六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

四十数年前に裁判があった。

2006-09-10 00:04:59 | よしなしごと
 

 地下鉄を名古屋市役所で降りて、今は空堀になっている名古屋城の外堀などを眺めながら東へ行くと、昔の名古屋地方裁判所がある。
 堂々たる赤煉瓦造りの建物であるが、現在は裁判所としては使われておらず、「名古屋市市政資料館」となっていて、建物自体は国の重要文化財に指定されている。

 ここを目指して行ったわけではない。先に日記に掲載した、「あいち国際女性映画祭」が、この建物に向かい合った、「ウィルあいち」で開催されたからである。



  しかし、この建物には、かつてこれが裁判所であった折りの想い出がある。
 それは、ここで行われた裁判を2、3回傍聴に訪れたからである。その裁判というのは、いわゆる60年安保の際、パクられた学友の裁判であった。
 闘争の終盤の6月、一挙に68人が逮捕された。私も機動隊の幌付きトラックにまで引きずられたが、大混乱の中、かろうじて逃げることが出来た。

 68名のうち、起訴されたのは首謀者とみなされた2名のみだった。
 いわゆる「裁判闘争」などと意気込んではみたが、道交法や公務執行妨害などのつまらない罪状で、闘争の正当性を主張する学生側とは全く話そのものが噛み合わず、なんだかつまらない裁判だった。
 結局は罰金5千円(現在の7、8万か)だったように記憶する。

 しかし、これ程の科料のために、延べ何人もの人間が、延べ何日かかかって、儀式めいたことを延々としなければならないのかが不思議なのだが、そこに法の執行者としての国家の威信とやらがあるのだろう。



 これも前の日記に書いたが、60年安保と同じ年、三井三池の大争議があった。その記録映画、「三池---終わらない炭鉱(やま)の物語」を、この旧裁判所の前にある「ウィルあいち」で観るというのも歴史の織りなす綾であろうか。
 
 三池闘争の発端は1,700名かの指名解雇だったのだが、それに反対する組合を切り崩すのに、会社側は220億円(現在に換金すれば3,000億ぐらいか)を用いたという。
 そんな大金があるなら、1,700人ぐらい解雇しなくても、あるいは辞めさせるにしても十分な厚遇をすればと思うにだが、そこは、会社の目的が、直接の首切りというより、組合そのものに引導を渡すことであってみれば、十分頷けるのである。

 5,000円の罰金を取るために仰々しい裁判をやってのける権力というものと同様、まさに「総資本」の意志の誇示であったわけである。

 その意味で、あの裁判と、その建物の前で観た記録映画に描かれた事態とは、四十数年を経由して私のうちでまたしても結びついたのであった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 君は「炭鉱節」を踊ったこと... | トップ | ゆったり空間と六の時事川柳... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。