いまの若い人たちには「お蚕さん」といういい方はいくぶん奇異に響くかもしれない。もちろん、蚕は知っているだろうが、なぜそれに「お」や「さん」など敬称を付けるかだ。
種明かしをしてしまえば、養蚕というのは農家にとって、割合短期間のうちに現金収入が得られるありがたい仕事だったのだ。だからそれをもたらす蚕を呼び捨てにするのは恐れ多いことだった。
私もその端くれを経験したことがある。
戦争中に疎開した母の実家は、米を主体とした農家だったが、その二階を利用して、この時期からお蚕さんを飼い始め、一ヵ月余を過ぎると繭ができて、それが絹糸の原料になるというわけだ。
繭ができた頃、街から仲買人がやってきて、天秤秤で計量してそれを買い取ってゆく。
その過程が、どんぴしゃりお蚕さんの食料、桑の新芽が出て成長してゆく経過と重なっているのだ。
私たち子供にできることは、お蚕さんの食料、桑の葉の運搬ぐらいだ。
大人たちが、桑を枝ごと切って束にする。背中いっぱいの大きな束は大人たちが運ぶ。子供たちは小さな束を作ってもらって抱えるようにして運ぶ。
蚕の食欲は旺盛だし、常に新鮮な葉が必要だからこれもけっこうキツイ労働だ。
切ってきた枝はそのままお蚕さんの棚に均すようにして並べる。お蚕さんたちはそれをひたすらモリモリと食べる。その食べっぷりがどんなにすごいかというと、一匹一匹は人間の小指にも満たないほどなのに、それが何千匹単位でひたすら食べると、その音がシャカシャカと絶え間なく聞こえるのだ。
そんな経験もあって、お蚕さんとそれに関連した桑の木のはちょっとした思い入れがある。
もう30年ほど前だろうか、いま住んでいる家の敷地の片隅に、20センチあるなしの一本のヒョロヒョロッとした木が生えているのを見つけた。こんなところに生えてきたって、じゃまになるだけだから可愛そうだが引っこ抜こうと思った。最初は、我が家の古参、ムクゲの子供かなと思ったのだ。しかしよく見ると違う。桑だ。
子供も頃の思い出がむくむくとこみ上げ、よっしっ、育ててみようと日当たりの良い場所に移植した。桑の木の成長は早い。そうでなければ蚕の食欲にも追いつけないのだろう。今やこの木は、2階建ての我が家を凌駕し、その枝を二階の私の部屋のベランダに張り出している。
そして、5月末から6月のはじめにかけてたわわに実をつけるようになった。一見、真っ黒に見えるまで熟した実は、甘くて独特の香りがあり美味しい。毎年、2、3日の間隔をおいて数度にわたって収穫でき、採ったものは娘が働いている学童保育の子供たちのおやつに供している。
ここに載せた実の写真は、昨年の5月31日のものである。
そんな桑の木が、いま新葉の時期を迎えている。読書や、PCに疲れてふと目を上げると、日増しに濃くなる緑が眼前にあるのは嬉しい事だ。
そんな2、3日前、ネットで調べ物をしていたら、その派生的な情報として、桑の新芽は天ぷらにすると美味いというのが飛び込んできた。桑とは子供の頃からもう70年の付き合いだが、これは初耳だ。
早速、ベランダに出て、その新芽を摘んで食べてみた。桑の実と同じ味がほんのりとして、何のアクもなく、そのままサラダにも使えそうだ。
桑の新芽は、実の赤ちゃんと同時に出てくる。この実の赤ちゃんというのは実は花であり、それが実になるのだろう。
実を採らないようにして新芽とまだ柔らかそうな葉を採り、天ぷらにした。
美味いっ!
ただし、うまく揚げるためには多少の配慮がいる。要は大葉の天ぷらと同じだが、衣はやや薄めにして高温でさらっと揚げる。揚げ足らないとベチャッとするし、揚げ過ぎると味が飛んでなんだかわからなくなってしまう。菜箸で確かめながら、衣にカリッとした感じが出たところで素早く取り出す。
縷々書いてきたように、桑との付き合いは長いが、その葉っぱをこんなに美味しく食べることができるなんて知らなかった。
もう、気分はすっかり「お蚕さん」だ。
天ぷらの写真、向こう側はその日、地元の蕗を煮たのだが、その先の方は硬いので、その部分を天ぷらにしたもの。これも美味しかった。
桑は、私を三重に楽しませてくれる。目前の緑として、その実の甘さとして、そして新芽の美味しさとして。
長生きはするもんだ・・・ったって、この長寿社会、まだ新参者の老人にすぎない。その割にはあちこち傷んでいる。
種明かしをしてしまえば、養蚕というのは農家にとって、割合短期間のうちに現金収入が得られるありがたい仕事だったのだ。だからそれをもたらす蚕を呼び捨てにするのは恐れ多いことだった。
私もその端くれを経験したことがある。
戦争中に疎開した母の実家は、米を主体とした農家だったが、その二階を利用して、この時期からお蚕さんを飼い始め、一ヵ月余を過ぎると繭ができて、それが絹糸の原料になるというわけだ。
繭ができた頃、街から仲買人がやってきて、天秤秤で計量してそれを買い取ってゆく。
その過程が、どんぴしゃりお蚕さんの食料、桑の新芽が出て成長してゆく経過と重なっているのだ。
私たち子供にできることは、お蚕さんの食料、桑の葉の運搬ぐらいだ。
大人たちが、桑を枝ごと切って束にする。背中いっぱいの大きな束は大人たちが運ぶ。子供たちは小さな束を作ってもらって抱えるようにして運ぶ。
蚕の食欲は旺盛だし、常に新鮮な葉が必要だからこれもけっこうキツイ労働だ。
切ってきた枝はそのままお蚕さんの棚に均すようにして並べる。お蚕さんたちはそれをひたすらモリモリと食べる。その食べっぷりがどんなにすごいかというと、一匹一匹は人間の小指にも満たないほどなのに、それが何千匹単位でひたすら食べると、その音がシャカシャカと絶え間なく聞こえるのだ。
そんな経験もあって、お蚕さんとそれに関連した桑の木のはちょっとした思い入れがある。
もう30年ほど前だろうか、いま住んでいる家の敷地の片隅に、20センチあるなしの一本のヒョロヒョロッとした木が生えているのを見つけた。こんなところに生えてきたって、じゃまになるだけだから可愛そうだが引っこ抜こうと思った。最初は、我が家の古参、ムクゲの子供かなと思ったのだ。しかしよく見ると違う。桑だ。
子供も頃の思い出がむくむくとこみ上げ、よっしっ、育ててみようと日当たりの良い場所に移植した。桑の木の成長は早い。そうでなければ蚕の食欲にも追いつけないのだろう。今やこの木は、2階建ての我が家を凌駕し、その枝を二階の私の部屋のベランダに張り出している。
そして、5月末から6月のはじめにかけてたわわに実をつけるようになった。一見、真っ黒に見えるまで熟した実は、甘くて独特の香りがあり美味しい。毎年、2、3日の間隔をおいて数度にわたって収穫でき、採ったものは娘が働いている学童保育の子供たちのおやつに供している。
ここに載せた実の写真は、昨年の5月31日のものである。
そんな桑の木が、いま新葉の時期を迎えている。読書や、PCに疲れてふと目を上げると、日増しに濃くなる緑が眼前にあるのは嬉しい事だ。
そんな2、3日前、ネットで調べ物をしていたら、その派生的な情報として、桑の新芽は天ぷらにすると美味いというのが飛び込んできた。桑とは子供の頃からもう70年の付き合いだが、これは初耳だ。
早速、ベランダに出て、その新芽を摘んで食べてみた。桑の実と同じ味がほんのりとして、何のアクもなく、そのままサラダにも使えそうだ。
桑の新芽は、実の赤ちゃんと同時に出てくる。この実の赤ちゃんというのは実は花であり、それが実になるのだろう。
実を採らないようにして新芽とまだ柔らかそうな葉を採り、天ぷらにした。
美味いっ!
ただし、うまく揚げるためには多少の配慮がいる。要は大葉の天ぷらと同じだが、衣はやや薄めにして高温でさらっと揚げる。揚げ足らないとベチャッとするし、揚げ過ぎると味が飛んでなんだかわからなくなってしまう。菜箸で確かめながら、衣にカリッとした感じが出たところで素早く取り出す。
縷々書いてきたように、桑との付き合いは長いが、その葉っぱをこんなに美味しく食べることができるなんて知らなかった。
もう、気分はすっかり「お蚕さん」だ。
天ぷらの写真、向こう側はその日、地元の蕗を煮たのだが、その先の方は硬いので、その部分を天ぷらにしたもの。これも美味しかった。
桑は、私を三重に楽しませてくれる。目前の緑として、その実の甘さとして、そして新芽の美味しさとして。
長生きはするもんだ・・・ったって、この長寿社会、まだ新参者の老人にすぎない。その割にはあちこち傷んでいる。
天ぷらは、食べたことが有りません。私は揚げ具合に、絶対失敗する自信があります。
それにしても私はこの実の味を知らない(縄文遺跡の発掘作業をしていたころ、地元のおばさんに一粒いただいたような気もしますが)のですよ。ましてや葉っぱの天ぷらなどは・・・
むかしはかなりの農家で養蚕をしていたようですがいまは限られた箇所でしか行っていないようです。
衰退の原因はいろいろあるでしょうが、私たちが経験した頃の養蚕にいちばん打撃を与えたのはナイロンの発明だったようです。
Wikiによると、今や養蚕農家は500戸を下回っているとのことですが、それは最盛期の1%だといいますから、かつては全国に5万戸ほどあったということでしょうね。
それにしてもこの500戸以下という数字、明治には日本の輸出産業の花型であり、富岡製糸場や「ああ、野麦峠」の岡谷の製糸産業の歴史を知っている身には、にわかに信じがたい数字ですね。
いつも中身の濃いコメントを頂き、その他、メールを介してのお付き合いもありますので、もっと長くからのように思っていました。
調べてみたら、昨年の5月12日に初コメントをいただいてますね。
桑の実は市場には出回りませんから、実際に採れるところでないと召し上がれないでしょうね。
身が赤い頃や赤紫の頃は、まだ酸味があって美味しくなく、黒い色に完熟して、文字通り、触れなば落ちんという頃が美味しいのですから、日もちがしません。
新芽は桑の木さえあれば手に入るのですが、上の方へのコメントに書きましたように、かつてはどこにでもあった養蚕農家がなくなってから、桑の木はおじゃま虫とばかりに撤去されてしまいましたからほとんど見かけなくなりました。
お近くだったら、お届けするのですが・・・。
実は私も私が六文銭さんを知ったのはもうずっとずっと以前ではないかと思っています。その証拠に私のブックマ-クには前のパソコンから引き継いだ時、すでに「六文銭」と入っていたように思うのです。
いつか、何かで検索してお訪ねしているのではないかと思います。コメント入れないで密かに読ませていただいていたのかもしれません。
きっかけは、「じゃがたらお春」について調べていらっしゃった花てぼ名探偵が、私が2008年に書いた歌謡曲「長崎物語」についての記事を発見され、ご参照なさったことのようです。
なお、この歌は、私が生まれた1938(昭和13)年に作られたもので、私が物心ついた戦後にリバイバルヒットをしました。子供心に、長崎の異国情緒を印象づけるなど、懐かしい思い出がいっぱい詰まった歌です。