琴』という映画があります。

 水島上等兵が、ビルマの僧侶になり、捕虜収容所の仲間たちのところに会いに行く有名なシーンです。

「水島、水島じゃないか。いっしょに日本に帰ろう!」

 仲間達は、鉄条網の中から、水島に呼びかけます。

 水島は、一言も語らず、竪琴で『仰げば尊し』を奏でます。それで全てが伝わります。水島は日本人であることさえ卒業して、戦争で亡くなった人たちの冥福を祈ることに、残った人生をかける。その想いと決意が、この曲を奏でることだけで通じます。

『二十四の瞳』の中でも、校庭での卒業式のシーンは、この『仰げば尊し』です。この曲は明治17年から歌われ、長年作者不詳となっていましたが、『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』の中にあるアメリカの楽曲の中にある『Song for the Close of School 』ということを一橋大学の桜井雅人名誉教授が2011年に突き止められたそうですが、まだ作者不詳と紹介しているものもあります。

 いずれにしろ、これは日本軍国主義が作ったものではないことは確かなようです。

「仰げば尊し」と歌いだす曲は原曲をアメリカに借りながらも、わたし達日本人が歴史の中で育んできた感性の発露であると思うのですが、どうでしょう。

 授業前の「起立・礼・着席」などに、その名残が残っています。

 また師を「先生」と呼ぶ言い方もそうでしょう。英語ではミスター、ミス、ミセス、ミズでしょうか。訳すと、いずれも『~さん』となります。

 もし、日本で先生のことを『~さん』と呼んだら、呼ばれたらどうでしょう。

 たとえば、授業中「先生、質問いいですか?」と聞くところを「~さん、質問いいですか?」と言ったら、ちょっと教室が凍りつきます。先生も内心ムカッときます。

 卒業式で『仰げば尊し』なんかマッピラ! そういう生徒君でも、普段は「先生」と呼び掛けているのではないでしょうか。先生と呼ぶなら、仰げば尊し、問題はないと思うのですが。

 わたしが生きてきた大阪では、たいていの学校で「先生」が生きています。漢字で書くと「先生」ですが、呼び方は字面通りではありません。

 国語的にルビを振ると「せんせい」ですが、実際には「せんせー」だと思うのですが、どうでしょう。

 大阪弁では「せんせ」あるいは「せんせぇ」になります。「せんせ、いっしょに来てえや」「せんせ、頼みますからぁ」てな具合です。「せんせぇ」と小さな「ぇ」が付くときは「せんせぇ、頼むわあ!」とか「せんせぇ、許可してぇやぁ」とか、強いお願いやら苦情を言う時に「ぇ」が付きます。

 師としての先生に敬意を払いつつも、大阪的気楽さ親密さが「せんせぇ」「せんせ」に籠っていると思うのですが、どうでしょう。

 こういう軽い敬意を六年間、あるいは三年間の締めくくりとして「仰げば尊し」とぶちかます。やっぱり、アナクロでしょうか。

 
 ここまで読んで、大橋というのは「なんというアナクロ!」と言われるかもしれませんね(^_^;)。師の恩とは何事かと。

 アナクロついでにもう一つ。

 よく、命の大切さを教えるときに「人の命は山よりも重い」と校長先生が言いますね。これは、その「アナクロ」そのものであることに先生自体が気づいていないように思います。この言葉の大元は司馬遷の報任少卿書の中にあります。

「人の命は泰山より重く」からきています。そして、この言葉には下半分があります「鴻毛より軽し」

「人の命は泰山より重く、或いは鴻毛より軽し」が正しいのです。

 我々は、『君が代』を取り戻しました。式典で起立斉唱しない教職員は、ほとんど皆無になってきましたね。そして皆無になったことを嘆く日本人もほとんどいないのではないでしょうか。
 
 ちょっとしつこいようですが、ナショナルスタンダードとして、『仰げば尊し』を思い出してもいいのではないでしょうか(^_^;)。

 むろん、いわゆる卒業ソングは否定しません。Graduation ceremonyに続くプロム(舞踏会=パーティー)のようなところで大いにハジケればいいと思います。アメリカでは、公の卒業式が終わった後、生徒達自身で企画してプロムをやります。型を決められた卒業式で、わずか数分意気の上がらない卒業ソングを歌うのではなく、自分たちで、自分たちのためのイベントを企画してはどうでしょう。それとも、そんな自由も発想も、今の若者にはないのでしょうか。スタンダードでトラディッショナルな卒業式は、きちんと受け継ぎ、自分たちがハジケルためのものは、自分たちでやればいいとオッサンは思います。

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