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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

最近の身辺雑記から どうでもいい話

2016-11-14 14:08:51 | 写真とおしゃべり
わが家の隣の造成工事
             
 次第にピッチを上げつつあり、さまざまな工事が行われている。もともと、田んぼだから、一メートル弱も掘れば水が現れる。
          
 この風景との間に4軒の家ができるから、長年続けてきた田んぼウオッチングも、岐阜の中心部を臨むこの眺望も今年限りとなる。

「ありが鯛」プレゼント
                    
 土曜日、ある会でのお知り合いから午後7時過ぎにお電話。釣りの帰りに通りかかったからおすそ分けとのありがたいお話。鯛とハマチ。
 何時間か前まで海で泳いでいたもの。ただただ感謝あるのみ。久々に、大きな魚をさばいた。刺身はもちろん、あらは骨煮やぶり大根用に整理した。
 これがまずかろうはずがない。海無し県で、座して文字通りの鮮魚が味わえるなんて、ありがたすぎて涙がでる。

変な虫
          
 ふと気づくと目の前に小さな虫が。カトンボに似ているがそうではない。
 全長で二センチ強だが、そのうち尾の部分が半分を占める長さ。
 もっと鮮明な写真をとカメラをいじくっている間に何処かへいなくなってしまった。狭い室内、探しても見当たらない。
 私の生涯のほんの点のようなできごと。これも一期一会というのだろうか。

手身近な紅葉
          
          
 これらの紅葉はどこか山に近い場所のものではない。
 日曜日、名古屋へ出かける際、JR岐阜駅のバスターミナルのサークルの中にある木立。みんな、忙しげに通り過ぎるが、けっこう良い風情である。
          
 来年、岐阜は、信長が井ノ口村といったこの辺を岐阜と名付けて四五〇年とか。そのキャンペーンのフラッグが垂れ下がっていた。
 岐阜市の市章はその古名にあやかり「井」の字を図案化したもの。
          
 なお、岐阜のいわれは《「岐山」(殷が周の王朝へと移り変わる時に鳳凰が舞い降りた山とされ、周の文王はこの山で立ち上がり、八の基を築いた)の「岐」と、「曲阜」(学問の祖、孔子が生まれた集落があった魯国の首府にして儒学発祥の地)の「阜」を併せ持つ「岐阜」》ということで、かつて岐阜の子は学校でみんなそれを習ったが(私も)、今でもそう教えているのだろうか。

名古屋の会では、声楽家(ソプラノ)の藤田恵梨子さんの講演で、声楽家たちが、聴衆が心地よく聴くことができるために、どんな呼吸法、どんな息遣いをしているかなど、彼女自身の発声や歌そのものを混じえて、興味深く聴くことが出来た。
 彼女自身は、ソプラノ・コロラトゥーラで、モーツァルトの歌曲を一曲と『魔笛』の中から「夜の女王のアリア」のさわりの部分などを歌ったが、劇場ではない普通の部屋では、それらの声がまさに朗々と響いた。
             
       偶然、今年も11月18日は金曜日だが、今年のものではないからご注意
 
 最後に、参加者も混じえてやはりモーツァルトの合唱曲、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」のレッスンとなったが、この淡々として静謐ななかにも味わい深い名曲が、その魅力を失わずに表現されるためには、どれほどの注意点や気配りが必要になるかを体感することが出来た。 
 これからは、ジャンルのいかんにかかわらず、歌手の表現の背後にあるそうした「アヒルの水かき」にも似た日頃の鍛錬を思って聴くべきだろうと思った。
 
秋の風情を活ける
             
 上記の名古屋での集まりの帰途、岐阜駅からの最寄りのバス路線は30分待ち。そこで少し離れた路線のバスに。そこから自宅へは田んぼの脇を通る。夜目にススキを発見。手折って帰る。
 今朝、咲きかけのわが家の菊と合わせて投げ入れ。もとより華道の心得など微塵もない。我流の出たとこ勝負。でも、テーブルが明るくなった。 



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3 コメント

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Unknown (花てぼ)
2016-11-14 22:45:11
花活けの感想。「私とちょぼちょぼの活け方」だと感心しています。
「なげ入れ」というお花の手法があるようですが、私のは「放り投げ入れ」で、自称、その家元です。
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照れます。 (六文銭)
2016-11-14 23:59:02
 花てぼさんおような美的センスのもち主から「ちょぼちょぼ」といわれると照れます。
 囲碁でいう定石のような基本を全く心得ないのですから、自分の極めて主観的なバランス感覚だけでそこに置いたという感じです。
 ただ、自分なりに反省点もあって、左下へ伸びた菊がややうるさいとは思い、もう少し立たせようとしたのですがままなりません。いっそのこと、これを外そうかと思ったのですが、一緒に取ってきたのに、これだけ員数外通告を出してビにするのにはしのびなくて、そのまま置きました。
 正式な活け花をみると、いらないものはビシバシと切ったり捨てたりしていますが、私にはそれが出来ません。
 せっかくドラフトで指名しておきながら、戦力外通告される選手の気持ちをつい考えてしまうのです(ってほど大げさなものではないか)。
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>「ありが鯛」 (bb)
2016-11-17 19:53:47
愉快でないニュースが続くこのごろですが、この写真にはうれしくなりました。尾びれの縁が黒いのはマダイの証し。淡いピンク色の魚体は太陽の光から遠い深場でエビ類をしっかり食べていたからでしょう。ブルーの輝点もうかがえますね。茨木のり子の詩集『対話』(1955刊)のなかの一編「もっと強く」、その冒頭と末尾の連を記させていただきます。

>もっと強く願っていいのだ/わたしたちは明石の鯛がたべたいと
>ああ わたしたちが/もっともっと貪婪にならないかぎり/なにごとも始まりはしないのだ
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