ここのところ何かとお騒がせな朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と略記)であるが、彼らの主として軍事的なデモンストレーションは、その「軍事大国」としてのアピールともいえるが、その宛先は、隣国の韓国や日本であると同時に、アメリカへの切ないほどのコミュニケーション願望でもある。ようするに、アメリカに承認されることによって、自国の安寧を図ろうとする意図があるものと思われる。
ならば、それほどのラブコールを受ける側のアメリカ国民が、北朝鮮についてどれほどの関心があるのかを示す面白いデータがネット上に流れてきた。
それは、ニューヨーク・タイムズが全米1,750人ほどを対象としたアンケートで、その参加者に、白地図の世界地図を示し、北朝鮮の場所を特定してもらうというものだ。
その結果は以下の地図の青い点が示しているが、その拡散ぶりはアジア全域から中近東に及んでいる。それでもこの点の散布からだけではわかりにくいが、正解率は36%だという。これを多いとみるか少ないとみるか。
それと関連して、「アメリカの北朝鮮に対してとるべき態度は?」という設問や、このアンケートに答えた人びとの性別・年齢別の分析は以下に詳しいので、興味のある人はどうぞ。
https://www.nytimes.com/interactive/2017/05/14/upshot/if-americans-can-find-north-korea-on-a-map-theyre-more-likely-to-prefer-diplomacy.html
思うにこれらの結果は、必ずしもアメリカ人の無知を示すものではないと思われる。私たちだって、いきなり、グアテマラの位置やザイールの位置を示せといわれたら、36%の正解率を得られるかどうか。
ちなみに私なんぞは、グアテマラが中米地区、ザイールがアフリカの西海岸の国ということを知っているぐらいで、その場所を的中させる自信はない。
私が興味を持ったのは、世界の国々が私たちに見えてくるその見え方が、「私たちの地図」によって大きく左右され、それによってある種の世界観のようなものへの影響すらあるのではないかということである。
私たちは、地球が丸いことを知っている。しかし、現実に「世界」を思い浮かべるときには、平面化された世界地図においてであることが多いだろう。「私たちの地図」においては、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の間に広大な太平洋が広がり、この国はユーラシアの東部、アジア大陸にしがみつくようにしてぶら下がっている。
私たちはこの位置から世界をイメージしている。
私たちが西欧というとき、それは、「私たちの地図」の左端に位置する箇所であるし、アメリカはというと、「私たちの地図」の右端に位置している。しかし、しばしばいわれる欧米諸国という言葉において、「私たちの地図」は戸惑うことになる。欧と米は「私たちの地図」では左右の端であるからだ。
ここに至って、「私たちの地図」の左右のはずれは、いわば円筒状に繋がっているのだという事実が思い起こされる。そして欧と米は大西洋を挟んだ繋がりのうちにあることを改めて思い起こす。
「私たちの地図」からはこの大西洋がほとんど隠されてしまっていたのだ。
これまで、「私たちの地図」を強調してきたが、これは、私たちのそれが、複数ある世界地図のうちのひとつでしかないことをいいたかったからである。
そうではない世界地図のひとつ、たぶん、欧米ではこちらのほうが多いのは以下のものである。
これによれば、まさに欧米が中心にあってわれわれの住まう場所は、文字通り極東なのである。
欧米中心の地図からみたら、私たちの列島も、朝鮮半島も、南太平洋に展開される国々も、何やら東のはずれのごちゃごちゃした地域に過ぎないのだ。だから、アメリカ人が北朝鮮を正確に指し示すのはさほど容易なことではないのだ。
「私たちの地図」以外のもうひとつを掲載しておこう。
初めてこれを見たときは幾分衝撃的だった。「地図は北を上とする」という前提がしっかりと叩き込まれているせいもあって、先にみた太平洋中心、大西洋中心の相互の横ずらしに比べてはるかに衝撃は大きい。なんせ、天地がひっくり返ったように思えてしまうからだ。
しかし、これもよく見れば不思議でも何でもない。「北を上」というのは、磁石の針が北を指すといった他にはこれといった必然性のない恣意的なものだし、あえていうならば、北半球での文明が近代を制したというぐらいの理由しかない。
だとするならば、南半球に住む人たちが、いつまでも北の下にぶら下がっているのに飽きたとしても何の不思議もない。
もともと、地球は丸いのだから、それを平面化して示す時、どの向きのどの地点を中心とするかによっては無数の世界地図が存在しうるわけだ。
われわれが見慣れているメルカトル図法のそれだって、もともとの円を、赤道を中心にして無理やり開き、北端と南端を拡大したもので、決して地球の実態を示しているわけではない。
だから、上の図に示した赤い円の大きさは、本来同じ面積を示すものだが、南北に行くに従って拡大されることになる。円を平面化するための便法だが、それによって平面の地図から判断する距離や面積のイメージはその実態との乖離を余儀なくされる。
何がいいたいかというと、私たちの地理的判断、あるいは歴史的判断、さらには政治的判断すら私たちの置かれた地政学上の立場、つまり、「私たちの地図」に依拠した判断から成り立っているのではないかということである。
そしてそれらは、自国中心主義、自民族中心主義、さらにはそれを先鋭化し、差別や排除、殲滅の論理にまで発展する可能性すらある。
その逆は、世界にはそれぞれの「私たちの地図」をもった人びとがいて、その差異をもったままに共存しゆこうとする開かれたイメージだろう。
世界を地球的規模で考え、「世界平和」、「世界市民」を初めて意識化してみせたのが哲学者のイマヌエル・カントだった。
彼は、上に見た偏狭な立場から脱却した理性に基づく世界市民の結合をイメージし、それをもって世界平和の礎としようとした。
現行の国連もそうした流れを受けたものではあるが、その現状には幾分の問題もある。強国が自らの権限を保持し、それを押し付ける場となったり、国際的に是正すべき問題が真面目に取り上げられなかったりする点がそれらだ。
しかし、それでも、カントの理想に近づくことができる改革を期待しながら、地球をさまざまな視点から見つめる多くの人々、つまり、それぞれ、「私たちの地図」をもつ人たちの連携の場としてその継続と成長を図るべきだろうと思う。
ならば、それほどのラブコールを受ける側のアメリカ国民が、北朝鮮についてどれほどの関心があるのかを示す面白いデータがネット上に流れてきた。
それは、ニューヨーク・タイムズが全米1,750人ほどを対象としたアンケートで、その参加者に、白地図の世界地図を示し、北朝鮮の場所を特定してもらうというものだ。
その結果は以下の地図の青い点が示しているが、その拡散ぶりはアジア全域から中近東に及んでいる。それでもこの点の散布からだけではわかりにくいが、正解率は36%だという。これを多いとみるか少ないとみるか。
それと関連して、「アメリカの北朝鮮に対してとるべき態度は?」という設問や、このアンケートに答えた人びとの性別・年齢別の分析は以下に詳しいので、興味のある人はどうぞ。
https://www.nytimes.com/interactive/2017/05/14/upshot/if-americans-can-find-north-korea-on-a-map-theyre-more-likely-to-prefer-diplomacy.html
思うにこれらの結果は、必ずしもアメリカ人の無知を示すものではないと思われる。私たちだって、いきなり、グアテマラの位置やザイールの位置を示せといわれたら、36%の正解率を得られるかどうか。
ちなみに私なんぞは、グアテマラが中米地区、ザイールがアフリカの西海岸の国ということを知っているぐらいで、その場所を的中させる自信はない。
私が興味を持ったのは、世界の国々が私たちに見えてくるその見え方が、「私たちの地図」によって大きく左右され、それによってある種の世界観のようなものへの影響すらあるのではないかということである。
私たちは、地球が丸いことを知っている。しかし、現実に「世界」を思い浮かべるときには、平面化された世界地図においてであることが多いだろう。「私たちの地図」においては、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の間に広大な太平洋が広がり、この国はユーラシアの東部、アジア大陸にしがみつくようにしてぶら下がっている。
私たちはこの位置から世界をイメージしている。
私たちが西欧というとき、それは、「私たちの地図」の左端に位置する箇所であるし、アメリカはというと、「私たちの地図」の右端に位置している。しかし、しばしばいわれる欧米諸国という言葉において、「私たちの地図」は戸惑うことになる。欧と米は「私たちの地図」では左右の端であるからだ。
ここに至って、「私たちの地図」の左右のはずれは、いわば円筒状に繋がっているのだという事実が思い起こされる。そして欧と米は大西洋を挟んだ繋がりのうちにあることを改めて思い起こす。
「私たちの地図」からはこの大西洋がほとんど隠されてしまっていたのだ。
これまで、「私たちの地図」を強調してきたが、これは、私たちのそれが、複数ある世界地図のうちのひとつでしかないことをいいたかったからである。
そうではない世界地図のひとつ、たぶん、欧米ではこちらのほうが多いのは以下のものである。
これによれば、まさに欧米が中心にあってわれわれの住まう場所は、文字通り極東なのである。
欧米中心の地図からみたら、私たちの列島も、朝鮮半島も、南太平洋に展開される国々も、何やら東のはずれのごちゃごちゃした地域に過ぎないのだ。だから、アメリカ人が北朝鮮を正確に指し示すのはさほど容易なことではないのだ。
「私たちの地図」以外のもうひとつを掲載しておこう。
初めてこれを見たときは幾分衝撃的だった。「地図は北を上とする」という前提がしっかりと叩き込まれているせいもあって、先にみた太平洋中心、大西洋中心の相互の横ずらしに比べてはるかに衝撃は大きい。なんせ、天地がひっくり返ったように思えてしまうからだ。
しかし、これもよく見れば不思議でも何でもない。「北を上」というのは、磁石の針が北を指すといった他にはこれといった必然性のない恣意的なものだし、あえていうならば、北半球での文明が近代を制したというぐらいの理由しかない。
だとするならば、南半球に住む人たちが、いつまでも北の下にぶら下がっているのに飽きたとしても何の不思議もない。
もともと、地球は丸いのだから、それを平面化して示す時、どの向きのどの地点を中心とするかによっては無数の世界地図が存在しうるわけだ。
われわれが見慣れているメルカトル図法のそれだって、もともとの円を、赤道を中心にして無理やり開き、北端と南端を拡大したもので、決して地球の実態を示しているわけではない。
だから、上の図に示した赤い円の大きさは、本来同じ面積を示すものだが、南北に行くに従って拡大されることになる。円を平面化するための便法だが、それによって平面の地図から判断する距離や面積のイメージはその実態との乖離を余儀なくされる。
何がいいたいかというと、私たちの地理的判断、あるいは歴史的判断、さらには政治的判断すら私たちの置かれた地政学上の立場、つまり、「私たちの地図」に依拠した判断から成り立っているのではないかということである。
そしてそれらは、自国中心主義、自民族中心主義、さらにはそれを先鋭化し、差別や排除、殲滅の論理にまで発展する可能性すらある。
その逆は、世界にはそれぞれの「私たちの地図」をもった人びとがいて、その差異をもったままに共存しゆこうとする開かれたイメージだろう。
世界を地球的規模で考え、「世界平和」、「世界市民」を初めて意識化してみせたのが哲学者のイマヌエル・カントだった。
彼は、上に見た偏狭な立場から脱却した理性に基づく世界市民の結合をイメージし、それをもって世界平和の礎としようとした。
現行の国連もそうした流れを受けたものではあるが、その現状には幾分の問題もある。強国が自らの権限を保持し、それを押し付ける場となったり、国際的に是正すべき問題が真面目に取り上げられなかったりする点がそれらだ。
しかし、それでも、カントの理想に近づくことができる改革を期待しながら、地球をさまざまな視点から見つめる多くの人々、つまり、それぞれ、「私たちの地図」をもつ人たちの連携の場としてその継続と成長を図るべきだろうと思う。