今季の竹の子に初挑戦した。
うちの鉢植えの山椒が芽吹いたのを見て思いついたのだから「主客転倒」といっていいかもしれない。
午前も早い時間に農協の野菜売り場へ。
ちょうどふさわしいものがあった。
大きな鍋がないからそこそこのサイズのものしか湯がけない。
全長20センチほどを頭に3本、米ぬか付きで500円。
早速持ち帰り洗う。
表面の硬い皮はある程度剥き捨てる。
根っこの赤いぶつぶつのある辺りは綺麗になるまでそぐ。
先端部分を斜めに落とす。
皮に一本、縦の切り込みを入れる。
これで準備万端。
たっぷりのお湯に、米ぬかと鷹の爪を入れ、落とし蓋をして湯がく。
1時間ほどで良さそうだが、1時間20分にタイマーを設定する。
出来上がった。竹串で確かめるとす~っと通る。
そのまま、夕方までそっとしておき自然に冷ます。
それから皮を剥いたのが最後の写真。
この時、皮の下部に付いている柔らかい部分を捨てないでとっておく。
これに薄口の生姜醤油をかけると立派な一品の料理になる。
さて、本体のほうだが切れ端を切って試食したら、うまい具合にエグみがとれていたので、やや小さめに切って、ワカメなどを合わせることなく、それのみを薄味の鰹出汁で煮付ける。
採ってきた木の芽を散らして出来上がり。
残りは水を張ったボウルに入れる。
まだ一本半ほどある。
明日はたけのこご飯を炊こうかな。
それでも残りそうだから、若竹煮か、それともわけぎと合わせてヌタも面白そう。
たかが竹の子だが、その調理には先人が残した経験や知恵がいっぱい詰まっている。だから私たちは、それを利用して美味しく食べることができる。
もっと大げさに言えば、先人たちが作った世界へと私たちは生まれいでて、この世界になかで生きている。ここを去る前に、何か痕跡をといっても、私個人の力をもってしてはなんともならないが、私たち相互の実践によって、新しく生まれいづる人たちに、良い世界を残せるといいのだが。
うちの鉢植えの山椒が芽吹いたのを見て思いついたのだから「主客転倒」といっていいかもしれない。
午前も早い時間に農協の野菜売り場へ。
ちょうどふさわしいものがあった。
大きな鍋がないからそこそこのサイズのものしか湯がけない。
全長20センチほどを頭に3本、米ぬか付きで500円。
早速持ち帰り洗う。
表面の硬い皮はある程度剥き捨てる。
根っこの赤いぶつぶつのある辺りは綺麗になるまでそぐ。
先端部分を斜めに落とす。
皮に一本、縦の切り込みを入れる。
これで準備万端。
たっぷりのお湯に、米ぬかと鷹の爪を入れ、落とし蓋をして湯がく。
1時間ほどで良さそうだが、1時間20分にタイマーを設定する。
出来上がった。竹串で確かめるとす~っと通る。
そのまま、夕方までそっとしておき自然に冷ます。
それから皮を剥いたのが最後の写真。
この時、皮の下部に付いている柔らかい部分を捨てないでとっておく。
これに薄口の生姜醤油をかけると立派な一品の料理になる。
さて、本体のほうだが切れ端を切って試食したら、うまい具合にエグみがとれていたので、やや小さめに切って、ワカメなどを合わせることなく、それのみを薄味の鰹出汁で煮付ける。
採ってきた木の芽を散らして出来上がり。
残りは水を張ったボウルに入れる。
まだ一本半ほどある。
明日はたけのこご飯を炊こうかな。
それでも残りそうだから、若竹煮か、それともわけぎと合わせてヌタも面白そう。
たかが竹の子だが、その調理には先人が残した経験や知恵がいっぱい詰まっている。だから私たちは、それを利用して美味しく食べることができる。
もっと大げさに言えば、先人たちが作った世界へと私たちは生まれいでて、この世界になかで生きている。ここを去る前に、何か痕跡をといっても、私個人の力をもってしてはなんともならないが、私たち相互の実践によって、新しく生まれいづる人たちに、良い世界を残せるといいのだが。
「竹の子→竹」の感じわかります。戦中に疎開したしたまま6年ほど田舎住まいをしたのですが、今生きていれば150歳に近いような母方の祖父とこの時期、よく竹の子掘りに行きました。
子供の私が見つけて、「じいちゃんこれ」というと、「駄目じゃ、そりゃあ、もう竹じゃ」などと言われたものです。
先般はわざわざ足をお運びいただきありがとうございました。
当日、司会をなさった海老澤様経由の情報ですが、帰りにご一緒した鈴木様が「遊民」をとのことだそうで、次号からお送りするようにしたいと思っています。
飲食店をやってはいましたが、私は店の中央での焼き方が専門で、上のような仕事は板場がやっていました。したがって、私のものはそれらの板場の仕事を見ながら覚えたものです。
でも、今なお、料理の仕事は好きです。
いかにもプロのレシピですね。写真の竹の子、配置がきれいで、見た目にも美味しそうです。
三河の田舎に住む私は、あちこちから竹の子をもらいます。抜いたばかりのもの、あく抜きを済ませたもの、調理済みのもの、竹の子ご飯など。3000坪の竹林を持ち、毎年400本抜くという近所の地主は、抜くタイミングが遅れ、ほんの少し硬くなっただけで、それを竹の子ではなく竹と呼びます。旬の感覚が贅沢ですね。
先日は、ご苦労様でした。
はい、存じています。かって包丁をふるっておられたこと。